マグロ1匹と臓器移植の価値:支離滅裂な報道に怒り

中村 祐輔

テレビのニュースで、豊洲でのマグロの初セリが3億3360万円と報道されていた。

セリ落としたすしチェーン店では通常価格でマグロが販売されているので、採算が合うはずがないが、これだけニュースで取り上げられれば宣伝効果は絶大だろう。このマグロを釣った大間の漁師も一桁間違っているのではと聞き直したと言うが、いくら初セリでも行きすぎだと思う。日本は平和だと思った。

しかし、その数分後のニュースで気持ちが落ち込んだ。少女が米国で心臓移植を受けるために3億5000万円の募金を集めているニュースだ。マグロ1匹の価格が、一人の少女が生き延びるために必要な予算と同じというのは何とも複雑な話だ。

私の知人がぽつりと言った「マグロを買うお金があれば、この子供は助けられるんだね」が心に響く。同じ時間帯のニュースで両者を流すメディアの神経もかなりいかれていると思うのは私だけか?正月明けで、人が足らないのかもしれないが、私が責任者ならもっと配慮をするだろう。

この少女にはなんとか移植を受けるチャンスがあって、命をつないでほしいと思う。しかし、私は以前から主張しているように、この手の募金話には賛成ではない。両親にお金があれば、あるいは、このケースのように近くにメディアを使って募金話を広げることができれば、命をつなぐことができる。

メディアは、医学部入学試験のコネ入学や伝手入学を、正義の味方のフリを糾弾していながら、自分たちは平然と一人の個人を選んでいる。メディアには見識も良識もないのか?多くの患者さんの中からこの患者さんを選んでいる基準を明確にすべきではないのか?有名な大リーガーと同じ名前だからでは、あまりにも悲しく寂しい基準ではないのか?

そして根源的な問題として、なぜ、日本の小児の臓器移植が広がらないのかを考えて欲しい。ドナーが決定的に不足していることが最大の要因だ!メディアは、小児の脳死判定に疑問を投げかけるような特集を繰り返した。日本の臓器移植の少なさは、私はこの国の節操のないメディアが最大の原因だと思っている。日本人の脳死判定に疑義を呈しつつ、海外での臓器移植の募金集めには協力する。この支離滅裂さを何とも感じないのだろうか?

臓器移植を受けることができれば、助けることのできる子供の患者はたくさんいる。それを日本でなく、海外に求めなければならない理由はどこにあるのか、自らの責任も顧みず上で特定の個人の募金活動を支援するメディアの姿勢には心底腹が立つ。脳死を認めないならば、海外に臓器移植を受けに行くことを支援すべきではないと思えてならない。

もし、脳死を是とするなら、国内での脳死移植推進に協力すべきではないのか?脳死移植が必要な患者さん、脳死移植を望んでいる患者さんが平等に機会を持つことができるような体制を作ることがメディアの責任ではないのか?このような募金活動の話を聞くたびに、臓器移植が必要な患者さんが平等に公平に臓器移植のチャンスを得ることができるような国であってほしいと願わずにいられない。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年1月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。