こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
■Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka
「優しい人との付き合い」ほど、難しいものはありません。誰しも優しい人は大好きで、特に慣れない職場などにおいては、優しい人は心の支えになっているのではないでしょうか。
しかし、「誰にでも優しい人」がなぜ優しいのか?を理解すると、彼らと良好な関係を長期に維持する事は意外と難しいことが分かります。
Twitterでもその難しさについてつぶやきます。
「優しい人」には注意が必要。人に興味がなさすぎ&適度な距離感取るのがうますぎるが故に害がない人、ってのが混じる。この種の人は距離感を間違えると一瞬で離れる上に離れたことにも気づかせない。こちらの過ちも教えてもらえずに逃げていくので、細心の注意が必須。
— 黒坂 岳央社長@起業家・作家・講演家・投資家 (@takeokurosaka) September 1, 2019
ネットで囁かれる「優しい人」の難しさ
まずはTwitterを中心に、優しい人との付き合いの難しさについて見てみましょう。※太字は筆者コメント。
優しい人の恐ろしい所は、こっちの非を我慢の限界に達するギリギリまで許してくれるから調子に乗っている内にいつのまにか見切りをつけられて関係が修復不可能になる所と、失ってから気付く存在の大きさが圧倒的過ぎてこっちが危うく廃人化しそうになる所です
— 真夜中の御徒町 (@sibirerucake) January 14, 2017
よく分かります。それまでずっと笑顔で耐えてくれるけど、一線超えるとズバッと切られてしまうんですよね…。
メンタル病院の先生に「優しい人って素敵よね」って言ったら「そういう人、実はそう良くもないんですよ」って言われて、なんで?って聞いたら「自分の中に壁を作ってる人は、周りの人にもあまり入り込まないから人当たりが柔らかく見える。それを優しさと勘違いすると痛い目に合います」って言ってた。
— は * る (@PlasterStar999) September 21, 2016
「相手への配慮」「押し付けない心地いい距離感」を優しさと考えてしまいがちです。しかし、実は相手からすると、こちらに温かい好意を持っているのではなく、ぶつからない上手な距離を取っているだけという…。
などなど、このように様々な「優しい人との付き合いは、意外とテクニカル」というコメントが見られました。特に依存症の人などは常に依存させてくれる相手を探していますから、「誰にでも優しい人」はその的になりがち。
ちなみに私は自分自身を、特別優しい人間とは思っていません。気持ちの良い人間関係というのは、お互いに自立していて相手に負担のない付き合いができ、相手に価値を感じるものを交換し合える、これぞ最高の人間関係と思っています。が、自分ではそう思わないのに、不思議と「あなたはとても優しいですね」とかなり言われます。
周囲からの評価や、自己内観の結果、私自身も「誰にでも優しい人」という成分を全部ではないにしろ、いくぶん含んでいるだろうという結論にたどり着きました。そして、自分と似たところのある彼らの気持ちも痛いほどよく理解できるつもりです。
ですので、その観点からもこの問題を語ってみたいと思います。
誰にでも優しい人は相手を傷つけない
誰にでも優しい人は、相手を傷つける事はしません。相手の欠点やダメな点をズバズバ指摘したり、自分がやってもらいたい事を、相手に強く変化や対応を求めるということはしないのです。
そのように振る舞う理由はズバリ、「自分は自分、他人は他人」と完全に割り切って考えるからです。より厳密に言えば、「自分自身はその気になれば今すぐにでも変化が可能な変動値、一方他人は自分にはアンコントローラブルな固定値」と考えています。
悪く言えば助けを求めるのがヘタ、よく言えば自立しているということです。私も人付き合いをする上で「合う人とだけ付き合えばいい。合わない人は無理に付き合う必要はない」という価値観を持っていて、「意見が合わない場合も、違う意見は尊重する。観点の違いから得られるものは全部もらいたい」と考えています。ですので、合わない人がいても「この人は間違っている!正さなくてはいけない!」などとは全く考えません。
たとえば自分と合わない人も、合う部分は必ずあると思います。考え方や価値観がかなり違っている人も、ユーモアのセンスが抜群に優れていたり、ユニークな物の考え方をするなら、私はその人に魅了されます。合う部分だけ付き合うのでいい、と考える事で相手に変化を求めず、無理な押しつけもしません。
こうした姿勢は「優しい人」との評価を受けることがあるようです。
誰にでも優しい人は、実は強いマイスタイルを持っている
誰にでも優しい人は、実は強い「マイスタイル」を持っていると考えます。「他人には押し付けないけど、あなたも自分には押し付けてこないでね」という感じでしょうか。つまり「これは譲れない」という点を持っているということです。
かくいう私も、譲れない点は持っています。その一つに「時間」があります。自分が人生で持っている「時間」は誰にも侵害されないもので、自分自身こそが人生の時間の支配者であり、主人なのです。
望まない時間の過ごし方を他人に強要される事にはまったく我慢ができません。たとえば自分が望まない行事に「みんなやっているからキミも」という同調圧力的な理由で参加を求められたりすることなどです。一度や二度なら、場の流れで参加を我慢することはありますが、それが定期的に続くとなると黙って立ち去り、自分の時間を取り戻したくなってしまいます。
おそらく、「誰にでも優しい人」は私と同じようにこうした誰にも侵害されたくないマイスタイルを強く持っていると考えます。そして彼らは「自分の他の人間も、意思を持った個体で違ったマイスタイルを持っているので、それを邪魔してはならない」と考えて、相手の邪魔をしない距離感を保つと考えるのです。
誰にでも優しい人は突然立ち去る
そして誰にでも優しい人は、それまで温厚にしていたのに突然風のように立ち去る感覚を与えるようです。
誰にでも優しい人はニコニコと笑顔で対応していますが、その心の内側はかなり冷静で合理的であることが多いです。まずもって、合理的で冷静でなければ、「誰にでも優しい」という対応はできませんから、これは必然的な姿勢だと思います。
相手との人心交流を経て、ますます仲良くなることはもちろんありますが「この人と無理に付き合っても、お互いに無理をするだけだな」とハッキリ計算結果が導き出された瞬間、「no deal」つまり「やめにしましょう」と人間関係というゲームを降りる選択をします。
「この人は優しいから多少無理も聞いてくれる」と思っていた側は相手の突然の変わりように仰天、そこで慌てても「時、既に遅し」という具合です。しかし、優しい人は元々精神的に自立しているので、関係性が失われることの算段はすでに終えているので、相手からお詫びをされても、もはや振り返ることはないということです。
「いつまでも、あると思うな、その優しさ」。この言葉を置いて、今回の記事の末筆としたいと思います。
黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表
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