「国会議員の介助の費用は、れいわが持つべきじゃないかな」という早川忠孝氏の主張がアゴラに掲載された。これは障害者差別発言である。
障害者権利条約は障害者の人権条約であって、わが国も批准している。この条約の根本的な考え方は、障害者の参加を阻む障壁を除去するのは社会の側の責任というものだ。
障害者権利条約を受けてわが国も障害者基本法を改正し、障害者差別解消法を制定した。障害者差別解消法は障害者への合理的配慮を求めている。「合理的」と付くのは、莫大な費用が掛かるであるとか、せっかく配慮しても利用される可能性がほとんどない場合を除くためである。
障害者の権利保護について世界を先導してきた米国で、合理的とは言えない場合として示される仮想事例がある。大陸間弾道ミサイルを監視する仕事に視覚障害者が就きたいといっても無理、というのがそれだ。レーダが表示する情報を音声で的確に伝える技術を開発するには莫大な費用が掛かるし、いざという時に視覚に障害を持つオペレータが瞬時に対応するのはむずかしい。だからこれは合理的配慮の枠を超える。
今、国会で進められている配慮は、米国の仮想事例に比べたら、ごくごく当たり前の対応である。障害を持つ国会議員がすべての審議に参加できるようにすることで莫大な費用が掛かるわけではないし、実際に利用される可能性も高い。
自分は健常者であって障害者とは全く違う、という思い込みが早川氏の主張の源にある。しかし、自由民主党の谷垣禎一氏のように、事故で脊髄を損傷して障害者になる可能性はすべての国会議員にある。自分が障害を負ったときに排除されても構わないか、それを考えてから発言すべきである。
れいわの二人の主張にはほとんど賛成できない。しかし、多くの国民が支持した彼らが国会議員としての職務を全うするのを阻んではならない。
山田 肇