鄧小平は平成日本より国民を幸福にした(天安門事件30年総決算)

八幡 和郎

天安門事件は1989年6月4日に起きたので、「198964」という数字は暗号として使われ、ネットではたちまち削除されるそうだ。

天安門事件の象徴的シーン、「戦車男」の写真(Wikipediaより:編集部)

私はあのとき、中国政府を支持したし、いまも間違っていたとは思わない。中国人はあのときに鄧小平が断固とした措置を執ったおかげで素晴らしい幸福を手に入れたし、ぐうだらな政府のもとで平成日本は昭和の繁栄の果実を使い果たしてしまった。

19世紀後半の世界史上に輝く偉業を成し遂げた大日本帝国とダメな清国、そして、戦後の高度成長の日本と文化大革命という明暗が日中の差を生んだ(戦争は日本が負けたが中国は勝利の果実を国民のために使えなかったから五分五分)。それが、逆になったのである。

『週刊現代』(6月8日号)に佐藤優氏の天安門事件についての考察が載っているが、なかなか良くできている。とくに、60年安保との類似性になるほどと思った。全共闘の活動家のかなりが官庁や一流企業に就職して日本資本主義を担うエリートになったが、中国にもそういう人たちが多いというのである。

その例として、『八九六四「天安門事件」は再び起きるのか』(安田峰俊、KADOKAWA)という本に出てくる投資会社幹部の話を引用している。

天安門事件のときにみんなが本当に欲しがったものは、当時の想像をはるかに超えるレベルで実現されてしまった。他にどの政権がたった25年でこれだけの発展を導けると思う?

…そして、言論や社会の自由もかなり改善したというし、天安門事件はもう起きないというのである。

あの事件のころ私は、通産省で工業技術院の国際研究協力課長で、中国科学院との包括協力協定の交渉をしていたので、頻繁に中国に行っていて、閣僚クラスまで含めた幹部と話すことも多かった。

また、ちょうどバブル経済の頂点だったが、私は間違いなく日本経済に破滅が待っていると論陣を張っていた。

趙紫陽氏(Wikipedia)

一方、趙紫陽のもとで進められていた経済政策は、日本のバブルを後追いしたもので、これも早めに手を打たないと地獄が待っているし、未熟な民主主義の暴走も別の意味での文革の再来につながりかねないと思った。手のつけられない拝金主義と秩序破壊の暴走であり、引き締めが必要だと、現職の立場では難しいのでペンネームで総合雑誌に書いたこともある。

そして、天安門事件の原因は、青臭さい全共闘的学生たちを、趙紫陽が自分の権力維持のために利用したことにあると当時も思ったし、現在も変わらない。

60年安保の盛り上がりは天安門事件以上だった。しかし、あの安保反対の学生たちの言う通りにしたら日本は経済大国になれなかった。安全保障の枠組みは崩れ、衆愚政治で経済もガタガタだったになっただろう。それと同じだ。天安門に集まった学生を押さえ込んだからこそ今日の中国人の幸福がある。それが分かっているから中国人は欧米的な民主主義に憬れを持たなくなった。

鄧小平(Wikipedia:編集部)

あんな乱暴な鎮圧は必要なかったというのも、賛成できない。平和裡の暴動鎮圧は高度な警察力が必要だ。安保のときもそれができなかったから岸首相は退陣した。70年安保までには、機動隊を充実させたから乱暴な対応は必要なかった。いまフランスで黄色ベスト運動が燃えさかっているが、この数か月のうちにフランス警察の対応能力は格段に改善したので、もう安心だ。

しかし、天安門事件のとき中国は機動隊などはなかったから軍隊を動員したし、軍隊は死者なく鎮圧するようにはできていなかった。ならば、天安門広場に威嚇射撃をしながらゆっくり戦車が入っていったのは可能な限り抑制された対応だと当時もいまも判断している。いわゆる西側社会でいわれている犠牲者数などは、南京事件がそうであるのと同じように誇張されたものだ。

それから30年、中国経済は予想の上限を超えた発展に成功した。もはや、中国は民主化に舵を切るべき時だ。それを促すためにトランプは勝負に出た以上は、手綱を緩めてはならない、これを逃すと二度とチャンスはないのではないかというのが私の意見だ。

しかし、そういう考え方は、おそらく、中国人に受け入れられないということも承知している。なぜなら、あのときから30年、専制主義の中国は最高の経済発展をし、民主主義で自民党永久政権という異常な状態も解消して政権交代が二度も行われた日本は、世界最低のパフォーマンスだ。アメリカも欧州もぱっとしない。

これでは、民主主義が人々を幸福にする最高の制度だから、お勧めしたいといってもなんとも説得力がない。