戦略特区に関して毎日新聞によって連日行われた報道は、もはや「報道の暴力」とさえ言える悪質さだ。「言論の自由」を逸脱した、人権侵害も疑われる報道だった。一方暴力を受ける側の原英史氏(戦略特区ワーキンンググループ(以下WG)座長代理)は、正確な根拠と明快な論証によって、報道された当日に全て完全に反論してきた。そのような最中に掲載された社説は極めて妥当な内容だったが、不思議なのはそのタイミングだ。
社説:民放局の不適切番組 際どさ売る体質が問題だ https://t.co/6wrHEP1Ab5
— 毎日新聞 (@mainichi) 2019年6月23日
毎日新聞が問題視した「不適切番組の際どさ売る体質」
社説の中で、まずは次のテレビ局の事例を2つ取り上げた。
事例1:一般人への不適切な取材
5月10日読売テレビは「性別がわかりにくい人にしつこく確認する」という企画を放映し、出演コメンテーターからも「許しがたい人権感覚の欠如だ」と批判された。これを受け同放送局は5月13日に謝罪した。謝罪内容は次の通り。(以下、重要な要旨のみ)
一般の方に、人権上、著しく不適切な取材を行い、その内容を放送した。視聴者及び関係者に深くお詫びする。人権に関して強く意識すべき当社としては、重く受け止め、経緯を検証し再発防止に取り組み、信頼回復に努める。
事例2:特定国への差別発言
5月18日関西テレビは韓国を『手首切るブス』に喩えた番組コメンテーターの発言を放映し、放送直後から問題化した。これを受け同放送局は6月18日に「編集で消さずにそのまま流した」ことを謝罪した。
毎日新聞は何を問題だと指摘したか
続いて、2点の問題を指摘した。
問題点1:問題意識の欠如と公共放送の責任
いずれも、取材VTRや収録番組で、プロデュ―サーによる事前チェックや、議論を経た上での放送だったという。適切な問題意識を持っていれば、歯止めをかけられたはずだ。公共的な使命がある放送局としての責任は重い。
問題点2:倫理より営業を優先する姿勢
しかし、視聴率を意識するあまり、あえて際どいコメントをさせることで刺激的な番組にしようとしている面もあるのではないか。他局との差別化を図るために面白さが優先され、放送の健全さがゆがめられるようでは問題だ。
毎日新聞はどう論評したか
結論として、テレビ局に対して次のような「ありがたい諫言」を贈っている。
(番組の)送り手の意識改革が不可欠だ
1週間前の案件をなぜ24日に社説に掲載するのか
ところで、今回改めて毎日新聞が論じた2つの案件は、新しいものでも約1週間前に既に報道が完了している。今更なぜ社説にしたのだろうか。
その理由として、毎日新聞社内の良識を持った集団の、WG報道に対する精一杯の自己批判だった可能性をわずかではあるが感じる。
毎日新聞は、抗議書により訂正などの対応を求められ、その期限として24日が設定されている。これに対し、紙面とサイトでは、特に何らかの訂正や謝罪が行われた気配がなく、訴訟提起に進む見込みは高まった。本件報道について毎日新聞社内にも「過ちを認めて反省すべきだ」という見解の持ち主もきっといたはずだが、とうとう期限を迎えてしまった。
社説を読んだ読者からは、SNSなどで毎日新聞に対し、「自分も反省すべき」、「他社に言う資格無し」という趣旨の指摘が多数上がっている。全くその通りである。社説を担当している幹部社員がこの反響を予想しなかったはずがない。寧ろそのような反論を予想したからこそ、この社説を書いたのではないか。
つまり、「報道の過ちを放置した毎日新聞経営陣」に対して外部の声としての多くの批判を届ける高度な目論見だったのではないか。
テレビ局を毎日新聞社に置き換えて読む
上述した社説を、「暗喩による社員から経営陣への暗示的意見だ」と仮定して、社説の主要部分を読み替えると次の通りになる。(テレビ局を毎日新聞に、放送を報道・記事に置き換え、太字で表示した。)
毎日新聞の不適切報道 際どさ売る体質が問題だ
問題点1:問題意識の欠如と公共報道の責任
デスクによる事前チェックを経た上での報道であるはずなので、適切な問題意識を持っていれば、歯止めをかけられたはずだ。公共的な使命がある報道機関としての責任は重い。
問題点2:倫理より営業を優先する姿勢
しかし、発行部数を意識するあまり、あえて際どいコメントをさせることで刺激的な記事にしようとしている面もあるのではないか。他紙との差別化を図るために面白さが優先され、報道の健全さがゆがめられるようでは問題だ。
諫言:“新聞記事の、送り手の意識改革が不可欠だ”
全て仮定の話だが、もし良識派の暗喩だったとすれば、まぼろしの謝罪文は次のようなものだっただろう。
一般の方(原氏と周辺の方)に、人権上、著しく不適切な取材を行い、その内容を報道した。深くお詫びする。人権に関して強く意識すべき当社としては、重く受け止め、経緯を検証し再発防止に取り組み、信頼回復に努める
もちろん幻だ。
可能性は低いだろうがこのような暗喩だと期待するのは、買い被りだろうか。
「過ちて改めざる、是を過ちという」(出典:『論語』衛霊公第十五)
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。