日本は韓国の漁民拉致に屈して請求権を放棄した

2019年09月14日 06:01

日韓条約破棄なら日本資産の返還要求が可能(特別寄稿)」では、韓国が日韓基本条約を事実上破棄するような場合に、日本は日韓交渉が始まった1952年の時点に戻って、「韓国に日本人が残してきた財産について補償すべきだ」、「在日韓国人は原則として帰国すべきだ。また、在留したとしても特別の地位は認められない」という原点に戻って交渉できるということを書いた。

前回は朝鮮半島に在住する日本人は、終戦のとき、大勢は残留しようというつもりで、まさか強制的に帰国させられたり、財産が没収されたりするとは思っていなかったことに始まり、1952年の日韓交渉のはじまりまでの日本人財産の扱いについての経緯を説明した。

そして、あわせて、サンフランシスコ講和条約についての、1957年の米国政府の見解などを簡単に触れた。今回は、1952年以降の経緯について書く。

吉田茂と李承晩(Wikipediaより)

第1次会談は、1952年(昭和27年)2月15日から行われた。日本側は韓国に対する請求権を放棄しないことを宣言したが、これに韓国側は激しく反発して会談は中断した。

第2次会談は1953年(昭和28年)4月15日〜7月23日に行われたのだが、それに先立ち、李承晩大統領が1953年1月5日から非公式に訪日し、米国の斡旋で会談を行っているが、吉田茂は卑屈な態度をとらなかったし、李承晩も相変わらずだったので、表面をとりつくろう説明はあったが、あまり成果はなかった。

戦前で奉天総領事をつとめるなど練達の外交官であった吉田茂は、韓国との関係を早期に安定化させることを慌てるとか、ソフトムードで媚びようといったタイプではなかったので、原則論に従って立場を述べたし、それは正当なものであった。

第2回の交渉にあって、韓国側は日本が対韓請求権の要求をしないことを求めたが、日本はこれを受け入れなかった。この背景としては、もし、これをしないということになると、引き揚げ者から日本政府が補償を要求されるということを大蔵省が心配したと言うこともあった。

結局、韓国は「日本がすべての在韓投資に対する主張を撤回するだろうだろうという仮定のもとに会談再開を決定したものである」という立場を一方的に明らかにしたうえで交渉に入った。

そして、財産権請求委員会で、(日本が請求権があるかないかという「理論は抜きにして双方がその請求権を具体的に提示してそれについて現実的な解決を図る方法を見出すことに話し合い」がついたが見るべき具体的成果はなかった。

久保田発言は取り消されたが内容は否定されていない

第3次会談は1953年10月6日〜10月21日に行われた。ここで、日本側首席代表の外務省参与 久保田貫一郎の有名な発言があった。

NHK「さかのぼり日本史」より

(以下は、日韓会談「久保田発言」に関する参議院水産委員会質疑 1953年10月17日における久保田氏の説明)。

向うのほうからは請求権の問題につきましては、日本側の要求というものは認められないので、日本側の請求権というものはないのである。請求権の問題として考えられるのは韓国側から日本に対する請求権の問題だけである。その範囲できめればいいのだ、そういうふうに出ておりましたものですから、勢い我が方としても主義の問題に入らざるを得なかつたわけでありまして、私どもとしましては日本側の従来の請求権の、つまり私有財産の尊重という原則に基いた対韓請求権は放棄しておらないのだという議論に入らざるを得なかつたわけでございます。

そうしますと向うのほうでは早速日本の請求権の要求は多分に政治的であると、まあこういうわけなんです。その意味はよくわからないのですが、実は日本の請求権の問題は政治的ではございませんでして、非常に細かい法律論ではあるわけでございますけれども、向うはそう申しまして、政治的であると、ところが韓国の請求権の要求というものはもう裁判所にも出してもいいような細かい最小限的な要求で全部法律的であるのだ、若し日本のほうでそういうふうな政治的な要求を出すということが前から韓国のほうでわかつておつたと仮定すれば、韓国側のほうでは朝鮮総督の三十六年間の統治に対する賠償を要求したであろう、そう出て来たわけでございます。

そこで私どもとしましては韓国側がそういうふうな朝鮮総督政治に対する賠償というふうな、それほど政治的な要求をいたさなかつたことは賢明であつたと思う、若し韓国側のほうでそういう要求を出しておつたなれば、日本側のほうでは総督政治のよかつた面、例えば禿山が緑の山に変つた。鉄道が敷かれた。港湾が築かれた、又米田……米を作る米田が非常に殖えたというふうなことを反対し要求しまして、韓国側の要求と相殺したであろうと答えたわけでございます。

これに対して、「植民地支配は韓国に害だけを与えたと考えている」と韓国側からは、妄言として批判され、日韓会談は中断した。

日本側では、久保田発言の内容について批判する論調は皆無であり、ただ、ごく例外的に外交交渉をするにあたって無用なものいいだったという批判があっただけである。

国会では上記の久保田氏の説明に対して異論は全くなく、岡崎勝男外相が「当たり前のことを当たり前にいってだけ」としたし、鈴木茂三郎氏や勝間田清一氏らの社会党幹部も「李政権に嘗められている」「頑固なことを言うものは孤立させる。何も韓国ばかりが相手でない」といった発言をしている。

外務省の局長は「日本は日本国民が韓国で持っていた120~140億円の私有財産に対して請求権を持ち、韓国側は90~100億円の請求権をもつ。そこで、昨年の会談では双方を相殺しようと非公式にいっていたのに態度を変えた」といった趣旨のこともいっている。

李承晩ライン(外務省HPより)

さらに、緒方竹虎副総理、岡崎勝男外相、木村篤太郎保安庁長官は。「駐日韓国代表部の即時閉鎖」「職員の強制退去」「在日韓国人への生活保護の停止」「(李承晩ラインへの)武装警備隊の出動」を申し合わせたが実行はされなかった。

野党でも江田三郎氏が「帝国主義者だと逆手に取られやすい発言はしない方が良い」と言う趣旨のことをいったり、毎日新聞が「韓国側の不満の原因は独立を奪われたことにあるのだからあまり軽々しくいわないほうがいい」といった趣旨のことを書いたりしたが、いずれも、久保田発言の内容に異論を唱えたものではなかった。

韓国による漁船拿捕と漁民拉致

ところが、韓国側では李承晩ラインでの漁船の拿捕を強化し、日本はそれを人質にとられるかたちで妥協的な立場に傾いていった。またアメリカが調停に乗り出した。

そこで、岡崎外相は、1953年末に「韓国は抑留漁船員534名と捕獲船44隻を返還する」「請求権は相殺する」「久保田発言については双方の納得のいく措置を執る」という条件をアメリカに提示した。

韓国による日本船舶の拿捕(1953年12月、Wikipediaより)

そして、1953年12月1日には、岡崎外相が、久保田代表の発言は個人の発言なので取り消すとか言うものでないが、それで会談が開かれないことになっているのは建設的でないといった考え方を示して、まったく正当だった久保田発言を日本政府の考え方とは違うという方向に逃げてしまった。

1954年はじめには、撤回ということで会談再開というはなしがまとまりかかったのだが、韓国側が公式の陳謝、李承晩ラインを認め日本資産に対する請求権を放棄することまで要求したので膠着状態になった。

そして岡崎外相は、国会答弁で、「取り消すことは異議ないが、個人の発言に誤りようがない」といった趣旨のことをいっている。

さらに、日本が密入国者を強制送還しようとしたところ、韓国はこれを拒否し、さらに大村収容所の待遇に抗議し、李承晩ライン侵犯に対する刑期満了者まで帰国させず収容所に入れるという卑劣な人質外交を展開した。そして、7月17日には韓国が対日経済断行措置をとった。

そこで、日本側は、少し分かりにくい対応を始めた。吉田政権末期の10月であるが、①久保田発言の撤回②日本の財産請求権の撤回、③大村収容所の密入国者の釈放、④竹島問題は国際司法裁判所にかける、⑤李承晩ライン内での日本漁船の操業を認める、そして、少しややこしいのだが日本製品の購入である。

このあたりになると、韓国に請求権を行使してもどうせ取れないと弱気になってきたのである。

鳩山内閣で方針があやふやに

そして1954年12月には鳩山内閣が成立し親韓派として知られた岸信介が与党である民主党の幹事長になった。鳩山首相は韓国との正常化に意欲を見せ、「漁業権の問題が解決したら資産請求権などはかなり譲歩して良い」という意向を非公式会談で伝えた。

しかし、鳩山首相は3月に国会で「対韓財産請求権を放棄することはない」と答弁したので、韓国側は非公式会談を8月に打ち切った。

鳩山内閣は、日本側が密入国者を、韓国側が釜山に不法に抑留している漁民をそれぞれ釈放することに傾いたが、法務省は筋違いと反対し、国内の意思統一ができたわけでなかった。また、このころから、韓国の請求権要求が過大でなければ韓国に対する請求権を放棄していいようなことをほのめかし始めていた。

1956年5月には韓国で大統領選挙があり、大統領には李承晩がまた選ばれたが、副大統領には野党で、張勉が当選して日韓交渉に前向きな姿勢を見せた。

12月になって次期首相となることが決まった石橋湛山は、対韓請求権の完全放棄などを表明した。そして、1月になって岸信介外相が、久保田発言の取り消し、対韓請求権の撤回を韓国側に申し入れた。

この背景には、石橋内閣においては抑留漁民の釈放を勝ち取ることが最優先とされ、その切り札として対韓請求権の放棄が位置づけられたこと、そして、もうひとつは、日本政府が朝鮮などで私有財産を没収された人々に少額ではあるが、補償をする展望が開けたからでもあった。そして、2月には密入国者の日本国内での釈放と漁民の相互同時釈放が合意された。

韓国へ岸信介首相が好意的な対応をした理由

岸信介(Wikipediaより)

1957年に岸内閣が発足したが、岸首相は日韓会談の成功に意欲的で、就任の当日にフィクサーの矢次一夫と一緒に韓国の次期事務次官に決まっていた金東祚(戦前の高等文官試験に合格)と会い、「日本の過去の植民地支配を深く後悔し、早急な国交正常化をめざしたい」ということを願っていると李承晩大統領に伝えることを要請した。

これは、岸が安保改定を睨み、東南アジア諸国との賠償交渉をまとめ、蒋介石との関係を修復するということをしたのと同じ文脈と、李承晩ラインで困っている漁民の多くが地元である山口県民だったということもあった。

そして、3月22日に引き揚げ者に一人最高2万8000円を支給する引き揚げ者給付金支給法案を国会に提出した。また、4月には国会で、久保田発言の撤回や、対韓請求権に拘泥しないことに応じることも容認することを明らかにした。

そして、新しく駐日大使となった金裕沢は、日韓交渉の進展に不熱心な李承晩大統領の指示を無視するかたちで岸首相との話し合いを進め、6月11日に抑留者の相互釈放、久保田発言の撤回、そして、「日本は対韓請求権については放棄するが韓国がそれを踏まえて対日請求要求を法外なものにしないこと」に合意した。

ところが、韓国があとになって後段を拒否したので、藤山愛一郎外相は「これ以上の譲歩はしない」「対韓請求権を無条件に放棄しない」とした。

この日本の強硬姿勢に韓国側も折れて、「日韓請求権の解決に関する日本国との平和条約第四条の解釈についてのアメリカ合衆国の見解の表明」を基礎として在韓資産に関する請求権を放棄するとしたのである。

また、久保田発言は撤回したが、それは決して誤りだったという認識に基づくものでなかったことは当時から明白になっていた。ただし、韓国は勝手に内容的に間違いだったことを日本側も認めたのだとかいっていたのだが、そうでもしないと韓国世論を抑えられなかったのである。

日本の対韓請求権に関しては、1945年12月の米軍政法令第33条帰属財産管理法によって、米軍政府管轄地域における全ての日本の国有・私有財産を米軍政府に帰属させることが決定された。また日本国との平和条約第2条(a) には「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。

そして1957年に、サンフランシスコ講和条約第四条(b)の解釈について、米国政府が「解釈」を出している。これは次のようなものであった。

日本国は、これらの資産またはこれらの資産に関する利益に対する有効な請求権を主張することはできない。もっとも、日本国が平和条約第四条(b)において効力を承認したこれらの資産の処理は、合衆国の見解によれば、平和条約第四条(a)に定められている取極を考慮するに当たって関連があるものである。

つまり、直接に返還を要求したり、その代金をよこせということはできないが、最終的な請求権交渉にあたって、それが韓国政府に与えられたことを考慮することは可能だということであった。

これは、日韓のあいだにおいて、出発点においては、日本は互いの請求権を認め合い、差引勘定で日本が韓国から莫大な金額をもらうべきだと主張し、韓国側は韓国からはいっさい払う必要がなく日本が一方的にはらうべきだとしたのを、日本は払ってもらうべき当然の権利だが、それを放棄するが、韓国からの要求も無茶なものにしないという実際的な手打ちを岸内閣がしたのを、あとづけ的にアメリカが条約解釈だといって両国の世論の沈静化に努めたということだったようだ。

そして、この合意が請求権協定で具体化される。しかし、韓国側が日本の領土を侵犯して勝手に設けた李承晩ラインを根拠に漁船を不法に拿捕し漁民を刑に服させ、刑期が終わっても帰国させないという北朝鮮による拉致に匹敵する蛮行で脅され、不法入国者を引き取りもせずに日本国内に留まることを飲まされた。

さらには、日本側が本来は正当に要求できる対韓請求権を放棄させられたことの理不尽は記憶に留める必要がある。そして、韓国が徴用工問題で日韓基本条約を卓袱台返しにするというなら、いまこそ、あのときに渋々飲んだ屈辱的な解決をこちらこそ原点に返って要求できる良いチャンスなのかもしれない。

少なくとも、いつも半島との関係で、拉致だ拿捕だといった無茶苦茶な蛮行に屈するかたちで「平和」がたもたれてきたというべきかも疑問だ。いくら無理を聞いてやってもそれで友好が促進されるものでもない。また、新たなゆすりのたねを探す動機になってはいないかよく考えてみるべきだと思う。

(以下は久保田氏の国会発言の続き)

そうしますと向うのほうではだんだんとそれから深入りしまして、朝鮮総督政治は決して朝鮮の民衆を利したものではない、日本が警察政治で以て韓国民を圧迫して、そうして搾取したのだし、それから自然資源なんかも枯渇せしめたのだ、そうであればこそカイロ宣言に韓国の奴隷状態ということを連合国が言つておるじやないかというので、いわゆる韓国の奴隷状態でカイロ宣言が問題にされたわけでございます。

それに対しまして私は、カイロ宣言は、戦争中の興奮状態において連合国が書いたものであるから、現在は、今連合国が書いたとしたならば、あんな文句は使わなかつたであろうと一言答えたわけであります。そして、これがいわゆる私の発言と申されましたものの第二点でございます。

第一点は総督政治の問題、第二点はカイロ宣言、第三点は、その前から問題でございました日本の請求権の主張というもので、日本の請求権の主張のように、つまり韓国にありました日本の私有財産が没収されていないのだという解釈をとれば、これはアメリカの軍政府のやつた措置というものは国際法に合致しているのだけれども、仮に韓国のように、日本の私有財産は没収されておるのだという解釈をとれば、米国が国際法違反をやつたということになる。日本としてはそういう解釈はとりたくないのだ、そう申しましたのでございます。それが三点でございます。

そうしますと、韓国側のほうでは、大体今度の第二次世界大戦後の処理におきまして、非常に国際法が変つて来たのだ、そうして被圧迫民族、例えば朝鮮民族の独立と解放というふうな新らしい国際法の原則が出て来ましたので、その大原則の前に、例えば私有財産の尊重というふうな旧来的な国際法の原則が無視されておるのだということから、そうだということであれば、例えば朝鮮の独立にしても、講和条約を待たずにその前に独立をしておつた、それを日本が国際法違反と言うかと、そう出て来たわけであります。

そこで、それは第四点でございますが、それに対しまして私は、それは日本から見れば、韓国の独立したのはサンフランシスコ条約の効力の発生したときなんだから、その前に独立したということは、たとえ連合国が認めておつても、それは日本から見れば異例の措置である、そう答えたわけであります。又終戦のときに日本人が一括すべて裸で以て強制的に朝鮮から送還されたことも、これ又新らしい国際法の原則から割出した措置であつて、当り前の措置であつたので、これも日本側から言えば国際法違反であると言うかと向うからの質問であつたのであります。

これは第五の点でございますが、それに対しまして、それは占領軍の政策の問題でありまして、国際法の違反であるともないとも言わないと、それが大体十五日の請求権委員会におけるいわゆる私の発言というもののいきさつの大要でございます。それがございましたので、向うのほうでは、そういうふうな日本側の考えではとても話が続かないというようなことを言つておりましたけれども、果してその翌日にございましたほかの部会を向うは休みまして、それから日曜を越えて月曜日のほかの部会も向うは休みました。

それで二十日の会合でございますけれども、これは本会議の例会が予定されておつたのですが、それに出て来まして、向うの金代表が、この十五日の私と韓国側の応答を一々あらかじめ書いて来たものを読んだわけでございますが、一々繰返しまして、そうして向うはこう言うわけです。

日本の代表はこの前の請求権の会議で、先ず……少し順序が逆になつておりましたけれども、五の問題が逆になつておりましたが、先ず第一点として、韓国が講和条約の発効の前に独立したことは国際法違反であると言つた。第二点に、日本人が終戦後朝鮮から裸で帰されたことが国際法違反であると言つた。それから請求権の解釈について、日本は米国と韓国が国際法違反をしておると言つた。それからカイロ宣言の奴隷状態というものは興奮状態で書いたものであると言つた。

それから三十六年間の朝鮮の統治というものは……これは非常に向うは力を入れて言いましたけれども、少し向うの発言を要約紹介いたしますと、非常に興奮的なものであつて、強制的な占領である、そうして日本は貪慾と暴力を以て侵略したのであつて、そうして朝鮮の自然資源を破壊したのである、言論の自由も何もなくて、朝鮮人は奴隷状態になつたんだということを非常に強調したわけでございます。

そこで私は、こういう議論は際限なく繰返しても、会議の問題の前進には寄与しないのであるからして、簡単に答えるということを申しまして、もう一遍委員会におきまする十五日の発言の通りに、韓国の独立ということは日本から見れば異例であつたのだ、併しそれは国際法違反であるとかないとかいう問題ではない、ただ異例であるのだということを申しまして、それから日本人の送還は、これは国際法違反であるともないとも言わなかつたのだ、これはまあ財産請求権に対する日本の解釈は、当時にすれば、米国側の軍政府も国際法違反を犯したことにはならないのだ。それからカイロ宣言の効力は戦争中の興奮状態で書かれたものである。

それから朝鮮三十六年間の統治は、あなたがたの言われるような悪い部面もあつたかも知れないけれども、いい部面もあつたのだ。第一この問題は日本側は触れたくなかつたのだけれども、あなたがたは、マイナスばかりを述べるから、私のほうはプラスのことを述べたのだ、そういうことを言つたのでありますけれども、向うの側の金代表は、日本側の代表の発言は破壊的であると、これは五回も六回も同じことを繰返して言われるのです。

これはもうすべてこの前に回答した通りであるのだと言つて取り上げなかつたわけでございますが、向うのほうじや、こういうふうな日本側の代表の言うことは、すべて日本政府の基礎的な態度を示すものかと言いますから、一体それはどういうことだと言いますと、向うは又、朝鮮の独立は異例であるとか、カイロ宣言の文句をああいうふうに書いておるとか、朝鮮総督政治は韓国側に利益を与えたというようなことはとても受取れないというようなことを繰返しまして、結局二十日の本会議はそれで済んだわけでございます。

そしてそのとき最後に、日本側としては、委員会は毎週一回開くことになつておるのだから、この次は来週火曜日にしよう、明日は水産の委員会があるのだ、この水産の委員会では漁業委員会があるのだ、漁業委員会では、この前の漁業部会でも申したように、日本側は具体的の案を出すつもりであるのだ、水曜日の朝は予定通りに漁業委員会をやろう、その次に日本の請求権の委員会をやろうと、それをやつて第四回の本会議を来週の火曜にやろうと言つたのですけれども、向うが聞きませんでして、明日の漁業部会は一日延ばして、請求権も又一日延ばして順繰りにして、明日二十一日には第四回の本会議を開こうと頑張るものですから、そういたしまして、二十一日の本会議になつたわけでございます。

第四回で最後であつたわけですが、開いて見ますと、向うはやつぱり同じことを繰返しますので、ここで一々御説明する必要はございませんが、要するに同じことでございます。

もう私どもとしましては、この前答えた通りであると、向うのほうではこの通りになつていると言つて、私の言つたことを、例えば第一点の講和条約の発効前の韓国の独立は異例であると言つたのを、韓国側の議事録では、国際法違反だと言つたということになつているからということで、非常にいわゆる食い下つて来まして、それで最後に金代表は、こういうことだからして、先ず第一点として私にこの五つのステートメントを引込めてもらいたい。

第二点にこの五つのステートメントは無論間違つておつたということを認めろ、そうでなければ韓国側はこの日韓会談の会議に出席することが不可能である、そう言うものですから、私は同僚と相談いたしましたけれども、まあ一時そうして従来の日本側の日韓会談の妥結に対する熱意を述べましたあとで、特に水産関係のことで李承晩ラインの強制実施ということは非常に不当なことで、日韓会談の順調な進行を害したということを強調しましたあとで、最後に金代表のあれに答えると言いまして、第一点のステートメントを取消せ、ウイズドローしろ、引込めろと言つたことは、引込める考えは毛頭ありません、第二点の悪かつたことを認めろという点は、悪かつたとは考えませんと、これによつてあなたがたが会議に出て来られないということは、日本の代表部の希望と相反することであつて甚だ遺憾であるけれども、止むを得ないということで、まあいわゆる会議が続行不能と言いますか、決裂になつたような次第でございます。

これが大体まあ私の、新聞で言いました久保田発言というものの内容と、その前後の関係であるわけでございます。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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