親父(対外的には父と書くべきですが、このブログに関しては父だとニュアンスが違うので、敢えて親父と書きます)は、ひいおじいさんに「縁の下の蜘蛛の巣まで、おまえのものになるんや!」と言われ育った、生粋の田舎の長男です。
私にとって中学までは、親父が言うことが、私の世界の全てであり、常識でした。しかし、高校生になり、今でも親交のある友人と出会い、その友人たちと話していく中で、親父の言ってることが世の中の全てじゃないことに気づきます。
親父は20代で脱サラして個人事業主となり、今日までその仕事を続けています。だから私は「サラリーマン」というものを知らずに育ちました。
休みたいときに休み、陽が落ちたら帰ってきて、転勤もなく、家族でさまざまなところに連れて行ってくれる。そんな親父の姿を見て、「俺も早く独立するぞ!」と心に決めていました。
しかしながらそんな私が、どういうわけか典型的なサラリーマン人生を送ります。ベンチャー企業に就職したこともあり、私のサラリーマンライフは、イメージしていたものとは全く違い、刺激的でワクワクするものでした。
一方で、その代償もありました。入社以来、大阪→鈴鹿→太宰府→東京→大阪(結婚・長女誕生)→千葉(長男誕生)→岐阜と転勤を繰り返し、そのたびに家族のその土地での友人とサヨナラを言わせました。単身赴任も考えましたが、そのたびに妻の「私と一緒に生きる!」という覚悟に支えられて来ました。
また、親父は全てを自分でやりたがり、人を雇わなかったのに対して、私は曲がりなりにも上場企業の取締役5年とFC岐阜の社長約2年と、組織を動かしてきました。
田舎の長男であり、先祖の残した地を離れられない親父の中には想像できないであろう、『サラリーマンの面白さ』に私は価値を見出したのです。休みたい時に休めなくても、家族に相応の負担をかけても、私は今までしてきた仕事に誇りを持っています。
子供の頃、親父が口癖のように
「よそはよそ。ウチはウチ!」
と言っていました。
これは決して傲慢な発言ではなく、何人にも自分の生き方は流させないという、親父の覚悟の言葉だったと今は思います。
私は38歳で株式会社まんまる笑店を設立して独立しました。もう毎月25日に、給料が振り込まれる保証はありません。自分の力で仕事を取って来なければ、給料は無いのです。
そんな誰も守ってくれない状況で、自分の人生哲学を片時も曲げず、家族を守り抜いてきた親父の力は、やっぱり凄いです。
そんな親父が70歳の古希を迎えました。おめでとう!
「よそはよそ。ウチはウチ!」と死ぬまで言い続けてください。
私は「よそ」として、親父とは違うけど、親父に「大したもんだ!」と思われる生き方をします。
よく見とけよ‼️
この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2019年9月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。