京アニ火災で問われるべき防火規制と防火対策:抜本的見直しを --- 牧 功三

寄稿

銃や爆発物の入手が難しい日本で、単独犯の放火によりこれだけ多くの死傷者が出たのは衝撃的である。犯人は10リッター程度のガソリンを建物1階の螺旋階段付近に撒いて着火させたとのことである。ガソリンは揮発性が高く常温では爆発的な燃焼をすることが知られている。

火の回りが非常に速く、さらに螺旋階段を通じて上の階に炎と煙が急速に広がったことがこのような悲劇につながったとされている。

NHKニュースより:編集部

私はNFPA(National Fire Protection Association米国防火協会)等の国際基準を使った防火に長年携わっているが、報道される情報から判断するかぎり、この建物にスプリンクラーが設置されていれば被害をかなり減らせたと考えている。

スプリンクラーは日本でも高層ビル等に設置されているが、火災による熱で天井付近に設置されたヘッドが開放し高圧の水を霧状に散水することによって火災を制御する仕組となっている。もしスプリンクラーがあれば着火後のかなり早い段階で作動し、延焼および煙の発生を抑え、死傷者数を大幅に減らせたはずである。

アメリカではスプリンクラーを使用した防火の歴史が非常に長く、普及率が高く、全国規模でその有効性や問題点の検証を行っている。NFPAの最新の報告書によると2010-2014年に発生した約48万件を分析したところ、スプリンクラーが設置されていない建物における死者数が火災1,000件当たり6.3人であったのに対して、スプリンクラーが設置されていた建物においては死者数が火災1,000件当たり0.8人、スプリンクラーによって死者数を87%低減したとしている。

火災用スプリンクラー(Wikipedia英語版より:編集部)

NFPAが要求するスプリンクラーの仕様は防火対象の火災危険度によって大きく異なり、大量の可燃物や危険物が存在する物流倉庫等では配管、消火ポンプ、消火水槽が巨大になる。今回のようなガソリンを使った放火に対応するには通常のスプリンクラーでは不十分ではないかと疑念を持たれる方もいるかもしれないが、10リッター程の量のガソリンの有無によって要求されるスプリンクラーの仕様が大きく変わることはない。放火直後の火のまわりが非常に速かったとのことであるがスプリンクラーの作動も速いのである。

今回のケースであれば火災危険度が「中」程度の防火対象に対応する仕様のスプリンクラーで十分に役に立ったと思われる。

建物火災に対してスプリンクラーが非常に有効であることは国際的には統一された見解と言ってよい。またスプリンクラーの技術基準は日本以外では国際的に標準化される方向にある。アメリカの防火は長い年月をかけた膨大な知見や検証やデータの積み上げといった科学的な裏付けがあり、NFPAの技術基準は世界的に信頼され大規模プロジェクト等で頻繁に使われている。

それにも関わらず日本で防火の専門家とされる方々の中にはNFPAやスプリンクラーを頑なに否定し、「防火のやり方は国ごとに違う」などと主張される方が見受けられる。そういった方々の話を聞くと机上の話や推論が多いという印象である。また日本以外の他国の防火関係者から「国ごとに違う」といった主張は聞かれない。

有効な対策は明らかであるから、どうやってそれを普及させるかを考えるべきである。今回のスタジオは防火対象の分類としては事務所(オフィス)に分類されるが、アメリカにおける事務所への普及率は25%と推定される。日本では11階以上の建物へは法規でスプリンクラー設置が義務付けられているが、10階以下の建物におけるスプリンクラー普及率はかなり低い(10階以下の建物を事務所として使用している場合ほぼゼロである)。スプリンクラーを設置する費用は高額であり建物所有者としては法規制にかからなければ設置を避ける傾向にある。

アメリカで普及率が高い理由の1つとして公設の水道管の圧力の高さが挙げられる。スプリンクラー設備はおおまかにスプリンクラーヘッド、配管、ポンプ、水槽によって構成されるが、アメリカでは公設水道管の圧力が高く水道管から消火用の配管を接続して水を供給できるためポンプと水槽が不要であり大幅なコストダウンが可能である。

ちなみに日本では公設水道管の圧力が低く消火用の水を直接供給できないため、ほぼ必ずポンプと水槽の設置が必要となる。2つ目の理由として防火対策が進むような保険の仕組みが挙げられる。大規模な施設ではスプリンクラーの有無で火災保険料が1/10以下になるケースもあり保険料の割引でスプリンクラー設置費用をものの数年でペイできるといわれている。

なお、アメリカでは工場への普及率が50%、物流倉庫への普及率が29%と非常に高いが、法規制ではなく保険の仕組みによって設置されるケースがかなり多い。

日本でスプリンクラーの普及を妨げている特殊な事情として消防検定制度の存在がある。消防法21条により日本ではスプリンクラーヘッド等の対象品目について消防検定協会の検定に合格したものしか使用できない。消防検定協会は典型的な天下り団体である。事実上独占的に消防検定業務を行っており消防設備に競争原理が働かない仕組みとなっている。

外資系企業が日本で工場を建てる際に、なぜ日本ではスプリンクラー設置費用が他国より大幅に割高(場合によっては数倍にもなる)なのかと驚かれる。またなぜ日本以外では認められているNFPA基準のスプリンクラーが設置できないのか不思議に思われる。1960年頃に消防検定制度ができると同時にそれまで日本でも使われていたNFPA基準によるスプリンクラーを使えなくしたとのことである。

報道によると京都市消防局が「現場は十分な防火対策」と発表したとのことであるが、これは「法的には問題はなかった」と言うにとどめておくべきであったと思う。日本では防火対策イコール法規制に従うこととの認識だが、本来、法規制は人命へのリスク(とくに不特定多数の人命へのリスク)の観点から社会としてこれ以下は許容できないから絶対に守ってくださいという最低限度の要求であるべきである。

そういった最低限度の要求を守った上で、経済的損失のリスク等も考慮して、建物所有者や管理者の裁量でどこまで防火対策をするかを決めるべきである(他国ではそうなっている)。今回の火災で京アニは拠点を失い、才能ある多くのクリエイターを失ってしまった。さらに業務を被災前の状態に戻すまで数週間から数か月のダウンタイムが発生するものと思われる。そういったビジネス上の損失を考慮すると防火対策は本当に十分であったと言えるのであろうか。

日本の行政は防火と名のつくところにやたらと口を出してくるという印象である。建物所有者や管理者の裁量で決められる部分は非常に少なく、法規制が「最低限度の要求」であるとはとても言い難い。また防火に関する設備、査察、点検、資格、講習等には重複しているもの、効率的ではないもの、明らかに役に立たないものが多いが、これらは法規制を根拠としたビジネスが一番の目的であると考えてよい。

NHKの受信料ではないが、法規制を根拠にして幅広い事業者や建物所有者から有無を言わさず取り立てる、コンスタントにお金をおとさせることが一番の目的となっているのではないか。防火対策が実際にどのくらい有効に機能するのか、どのくらい役に立つのかを最優先にしているわけではない。こういったところにメスを入れていかなければ日本の防火が良くならないのは明らかである。

牧 功三(まき・こうぞう)
米国の損害保険会社、プラントエンジニアリング会社、米国のコンサルタント会社等で産業防災および企業のリスクマネジメント業務に従事。2010年に日本火災学会の火災誌に「NFPAとスプリンクラー」を寄稿。米国技術士 防火部門、米国BCSP認定安全専門家、NFPA認定防火技術者