物事の捉え方

今月10日、「これまで見ることができないとされてきたブラックホールの撮影に成功したと、世界各国の科学者が発表」しました。之は、「アルベルト・アインシュタイン(1879年-1955年)が1915年に提唱した一般相対性理論を強く裏付けるとともに、新たな時代を切り開く成果だ」と報じられています。

ドナルド・トランプ米国大統領の6年程前のツイートに、此のアインシュタインの言葉とされる「The difference between stupidity and genius is that genius has its limits.」というのがあります。之が如何なる脈絡の中で発せられたものか分かりませんが、日本語に訳せば「愚かさと天才との差は、天才は限界(limits)を知っている」といった意味になりましょう。

現代の科学技術の発展は、古代から今日までの積み重ねです。重力を例に考えてみても、アイザック・ニュートン(1642年-1727年)の万有引力の法則が説明していた時代もあれば、冒頭のアインシュタインの一般相対性理論がそれに代わって行く時代もありました。

あるいは、古代・中世の宇宙観である地球中心説「天動説」という一つの常識に対して、「地動説」という非常識的な太陽中心説を主張したガリレオ・ガリレイ(1564年-1642年)が、「宗教裁判でその説を撤回させられたときに、つぶやいた」とされる「それでも地球は動いている」という言葉は、正にコペルニクス的転回でありました。

こうして人間の知識レベルと共に嘗ての常識が非常識といった形で塗り替えられ、そこに一つの新しい法則が発見されてきたのです。その過程で、ある時点では「天才」が物を言ったとしても馬鹿にされ、狂人として扱われるようにもなるわけです。

私は以前ある雑誌の取材で、「時代が変われば、非常識が常識に、不可能が可能に変わることがあります。時代に合わせて、柔軟に考えることが必要です」と話したことがあります。ある一時点では限界と見做されるかもしれない事柄も、上記の如く長い歴史の中で見たら本当に限界と言えないかもしれません。

例えば、先に述べたニュートンの万有引力の法則自体も、ある意味時代的な局面における大変な成果であって、次の進歩を齎す上で不可欠な進化でありました。ですからアインシュタイン的に考えれば、当該法則は実は、その時代の極限にまで達しており、その極限は次の時代に導くもので、その過程で見るとそれは限界(limits)となるのでしょう。

尤も私流に解釈すれば、「天才は人類を次代へと移すかもしれない大きな第一歩を知っており、そこを起点にして全く異次元の社会常識が訪れてくる可能性がある」といった表現になります。このように、どの時点・どの範囲・どの方向で物を捉えるかにより、その内容は著しく違ってくるということです。

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