自国を否定する韓国大統領・文在寅のケンカ上手

宇山 卓栄

韓国大統領府サイト:編集部

「民族」によって国民を幻惑

「大統領が自分の国を否定するなんてバカなことがあるのか」

我々、日本人から見ればそう思うだろう。しかし、その「バカなこと」が韓国で現実に起こっている。文在寅大統領は自ら、大韓民国を否定し、「大韓民国の国民」という意識を国民から奪おうとしている。我々日本人からすれば勝手にやってくれという話かもしれないが、これは日本にも少なからず、影響のある話なので無視することもできない。

大韓民国は1948年に建国された。しかし、文大統領は建国は1919年だと主張している。なぜ、こんなことを言っているのだろうか。

文大統領ら左派によると、韓国と北朝鮮の政府が1948年に樹立されて、南北分断がはじまった、これは朝鮮民族の「悲劇の年」であるという。

1919年、日本の朝鮮統治に抵抗し、上海で亡命政府「大韓民国臨時政府」が成立した。文大統領は、この政府の樹立をもって、今日の朝鮮国家の正統な起源としている。つまり、「日本の不法な植民地支配」に立ち向かった独立運動家たちを朝鮮人の共通の建国の父祖と見なし、この父祖のもと、朝鮮民族が再び、一つになるべきだと主張している。

文大統領の最終政治目標は北朝鮮主導の赤化統一である。自ら、自国の正当性を否定して、分断の要因を取り除き、自国を丸ごと、北朝鮮に差し出す。これこそが北朝鮮の工作によって生み出された文大統領の使命である。

1948年に建国された大韓民国は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領らに代表される親日派保守政権によって、長く支配されてきた。そのような親日派が築き上げた大韓民国は根底から否定されるべきだと主張するのが文大統領ら左派である。1919年を建国年とすることで、文在寅政権は、大韓民国の正統性を主張する保守・右派勢力を「民族の敵」と炙り出す算段である。

本来、韓国にとって、昨年の2018年は国家成立70年に当たるが、韓国政府はこれについて、式典を開催することはなかった。保守系団体が「建国70年記念切手」の発行を計画したが、政府が介入し、郵政事業本部に計画を受け入れないように指示した。また、韓国の学校の歴史教科書にあった「1948年8月15日に大韓民国樹立」という表現が2018年から「政府樹立」に変わった。

韓国人にとって、「民族」という言葉は絶対的なものだ。我々日本人にはピンと来ないことだが、彼らにとって、その響きの魔力の前には、何者も無力である。韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を達成し、韓国企業が世界にその名を馳せた。韓国のこうした「サクセス・ストーリー」も「民族」には敵わない。

文大統領は1919年建国説を唱えることにより、「民族」の魔力を現出させ、国民を幻惑しようとしている。大韓民国の「国民」よりも、朝鮮人の「民族」が優先される。そして、また、不法悪辣な日本と戦う民族の闘士として、文大統領は自らを演出するとともに、日本に魂を売った親日保守派を貶めようとしている。

露骨な言論統制

文在寅政権は1919年建国説を国民の意識に徹底して植え付けるために、来る3月1日に大規模な儀式を開催する。その儀式とは「三・一独立運動100周年式典」で、これに1919年建国を結び付けようとしている。

今から、ちょうど百年前の1919年に、三・一運動が起こった。三・一運動は日本の朝鮮統治に反対する抗日運動で、デモや暴動が朝鮮半島全土に広がった。逮捕者が約5万人出た。

朝鮮王の高宗は同年の1月に脳溢血で死去した。この時、朝鮮で、高宗は日本に毒殺されたとの噂が広まり、その噂に煽動された民衆が三・一運動に加わった。韓国では、高宗の妃であった閔妃も日本人が殺したとする説が今でも、根強い。

三・一運動を契機に、上海亡命政府「大韓民国臨時政府」が生まれた。現在、韓国の各メディアでは、「三・一特集」なるものが組まれ、三・一運動の民衆蜂起とともに生まれた「臨時政府」の歴史的意義が盛んに喧伝されている。

また、このようなプロパガンダに異を唱える者を、文在寅政権は罰しようとしている。昨年の12月、与党の「共に民主党」は「歴史歪曲禁止法」という法案を国会に上程した。「日本の植民統治と侵略」を肯定する者に「2年以下の懲役または2千万ウォン以下の罰金を科す」ことを可能にする法案である。もちろん、外国人にも適用される。文在寅政権は露骨に言論統制を敷こうとしている。

昨年9月に、文在寅大統領が平壌を訪問した時、「三・一運動100周年を南北が共に記念する」という共同宣言が出されている(「平壌共同宣言」の第4項の3)。これに基づき、韓国は金正恩(キム・ジョンウン)委員長に、「三・一独立運動100周年式典」に参席してくれるように招請しているが、実現は難しいと見られている。

27日と28日のハノイでの米朝首脳会談を控え、日程調整が困難であると説明されているが、それ以外にも理由があるだろう。北朝鮮は1948年9月9日を、朝鮮民主主義人民共和国の建国記念日としている。文大統領の主張する1919年建国説に依るならば、当時、満州で抗日運動していた金日成は大韓民国の国民の一人だったという位置付けになる。金委員長がこれを認めるとは考えられないから、韓国も、様々なかたちで配慮しているが、なかなか、金委員長の式典参席というところまでいくのが難しいようである。

その意味では、あくまでも、1919年建国説は韓国の国内向けのプロパガンダである。

日本を非道の悪役に仕立て上げる御膳立て

上海亡命政府「大韓民国臨時政府」は中国国民党に支援されていたが、正式に承認されはしなかった。「臨時政府」の内部の人間は派閥争いに明け暮れ、何らかのまとまった動きを見せることはなく、諸外国からも相手にされていなかった。「臨時政府」を率いていた人物が李承晩や金九である。

金九(1876〜1949、Wikipedia:編集部)

文在寅大統領は金九を深く敬愛している。しかし、金九は我々日本人からすれば、抗日テロの首謀者に過ぎない。金九は「私の体が二つに引き裂かれようとも、民族が二つに引き裂かれるのを見ることができない」という言葉を残している。

戦後、北側では人民委員会がつくられ、ソ連の支援の下、共産主義による国家建設が着々と進められた。1946年の2月には、金日成が委員長に就任し、実権を掌握していた。金九は民族の統一した形での新国家建設を強く主張し、金日成ら共産主義勢力とも、手を携えようとしていた。金九は金日成と会い、融和を説得するものの、金日成は共産主義による統一という路線を譲らなかった。

一方、アメリカから帰国した李承晩は共産主義勢力を排除しようとしたため、金九と激しく対立した。李承晩はアメリカの支援を受けた筋金入りの反共主義者であった。李承晩は「臨時政府」時代から、金九とウマが合わず、上海を去って、渡米した。金九は1949年、政敵によって暗殺される。

韓国では、戦前の金九らの抗日・独立運動が華々しく伝えられるが、戦後の講和協定において、諸外国は彼らの運動をまったく評価しなかった。影響の乏しい局地的なテロ活動に過ぎず、連合国の勝利に貢献なしと見なされ、議論の対象とすらならなかった。

しかし、文在寅大統領はこうした金九を英雄視している。1919年以降、「臨時政府」を率い、日本と戦った英雄、そして、戦後は民族の統一のために戦った英雄。敬愛する金九の悲願を達成するため、金九が金日成と手を結ぼうとしたように、文大統領はその孫と手を結ぼうとしている。いや、すでに結んでいる。そして、民族の歴史に名を残そうとしている。文大統領が来る3月1日の「三・一独立運動100周年式典」にかける政治的意図は明らかである。

元徴用工の問題やレーダー照射問題、天皇陛下を屈辱する国会議長発言などで、日本を非道の悪役に仕立て上げて、式典を盛り上げるという御膳立ては出来上がっている。

最後に、こうした動きに対する韓国人の見解を紹介しておこう。韓国の朝鮮日報社に、鮮于鉦(ソンウ・ジョン)という解説委員がいる。鮮于氏は保守派の立場から、三・一運動を李朝の王制や一部の特権者による専制権力からの解放を目指した民権運動と捉えている。その上で、北朝鮮の専制を「三・一精神が憎む敵」と述べ、「金正恩が韓国へ来ようが来るまいが関係ない。ただ、三・一節にだけは来るな」と結論付けている。(2019年2月6日、朝鮮日報日本語版、鮮于鉦『韓国政府が北の政権と三・一運動を記念する喜劇』より)