55歳になってわかったこと:人生は全て無駄から学んだ!

2019年09月29日 06:00

昨日9月28日は私の誕生日で、ついに55歳になりました!
ギャンブラーなのでゾロ目はなんか嬉しい~。
55歳はGO!GO!とくだらない語呂合わせをして、益々頑張ろう!と自分にはっぱをかけております。

ちなみにこの9月28日生まれというのは、自分のまわりにも非常に多く、なんとあの日本一有名なギャンブラー貴闘力さんも同じ誕生日です。
雑学ですが、2017年度版によると9月28日生まれは、12番目に多い誕生日ですが、9月、10月生まれって全体的に多いんですよね。

まぁ、クリスマスやお正月ってヒマだし、ロマンチックなことが多いからかと思いますが・・・(笑)
このサイトを見ると誕生日ですら、結構みんな人為的に調整してるんだなぁということが分かりますね。

日本人の誕生日で一番多いのは何月何日?2017集計版(テレビから始まるエンタメ情報HPより)

ところで本人が希望したわけでもないのに、人生が始まる・・・というのが人間のさだめな訳ですが、その上、この生い立ちというのものは、勝手に押し付けられるだけで、自分では希望を言うことすら叶わないという、かなり過酷かつ不平等な状況にあります。

にも関わらず、学校教育や世間の常識は画一的で、「親孝行」や「先生や親の言うことをよく聞こう!」
なんてことを押し付けられるのが、二重に辛いところです。

いやいや世の中危険な親や先生なんかいくらでもいるし、その上、力関係は100対0で危険な人達が持ってる訳ですし、まさに逃げ場を失う・・・状況にあります。

で、私の様に家庭の中は依存症と共依存でぐちゃぐちゃだし、学校の先生は暴力教師でひどい目にあうし、みたいな子供時代を送るとですね、どうしても親や学校や社会が言ってるレールになんか乗れなくなるんですよね。

心のどっかで「おめ~ら大人は嘘ばっか言ってるじゃね~か!」ってな気持ちがありました。

しかも自分の才能や美貌といった容姿の一つだって、自分で選ぶことができず、私なんぞ勉強もできなけりゃ、運動神経はゼロの上に、手先は不器用で、子供の頃からずっと「デブ」だの「ブス」だの言われ続けるようなポテンシャルしか与えられぬまま、1964年9月28日から、人生が否応なく始まっていったわけです。

私の様な取り柄と言えるものもない多動タイプは、とにかく生きていくために
「どっかに面白いことがないか?」「どこかに安住の地はないか?」「なんとか親に頼らず生きていきたい!」
と願いじたばたと動きまわって行くわけですね。

若い頃は「親に代わって庇護してくれるような男性に出会いたい!」と思って、恋愛依存で男の子のことばかり考え、ディスコだ!海だ!スキーだ!と恋愛におちいるシュチュエーションを走り回っていて、勉強なんか全然やりませんでした。

仕事だって、区役所の掃除という地味なバイトから、お菓子屋の店員、デパート店員、馬券売り、カード会社債権管理、先物取引会社、水商売、東大医学部秘書、弁護士秘書、和裁士、歯科助手、眼科助手、人材派遣会社事務などなど、とにかくもう自分でも覚えていない位、ありとあらゆる仕事をやりましたが、
現職以外とくに「これだ!」というスキルなど、何も身についていません。

真面目な人と一度結婚しましたけど離婚し、ギャンブラーと再婚して依存症になって、自分と夫の借金に振り回されたり、全く世話にもなっていない生き別れた横領犯の父親の最期を看取りあと始末する羽目になったり、祖父母の介護を叔父叔母に押し付けられたにもかかわらず、わずかばかりの祖父母の預貯金をめぐって、その叔父叔母と断絶になったり、まぁ、振り返ってみると私の人生は無駄な労力と失敗の歴史しかありません。

ですから若い頃は、毎日が不安でしかなく、じっとしていると不安がますます強くなるので、また、はちゃめちゃに無駄に動きまわる!ということを繰り返していました。

しかし、こうして誕生日を迎え、いよいよ人生も折り返しを過ぎてくると、人生無駄こそが財産だったのではないか?
ということに気がついたんですね。

無駄な時間や回り道しかありませんでしたけど、そのお陰で身についたことこそ、今の私を支えてくれている!と思うんです。例えばこんなスキルですね。

1)人見知りしない
私は、貧乏でいつ住まいがなくなるか分からない状況で、しかも親が一銭もくれないので、自分でとにかく稼ぐしかなく、人見知りしてたら死活問題でした。

2)引き出しが多い
なんせ無駄に職歴があるので、経験値が豊富です。
普通の人が怖がる「取り立て」とか「闇金」とか「反社会勢力」なんていう脅しにも、漠然と恐がったりしないですみます。

3)「弁護士」とか「医者」などの権威に強く無駄に尊敬しない
弁護士事務所と東大医学部で、本当に様々な士業の人と出会ったお陰で、ポテンシャルの違いというものをまざまざと見てきました。
ものすごく優秀で性格も良い人もいれば、実力もなく性格まで悪い!という人もいました。
だから運悪くポテンシャルのない人にあたった仲間に対して「言いなりになるな!」と、自信を持ってアドバイスできます。

4)様々な背景を理解できる
自分の生い立ちもそうですし、社会的な弱者が集まりがちな工場での日雇いバイトなども数多く経験してきたし、弁護士事務所でも、多くの社会的弱者の救済に関わったので、「人間は努力が全て!」などという想像力のない、強者による自己責任論を信じずにすみました。

5)先の見通しなんて立てない
子供の頃から「今を生き抜く」ことに必死で、将来計画など考えても仕方がないと思っていました。
環境や時代、他者からの巻き込まれなどなどで、あっという間に計画など狂うことを多数経験し、更に依存症から回復したお陰で、先取り不安がなくなりました。

と、このように私は、ある時点まではロクなスキルも身につかないまま、流されるままに、目の前のものにしがみついてとにかく生き延びたんですよね。
本当にある時点までは、自分の人生は無駄しかないし、どうしてこうなっちゃうんだ!と嘆きしかありませんでした。

でも依存症になり12ステッププログラムと出会い、回復することができた瞬間から、過去は全く変わらないのに、価値が全く変わったんですよね。
自分の変えるべき欠点も分かったけど、良い点も見つかったんですね。

つまり、安全なコミュニティで自分を受け入れ肯定されたことで、自分の人生を誰とも比較せず、受け入れることができたら、なんだかんだ言っても頑張ってきたな!と思えるようになって、「そのお陰で今がある!」とどんなちっぽけな体験でも大事にいとおしく思えるようになったんですよね。

他者比較地獄から抜け出せたら、掃除のバイトでも、工場の日雇いでも、そこで出会った人との人間模様とか、すごく価値あるものになったんですね。
つまり「こんなところにいる自分」と貶めていたのは、自分自身だったんですよね。

55歳になった今も、全然稼げる人になっていないし、相変わらず空回りばかりして、頑張って訴えてきたけど全く響かない!とか、法律作っても産業側に押し切られちゃって、当事者家族はないがしろ・・・とか、政治的なことは本当に負け戦ばっかりで、結果だけ見たら無駄な労力ばっか使ってますよね。

だけどそれでも辛抱して、現場でコツコツやってると、同情してくれる先生方も現れたり、その小さな努力を認めて味方になってくれる人もいたり、めげずにやろ~よ!と言ってくれる仲間がいたり、結果よりプロセスを楽しめるようになりました。
そして結果が出せない自分を責めることがなくなりました。

そして政治以外の現場仕事やエンタメ系のお仕事では自分の中で「クリーンヒット!」と思える繋がりや、結果をお披露目することもできるようになりました。
本当に有難いことです。

55歳になって分かったことは、他人にどう見えようと、自分の経験は無駄じゃない!
自分で自分の経験をバカにしないことだなって思います。

否応なく生まれてきたけど、生まれちゃったからには生きるっきゃないもんね!
Happy Birthday 私。

人生の前半戦はあんまり幸せでもなかったけど、後半戦は俄然楽しくなってきたね!
完璧な自分ではないけど、自分の人生を完璧に受け入れたよ。
だからこれからもますます無駄なことやって楽しもうね!


田中 紀子
公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
国立精神・神経医療センター 薬物依存研究部 研究生
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト

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公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表

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