日本はなぜ慰安婦問題で韓国に敗北したのか

池田 信夫

ヤフー個人の「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」という記事が炎上している。筆者はアメリカの大学院生、内容はステレオタイプの「歴史修正主義」批判で論評に値しないが、問題はこういう議論が世界の常識になってしまったことだ。

NYタイムズより

たとえばNYタイムズは、日本と韓国の対立について長文の解説記事を載せているが、強制労働(forced labor)を性奴隷(sexual slavery)と同列に論じ、性奴隷は説明なしに使われている。徴用工問題は日本の植民地支配から発生したが、安倍首相がその責任を否定してナショナリズムをあおっているという論調だ。

性奴隷という言葉は、戦時中はもちろん、戦後の公文書にも出てこないが、海外メディアの愛用する言葉だ。初期の争点は政府の関与だったが、これについて1992年に加藤官房長官が慰安所の管理などについて関与を認めて謝罪した。

その後、韓国側が強制連行を認めろと要求してきたが、1993年の河野談話でも認めなかった。このとき「官憲等が直接これに加担した」という文言を入れたのも公権力で連行したという意味ではなく、この表現で金泳三大統領も了解した。

それが蒸し返されたのは、2005年に盧武鉉大統領になってからだ。彼は日韓基本条約をめぐる交渉文書を公開し、徴用工の未払い賃金などの経済問題は日韓請求権協定で解決ずみだと認める一方、慰安婦問題は「国家権力が関与した反人道的不法行為」なので請求権協定の対象外だとした。

これに対して第1次安倍内閣は「強制性はなかった」と反論したが、今度はアメリカから攻撃を受けた。2007年1月に下院で慰安婦非難決議が可決され、3月にはNYタイムズがインドネシアの強姦事件を慰安婦問題として大きく取り上げ、安倍首相は4月の訪米で謝罪に追い込まれた。慰安婦問題が世界的な人権問題として騒がれるようになったのは、この後である。

「強制連行」が「性奴隷」にすり替わった

2000年代後半に話題になったのは、強制連行ではなく性奴隷だった。これが1996年に国連人権委員会のクマラスワミ報告で使われたときは、軍が慰安婦を強制連行したという意味だったが、その唯一の根拠だった吉田清治の話が嘘とわかって意味が曖昧になった。

NYタイムズの記者によれば、彼らは性奴隷を人身売買の意味で使っているという。この意味での(民間の業者の)性奴隷は、戦時中の朝鮮にも内地にもたくさんいた。それは親の借金を返すために娘が身売りする「借金奴隷」だった。

それを強制と呼ぶなら、当時は世界中で強制が行われていたが、その法的責任を日本政府に問うことはできない。女性だろうと男性だろうと、日本が奴隷を公認したことは一度もないからだ。日本では人身売買は戦前も違法だったので、奴隷制は存在しない。奴隷制を憲法で公認したアメリカとは違うのだ。

しかし世界のメディアにとっては、そんな細かい話はどうでもいい。軍がやろうが業者がやろうが、強制は強制だ。彼らは性奴隷という(どぎついが意味不明な)造語で慰安婦問題を語るようになり、「奴隷は悪だ」という単純な論理で日本政府を攻撃した。

この時期、英文情報は圧倒的に韓国側だった。そのほとんどは単なる娼婦の体験談だったが、それが次第に脚色されて性奴隷の悲劇になり、世界の常識になってしまった。それに対して外務省も「奴隷は悪ではない」とは反論できなかった。

安倍首相も最終的には屈服し、2015年の慰安婦合意で10億円を払うことに合意したが、これは外交的には日本の敗北だった。いま韓国がやろうとしているのは、慰安婦合意の再現である。

国際法に法の支配はない。外交の勝敗を決めるのは世界の常識であり、それは英語でつくられるのだ。残念ながら慰安婦問題の敗北を取り返すことは不可能に近いが、その教訓に学んで徴用工問題でそれを繰り返さないことは可能だ。

特に国際世論を味方につける上で大事なのは、アメリカのメディアだ。彼らは日韓の歴史問題なんて興味がないが、「女性の人権」は見出しになる。大事なのは論理ではなく、性奴隷のようなキャッチフレーズだ。日本政府が強制連行というわかりにくい(英語にも訳せない)言葉にこだわったのは失敗だった。

徴用工は「男の人権」なので慰安婦ほどキャッチーではないが、「性奴隷のような人権侵害だ」という物語に仕立てることはできる。外務省は世界に英語で日本の立場を説明し、誤報には抗議すべきだ。特に「性奴隷」には要注意である。