日韓の対立をあおったのは誰か

池田 信夫

吉見義明氏が毎日新聞のインタビューで、慰安婦問題について語っている。この記事は見出しで「『従軍慰安婦はデマ』というデマ」と書き、本文では「慰安婦問題はデマ」と書くなど混乱している。この問題を風化させないためにも、話を整理しておこう。

吉見義明氏(毎日新聞より)

まず「従軍慰安婦」という軍属は存在しない。慰安婦という言葉も戦時中はほとんど使われていなかったが、日本軍が戦場で慰安所を管理し、そこに娼婦がいたことは事実である。それを「デマだ」という人はいない。娼婦は朝鮮戦争にもベトナム戦争にもいた。

しかし慰安婦と慰安婦問題は別である。吉見氏は「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与して強制連行はなかったわけだから」という松井一郎氏の発言を批判しているが、この発言は正しい。慰安婦問題を作り出したのは、吉見氏と朝日新聞なのだ。

1991年に初めて「私は慰安婦だった」と名乗る女性が出てきたときは、大した問題ではなかった。彼女は高木健一氏や福島瑞穂氏が韓国で募集した、日本政府に未払い賃金の賠償を求める訴訟の原告で、このときは強制連行は問題ではなかった。

それが日韓問題になったのは、1992年1月の朝日の1面トップの記事「慰安所 軍関与示す資料」がきっかけだった。この資料は軍が慰安所を管理していたという既知の通達で、吉見氏の売り込みだったと思われる。

この記事は宮沢首相が韓国を訪れる5日前に出たため、宮沢氏は盧泰愚大統領に謝罪したが、何に謝罪したのかはっきりしない。それまで政府答弁で軍の関与を否定していたのが、関与の証拠が出てきたので、事実関係も確認できないまま、あわてて謝罪したのだろう。

この通達は戦場で慰安所を軍が管理していたというだけの話で、国内で保健所が公娼の健康管理をしていたのと同じだが、関与といえば関与である。そこで1992年7月に加藤紘一官房長官が関与を認めて謝罪する談話を発表した。

その後も韓国が「強制連行を認めろ」と要求したので、外務省は再度調査し、1993年8月に河野談話を出した。しかし強制連行は認めなかったので、マスコミ的には慰安婦問題は終わり、1990年代後半にはほとんど記事にならなかった。

その後も慰安婦問題を執拗に追いかけたのが朝日新聞だった。その「慰安婦の強制連行」の記事は1000本以上に及ぶが、慰安婦の話以外の唯一の証拠だった吉田清治の証言の信憑性がなくなると強制連行説は崩れ、論点は広義の強制にずれてゆく。

今では吉見氏も「慰安婦問題とは、強制連行があったかどうかとかいう問題ではなく、日本軍が女性の自由を奪い、性行為を強制したという女性の人権問題そのものなのです」という。この強制とは何だろうか。彼はこう説明する。

その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである。たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。(『従軍慰安婦』p.103)

植民地支配下ではすべて強制なのだから、女性が自由意思で慰安婦を選択しても強制だ、という「広義の強制」論である。これによると「朝鮮は日本の植民地だった」という事実から、ただちに「朝鮮人慰安婦はすべて強制だった」という結論が出るので便利だ。個々の事例で、強制を証明する必要はない。

ここで「慰安婦」を「労働者」と置き換えても同じだ。植民地ではすべての労働は強制なのだから、朝鮮ではすべての労働は不法な強制労働だった――これが韓国大法院の徴用工判決の論理である。

つまり朝日新聞と吉見氏が慰安婦問題を創作したときの「広義の強制」論が韓国に使われ、元朝鮮人労働者に適用されたのだ。このままでは補償問題は、20万人以上の元労働者に拡大するおそれがある。きょうの「天声人語」はこう書いている。

あの国が悪い。だから懲らしめる。政府やメディアが敵対心をあおり、その敵対心が戦争の燃料になる。日中戦争、そして太平洋戦争で経験したことである。そんな振るまいは完全に過去のものになったと、胸を張って言えるだろうか。

1930年代の日本で、こういう敵対心をあおった主役が朝日新聞だった。当時の日本に似ているのは、文在寅政権である。その「植民地支配した日本が悪いから懲らしめる」という敵対心が徴用工問題の燃料になった。

戦争をあおる朝日新聞のレトリックは、今も健在である。今回はあおる対象が、韓国人になっただけだ。政府間の対立を誇大に報道して国民感情をかき立て、騒ぎが大きくなったら、それをネタにして新聞を売る。そんな振るまいは完全に過去のものになったと、胸を張って言えるだろうか。