津田大介氏のお詫びという名の弁解

藤原 かずえ

あいちトリエンナーレ2019の芸術監督の津田大介氏が[あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告]なる文書を公開しています。

「あいちトリエンナーレ2019」の出品作の一つである「表現の不自由展・その後」について混乱を招いたことにつき、あいちトリエンナーレ2019の芸術監督として、責任を重く受け止めています。ご迷惑をおかけした関係各所にあらためてお詫び申し上げます。

ここで「お詫び」とは、人間が他者から問題の責任を追及されたときに行う行動に【危機応答 crisis response】の選択肢の一つである【謝罪 apology】を意味します。危機応答とは【危機管理 crisis management】における個人または組織の戦略的選択であり、被害を与える可能性がある事象を発生させた「責任」とその事象が及ぼす「被害」を認めるか否かの組み合わせによって次の4つに区分されます。

【否定 denial】責任も被害も認めない
【弁解 excuse】被害は認めるが責任は認めない
【正当化 justification】責任は認めるが被害は認めない
【謝罪 apology】責任も被害も認める

このような観点から津田氏の今回の「お詫び」の文書を検証してみたいと思います(冒頭の写真は産経ニュースから引用)。

2019年2月28日(木)と3月18日(月)の打ち合わせの段階では、僕から不自由展実行委に《平和の少女像》については様々な懸念が予想されるため、実現が難しくなるだろうと伝えていました。

しかし《平和の少女像》は2015年の「表現の不自由展」でも展示された作品であり、展示の根幹に関わるという理由で「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否されました。

少女像展示の中止を不自由展実行委が拒否したとするのは、不自由展実行委に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。弁解は必ずしも不合理なものではなく、理に適っていれば正当な危機応答です。しかしながら、開催を最終的に受け入れた津田氏には不自由展実行委に責任転嫁する資格はありません。

僕は、途中で企画を断念したり、参加を取り下げられることも視野に入れつつ、今後の不自由展実行委や県側との協議に希望を残すことにしました。

今後の不自由展実行委や県側との協議に希望を残したとするのは、不自由展実行委と愛知県に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。ここでいう「希望」というのは明らかに少女像展示の断念であり、希望が通らなかったにも拘わらず芸術監督を辞任しなかった津田氏には不自由展実行委と愛知県に責任転嫁する資格はありません。

「表現の不自由展・その後」にどの作品を展示し、どの作品を展示しないかは、最終的に「表現の不自由展・その後」の出展者である不自由展実行委が決定権を持っていました。

どの作品を展示しないかは、最終的に不自由展実行委が決定権を持っていたとするのは、不自由展実行委に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。展示の最終的責任は展示の最終決定権を不自由展実行委に委譲した愛知県と芸術監督にあり、仮に津田氏が最終決定に不服を持っていたのであれば芸術監督を辞任すべきであったと考えます。

展示内容に幅を持たせるため、近年の話題になった公立美術館での「検閲」事例――会田誠さんの《檄》や、鷹野隆大さんの《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子さんの《デコまん》シリーズなども展示作品の候補に挙がりました。しかし、会田さんの作品は不自由展実行委によって拒絶されました。

エログロ表現を不自由展実行委によって拒否されたとするのは、不自由展実行委に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。不自由展実行委が表現者である芸術監督の要望に反して作品を検閲するというのはまさに表現の自由の侵害です。

「公立の美術館で検閲を受けた作品を展示する」という趣旨である以上、不自由展実行委が推薦する作品を僕が拒絶してしまうと、まさに「公的なイベントで事前“検閲”が発生」したことになってしまいます。

不自由展実行委の推薦作品を拒絶すると検閲になるとするのは、展示の趣旨に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。勘違いしているようですが、表現者であるはずの芸術監督の意思決定こそまさに表現の自由であり、けっして検閲にはあたりません。

展示内容についてのご批判、県民が内容について議論できるような機会を(警備上の都合だったとはいえ)十分に持てなかったことへの批判は重く受け止め、今後のトリエンナーレ会期中の企画として、広く県民も参加して議論するような機会を設けたいと考えています。

「警備上の都合だったとはいえ」という文言は、警備に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。この文書で「不自由展実行委と県と、展示を実施した際に予想される懸念点を洗い出し」とあることから、津田氏にも警備の責任の一端はあるものと考えられます。

2019年7月31日(水)の展覧会企画発表後、とりわけ話題となったのは、在韓日本大使館前に設置されたキム・ソギョン/キム・ウンソン夫妻の《平和の少女像》、次いで大浦信行さんの《遠近を抱えて》の関連映像でした。

(中略)抗議内容については、作品の具体的内容や背景を考慮しないものが多いため、まず簡単に作品の背景についてご説明いたします。

(中略)作者は像を日本批判ではなく、戦争と性暴力をなくすための「記憶闘争」のシンボルと位置づけています。作者は、2016年にベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰める目的でベトナム民間人虐殺地域と韓国国内に設置された「ベトナムピエタ」(母と無名の坊やの像)を作りました。

(中略)大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。

(中略)一部だけ切り取ってみると、昭和天皇の肖像が燃えているように見えますが、正確には、富山県美術館によって《遠近を抱えて》の図録が焼却された経験を元に、自分の作品、自分のアイデンティティの葛藤を燃やしている作品だということです。

抗議内容が作品の具体的内容や背景を考慮していないとするのは、抗議者が作品の背景や作者の意図を理解していないことに責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。もしも背景や作者の意図も含めての芸術であると主張するならば、その背景や作者意図も展示品として展示すべきであったと言えます。そんな背景の説明が通用するのなら、芸術認定することでヘイト行為を容認することも可能となります。

本来「表現の不自由展・その後」は、公立の美術館で検閲を受けた作品を展示するというコンセプトであり、新作の出展はコンセプトになじまないというお話は大浦さんにはさせていただいたのですが、展示の準備段階で《遠近を抱えて》と《遠近を抱えてPartII》は一続きの作品で、《遠近を抱えてPartII》を展示できないのならば《遠近を抱えて》の出品も取り下げるという連絡が大浦さんからありました。

2015年の「表現の不自由展」にも出品された同作を出展できないのは、「その後」の趣旨ともずれてきてしまうため、不自由展実行委と協議のうえ、出展が決まりました。これが《遠近を抱えてPartII》が出展された経緯です。

作品の出展を拒否されるのでなじまない新作を出展したとするのは、展示の趣旨と出品者に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。表現者であるはずの芸術監督は、展示の趣旨にも展示の選定にも意見を表明できない存在なのでしょうか。

僕個人の不適切な発言について謝罪いたします。(中略)1つは、自分を批判する人を見つけたら「コロス」リストに入れると言った発言についてです。

これは、アンガーマネジメントの一環として、怒りを覚えた相手について、「コロス」リストに入れることで、その人に対する怒りを静めようとしたものであり、公開する気もなければ、もちろん、実行する気もありませんでした。

アンガーマネジメントの一環としたものであり、公開する気もなければ実行する気もなかったとするのは、自分の心の中にいるもう一人の自分に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。この行為は殺害を想起しかねない恐怖に訴えて言論の自由を侵害する卑劣な脅しに他なりません。

もう1つは、番組内で天皇制について東浩紀さんに聞かれたときに、「2代前じゃん」などと答えたことです。

なぜこのように答えたのかというと、大浦さんの新作の映像作品では若き日の昭和天皇の肖像写真が燃えているところが映るのですが、まずこの元になった作品が「日本人としての自画像を表現するために昭和天皇をコラージュした作品」という説明を受けていたこと。

また昭和天皇は今上天皇から見て2代前の天皇であるため、これを燃やす映像表現であっても、現在の日本の体制に対する反抗等には当たらないと受け止めていたからです。

戦後生まれの僕にとって、天皇とは、敗戦によって元首の座を降り、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴となった以降の昭和天皇であり、上皇であり、今上天皇を指していました。

大浦さんの作品に使われていた主権者としての昭和天皇は、僕にとっては、それ以前の天皇と同じように、歴史的、象徴的な存在だったのです。

「2代前じゃん」と答えたのは大浦氏から説明を受けていたことと自分にとって昭和天皇は歴史的、象徴的な存在だったからとするのは、大浦氏と自分が戦後生まれであるという状況に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。この主張を許容すれば、芸術の名の下に祖父や祖母に対する見かけ上のヘイト行為を展開することによって家族の尊厳を侮辱することも可能になります。

大浦さんの新作の映像作品および平和の少女像については、日本人へのヘイトと感じるとの意見もあります。しかし大浦さんの作品については、大浦さんが自画像として作成した作品が燃やされたことを映像的に再現したものであって、そもそも日本人自体を貶めようとするものではありません。

作者の弁解を根拠にしてヘイトと感じる意見を否定するのは、意見者が作者の意図を理解していないことに責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。そもそも天皇の写真が焼かれて踏みつけられている映像を見て、大浦氏なる人物の自画像が焼かれて踏みつけられていると解釈するのは極めて困難です。

また、平和の少女像については、僕は次のように考えています。(中略)従軍慰安婦となった方々の名誉と尊厳を深く傷つけ、彼女たちが慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた耐えがたい苦痛を与えてしまったことについては、日本政府としても心からお詫びと反省の気持ちを表明しています。

したがってキム・ソギョン/キム・ウンソン夫妻の《平和の少女像》は、日本政府の歴史認識を超えた歴史観を僕たちに押しつけるものではなく、そのような過去を反省し、未来に向けて立派に生きていくことを誓った僕たち日本人を貶めるものではないと考えます。

日本政府が慰安婦問題に謝罪しているので平和の少女像は日本人を貶めるものではないとするのは、日本政府に責任を転嫁して自分の責任を回避する弁解です。日本政府が謝罪したのは慰安婦に対してであり、日本大使館前の少女像については、ウィーン条約に規定されている公館の威厳の侵害であるとして一貫して撤去を求めています。

企画の進め方に不備があったこと、想定はしていたものの準備不足だったことに対するご批判は甘んじて受けますが、それでもなお「表現の不自由展・その後」を芸術祭の中で見せることには、大きな今日的意味があったと考えています。そしてそれは、実際に展示をご覧になった方の感想からも伺えます。

準備不足ではあったが、「表現の不自由展・その後」を芸術祭の中で見せることには意味があったとするのは、自分の責任を一部認めるものの他者への被害を認めない正当化です。

芸術の展覧会において、見学者が表現に不快感をもつことをもって被害を与えたとするのは必ずしも正しくありません。ただし、一個人である昭和天皇の人格を棄損するヘイト行為は、その子孫や家族(上皇・天皇・皇室)の【アイデンティティ identity】を攻撃する【モラル・ハラスメント moral harassment】であり、明確に被害を与えています。

仮に同様の行為を一般の日本国民が受けたとしたら、【義務論 deontology】を【暗黙知 tacit knowledge】として理解しているほとんどの日本国民は許容しないはずです。

そもそも天皇機関説を容認して自分が下克上の環境下にいたことを認識していた昭和天皇は、戦前・戦中においても【権力 power】ではなく【権威 authority】の存在であり、昭和天皇を権力と捉えて嫌悪するような芸術は論理的にも破綻しています。

「表現の不自由・その後」展の展示中止を決定したことの責任は重く受け止めています。どんな批判であっても甘んじて受け入れようとも思っています。

「どんな批判であっても甘んじて受け入れる」とするのは、自分の責任にあたらない批判まで受け入れることを示唆するものであり、批判全体を同一視させて無効化するとともに大衆に不合理な同情心を喚起させる自己防衛に他なりません。

以上の検証結果からわかるように、この「お詫び」の文書はほとんどが弁解から構成されています。

結局、表現の自由をテロリズムに敗北させた主催者である大村愛知県知事が反対者を批判することに終始したこの展示会の本質は、表現の自由が十分に保障されている状況下で表現の自由を声高に叫ぶことによって論敵に表現抑圧者の印象を植え付ける【言論の自由の主張 I’m entitled to my opinion / I have a right to my opinion】と呼ばれる論敵の悪魔化手法そのものであったと考えます。

「表現の自由を悪用することは表現の自由を脅かす行為である」というのが今回の騒動の教訓であると考えます。


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2019年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。