小泉進次郎には「国家」が足りない

「他人の視線」を意識している政治家 

政府インターネットテレビより

今週、安倍内閣による内閣改造が行われた。注目はやはり小泉進次郎氏の初入閣である。

30代での入閣はやはり若く、安倍首相も「将来の内閣総理大臣」と見做しているからこそ国務大臣に任命したのだろう。小泉氏は日本の政治家としては珍しく「他人の視線」を意識した政治家であり、発言・振る舞いも印象重視で、しかもそれに成功している。

これは父・純一郎氏も同様であり、なかなか出来るものではない。

一方で「他人の視線」を意識した発言・振る舞いはともすれば軽薄に見られてしまう危険があるが、少なくとも世論次元ではこの危険は発生していない。世論で小泉氏に否定的な印象を持つ者は極小派のはずである。

案外、彼は印象重視の姿勢を最後まで貫き通せる自信があるのかもしれない。彼なら本当に印象重視だけで日本の政治を席巻する可能性があるから恐ろしい。

当然、我々国民が政治家を評価するにあたって最も重視しなくてはならないのは政策である。この政策について小泉氏の発信は強いとは言えない。農協改革や子育て政策の分野で発信したが画期的なものとは言えないし、特に子育て政策では「こども保険」の創設を提唱したが、これは増税を避ける「迂回戦略」であることは明らかであり詐術的とも言える。

小泉氏の政策面での発信は内政のミクロな経済・生活分野が多く良く言えば国民生活に密着した分野であるが、その内容の貧弱さからすれば氏特有の「他人の視線」を意識した政治行動ではないかと勘繰るのは少し性格が悪すぎるだろうか。

何よりも小泉氏が将来の内閣総理大臣ならば彼の外交・安全保障政策を評価したいところだが、この分野での彼の発信は特に弱い。特定秘密保護法や安保法制について彼は特に発信していない。外交・安全保障政策だけではない。2019年は天皇の代替わりがあり、これから新天皇の「即位の礼」があるのにもかかわらず、これについても彼の発信は弱い。

今話題の日韓の歴史認識問題についても特に発信はない。

将来の内閣総理大臣と評される政治家・小泉進次郎は限られた内政分野にしか関心を示さず国家の存立、国民の生命と安全、歴史的共同体としての「日本」に関わる分野、要するに天皇・歴史認識・憲法・安全保障・治安・ヘイトスピーチの分野での発信は弱い。

大雑把に言えば小泉氏は「国家」の発信が弱いのである。

日韓関係を見てもわかるように現在、戦後日本では稀なほど「国家」が求められている。この状況が続けば「戦後日本」というものが大きく変わるだろうし、もしかしたら「戦後日本」というものがなくなるかもしれない。

そんな時に将来の内閣総理大臣は「国家」を避けるべきではないし「国家」を避けたまま内閣総理大臣になったとしても「国家を語る者」に振り回されるだけだろう。

論を簡単に整理すれば政治家・小泉進次郎には「国家」が足りない。

「国家」を避けなかった父・純一郎氏 

小泉元首相(官邸サイトより)

「国家」が足りない小泉氏だが、父・純一郎氏は「国家」が完全ではないにしろ、かなりあった。

日米同盟の緊密化を推進しペルシャ湾とイラクに自衛隊を派遣したし、その過程で防衛上の秘密保全を図る目的で自衛隊法を一部改正し「防衛秘密」を新設した(特定秘密保護法の制定により『防衛秘密』は同法に吸収された)

言うまでなく小泉政権のこの施策が安倍内閣による特定秘密保護法や安保法制の制定に繋がったのである。

北朝鮮による邦人拉致の確定も小泉政権だからこそ出来たのであり、これがまた政治家・安倍晋三を内閣総理大臣にさせた。

こう考えると安倍内閣とは小泉純一郎が作ったようなものである。第一次安倍政権はまさにそうだし現在の安倍内閣も「民主党政権」という大前提こそあるが、全ては小泉政権から始まっている。

また小泉総理は靖国神社に繰り返し参拝した。現役の総理大臣が参拝すれば否応なしに靖国神社への関心が集まり、そこから「国家」への関心も高まるのである。

こうした小泉総理の行動は主義・主張に基づくのではなく多分に政治的打算があったと指摘されている。

小泉政権の対立勢力は田中角栄を源流とする勢力であり、彼(女)らは大雑把に言えば護憲的であり親中派でもあり北朝鮮に同情する姿勢すら見せた。その代表格が野中広務氏(2018年没)である。

小泉政権は対立勢力の真逆のことをやることで、彼(女)らの動揺を誘い世論から孤立させ最終的に分裂・凋落させた。確かに小泉政権の「国家」への関心は政局の結果かもしれない。とはいえ政治とは結果である。政治とは動機はどうであれ結果が良ければ肯定されるものである。

もし小泉政権が「国家」を避けていたら北朝鮮の邦人拉致も曖昧な扱いとなり、日本国内の親北朝鮮勢力も活動的で野中氏とその周辺を介して国政に深く浸透しようとしたのではないかとの危惧を筆者は抱く。野中氏とその周辺が拉致問題を「棚上げ」にした形で北朝鮮との国交正常化を推進していたことや同国へのコメ支援に熱心だったことを考えれば、これもあながち夢想とは言えまい。

小泉進次郎は「国家」を語れ 

日本国内には日本国憲法を聖典化し、これを振りかざし他人を攻撃することで自己正当化・立身出世を遂げようとする勢力がいる。彼(女)らは護憲派を自称するが真の意味での護憲派ではない。

日本国憲法の偏向的解釈を通じて我々が住む社会から「日本的要素」を積極的に排除しようとし、これを批判すれば我々の「遅れ」「歪み」「加害性」を強調し攻撃してくる。外国人、特に在日コリアンに関係する分野では高確率で「差別」「ヘイト」のレッテルを貼って攻撃してくる。ご丁寧にも国際機関を巻き込んで攻撃してくることもある。

ここで注意が必要なのは、憲法聖典化勢力は我々が住む社会から「日本的要素」を完全に排除・根絶することはしないということである。「日本」「日本人」という概念が消滅すれば彼(女)らの存在理由がなくなる。彼(女)らが欲するにはあくまで「野蛮で無知蒙昧な日本人」である。

小泉氏が内閣総理大臣を目指すならば、この憲法聖典化勢力と対峙しなくてはならない。父・純一郎氏にように「国家」を前面に出し、憲法聖典化勢力の動揺を誘い、世論から孤立させ、政治的に無力化することが求められる。

筆者は小泉氏の発信力ならそれが出来ると思う。同世代(筆者は小泉氏より2歳下の1983年生まれ)特有の贔屓を除いても彼にはその能力があると思う。あとは小泉氏本人の意欲だけである。

今、小泉氏に求められていることは「国家」を語ることである。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員