太田府政が減債基金を取り崩したのは違法だったのか?

2018年12月30日 06:00

前回の大阪都構想を巡る私の考えに続き、今回も太田府政に対する「ミスリード」のご批判について、触れたいと思います。2013年の参院選に出馬した時から、私の知事時代の財政運営を巡って、ネット上で散々叩かれてきたことがあります。

主なものは次の2点です。 

①インターネットで「太田知事は大阪府の借金を増やしたが、橋下・松井知事時代に黒字に転換した」という話を見かけた。事実なのか?

②「太田知事は落ち込む税収の穴埋めで、手をつけてはいけない減債基金を取り崩した」という話があるが、「違法」なことだったのか?

まず①から触れます。借金(府債残高)の額が増えたのは事実ですが、私が退任した後も大阪府の借金は増え続けています。

私が知事就任2年目の平成13年度(2001年)の税収は、ピーク時の平成2年度(1990年度)から3割も落ち込み、特に法人二税は平成元年度のピーク時より半減するという、稀に見る厳しい財政状況でした。

私が退任した後の府政も財政再建に大変なご努力をされておられますが、維新がネットなどで示している府債残高のグラフは、臨時財政対策費(臨財債)が引かれており、見かけ上、借金が減ったことになっています。

確かに臨財債は、国が補てんすることを約束していますが、総務省に改めて確認したところ、地方自治体が借りることに変わりはなく、府債としてカウントするのが通常の自治体財政での位置付けです。(臨財債のカウントの仕方は各自治体の判断によりますので、大阪府の場合は少数派だと思われます)

次に②の減債基金取り崩しの件です。取り崩したのは事実ですが、条例に基づく運用の範囲内での措置でした。

ここで減債基金とは何か、短くおさらいをさせてください。減債基金とは、府の借金(府債)を返すためのお金をあらかじめ確保し、財政を健全に運営するために積み立てるために府の条例に基づいて作る基金です。本来は条例の規定どおり、借金返済のために使う基金ですが、必要に応じて一般会計の歳出の財源にすることも条例で当時は認められていました。

知事就任当初から税収の落ち込みに歯止めがかからず、財政再建団体(現行制度の財政再生団体)に転落する危機が迫っていました。北海道夕張市の例を見ればお分かりと思いますが、もし財政再建団体に転落すれば、国の管理下に置かれ、「鉛筆一本買うのにも国にお伺いをたてる必要がある」と言われるような事態となります。当然住民サービスは大幅に低下し、大阪府は自治権を失います。

そうした危機を避けるため、緊急避難措置としてやむを得ず、減債基金の取り崩しをせざるを得ませんでした。当然のことながら、取り崩しにあたっては、大阪府議会の承認も得ております。なお、現知事の松井一郎氏も賛成の議決をした議員の一人でした。

もちろん、減債基金の取り崩しはあくまで緊急措置でしたし、制度の主旨からして好ましいことはではありません。しかし、それを「脱法」という物言いでレッテルを貼ったりするのは、不適切で、明らかなミスリードにつながっていることは残念なことです。さらにはそうした言説がいつの間にかネット上で「違法」「犯罪」などと明らかに事実に反する内容に転化してしまっています。

最後に私が知事として、その状態をどう脱しようとしたのか、事実をひとつだけ申し上げると、平成18年度(2006年度)には行財政再建プログラムの策定に乗り出し、赤字体質からの脱却と減債基金の借り入れを減らすべく努力もしました。残念ながら再建の道半ばで橋下知事に引き継ぎましたが、苦しいやり繰りが続きました。

大阪の経済は1970年代以降、企業の本社機能が東京に流出するなど苦しい状況が続きました。それでも、高齢化対策、災害対策を着実に進めなければなりません。万博開催をどう追い風に変えるのか。中心部だけでなく、大阪府域、関西圏全体を視野に入れた都市戦略を描けるか、いま問われています。


太田 房江(おおた ふさえ)参議院議員、自民党前女性局長、元大阪府知事
1975年通産省(現・経済産業省)入省。2000年大阪府知事選で初当選し、日本初の女性知事に。2008年に知事退任後、民間企業勤務を経て、2013年参院選で初当選。厚生労働政務官などを歴任。公式サイトツイッター「@fusaeoota」

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