ギガビット社会、その次は?

メディア・ソフト研究会報告書「ギガビット社会」。
93年10月。25年前。
10円で売ってました。
座長は月尾嘉男東大教授。マルチメディア委員長に浜野保樹さん。
ナムコの岩谷徹さん、吉本興業木村政雄さん、作曲家三枝成彰さん村木良彦さんや吉田直哉さんらレジェンド。
ぼくが事務局(課長補佐)。

メディア・ソフト研の下に置いた「マルチメディア委員会」の報告はCD-ROM。
これが世界初の政府CD-ROMだということで海外から取材が来たものの実はこっそり通産省の予算で作った代物でして、郵政省には内緒だったので、物議をかもしました。
通産省のカウンターパートは岸博幸という名前でした。

「メディア・ソフト」は「コンテンツ」を示す造語。この年にアメリカ産のコンテンツなる用語が市民権を得て、死にました。この報告は「コンテンツ政策」を立ち上げる奮闘記なのです。
政府の仕事がハードやインフラしかなかった当時、コンテンツ政策、さらには知財戦略を立ち上げるクーデターでした。

「ギガビット社会」は報告を出版するに際しての命名。
インターネット商用化は翌年のこと、せいぜい2400bpsだった、1.5Mは夢の世界、ADSLが始まるのは7年後、でもいずれメガはギガになる。それを展望し、コンテンツ政策を立ち上げる挑戦でした。

本文はわずか14枚、全部ぼくが書きました。
参考資料は200枚の絵・写真。
本文だけ省内協議にかけました。
大事なことは全部、参考資料にしました。
省内協議を通らないので。

メディアの方向性は、超広帯域デジタルネットワークに統合、ハード・ソフトが分離する、と図示しました。
とんでもないことです。
通信・放送融合も、地デジも、まだタブーでした。
危険思想でした。
でも、書いて発信しました。

五感通信、VR通信、サイバー通信。
情念ネットワーク、盆栽対話システム。
とんでもないことです。
まだ動画はおろか静止画も困難だったのに。
危険思想でした。
でも、書いて発信しました。

遠隔医療、テレイグジスタンスの利用。
CEATECあたりでテレイグがようやく実用サービスとして登場しています。
25年前、なかなか見えていたと思いません?
郵政省内 医務室の先生に協力いただきました。
服を脱がされた係員は無事出世しております。

インターネット前の時期に自分が書いた報告書を読み返し、これからネットワーク社会が来るという高揚感と、若い官僚が暴れられた時代感と、それを許した組織の余裕とが臭います。
今はどうでしょう。
AIにブロックチェーン、より大きな技術の波が来ています。
若い官僚がより大胆に暴れられんことを。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年5月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。