中学生だった40年前に経験した部落問題の思い出 --- 井上 孝之

寄稿

私は関西のとある都市出身で、私が通っていた中学校の学区内には部落地区がありました。そこで経験したことを部落問題を知らない人に話すとみんな興味深く聞いてくれます。

なお、噂話として聞いたことは、「…と言われています」という形で書きます。その噂が本当かどうかは確認できないのですが、私の出身都市でそのような噂が公然と話されていること自体は事実です。

また、ここで書かれているのは私が中学生だった約40年前の話なので、今がどうなっているのは知りません。

himawariin/写真AC(編集部)

私の通った中学校の学区は二つの小学校の学区が合わさったもので、私の小学校の学区には部落地区はありませんでした。従って、中学校で部落問題を初体験することになります。

中学校の入学式の日に隣に座った子と仲良くなりました。その子が入学式が終わったあとに、「職員室に用があるから一緒に行こう」と言うのでついて行くと、その子は文房具セット(ノートやフォルダ、筆記具が入っていて、30cm×20cm×10cmぐらいのサイズだったと記憶しています)を受け取りました。

そのとき、その子はなぜそんなものを受け取って、私は受け取ることができなかったのかを理解することはできませんでした。この子は部落の子でした。

その後、人権の授業でその件についての説明がありました。要するに、かつて部落の子供たちは教育を受ける権利を奪われて、その結果として低賃金の仕事にしか就けず、その子供たちも教育を受けられないという悪循環に陥っていたので、その悪循環を打ち切るために、他の子どもたちのよりも手厚く、税金で教育をサポートしているのだと。

彼らは一般の生徒であれば有償の体操服や音楽で使う縦笛等もタダで支給されます。修学旅行もタダで行けます。

ちなみに、生徒は修学旅行に向けて、月々数千円を積み立てるための封筒が配られるのですが、修学旅行の代金を積み立てる必要のない彼らはその封筒の使い方が異なります。

彼らはその封筒に「鉛筆がほしい」、「ノートがほしい」と書けば、税金で購入されたものが支給されます。クラスの担任の先生がホームルームの時間に持ってきて、クラスのみんなが見ている前で堂々と渡します。私も最初は違和感を感じましたが、そのうち慣れてしまいました。

さて、「部落の子」ですが、誰が「部落の子」かをクラス全員が知っています。それは前述の人権の授業のときにこの子達がカミングアウトさせられて、「私たちが優遇を受けているのは、昔、差別があって、今でもその差別が残っているからで、私たちも早くそのような差別が完全になくなってほしいです」というような意見を言わされているからです。

学校での有償のものの扱いは明らかに他の子と異なり、家に遊びに行くと「行けばそれと分かる地区」であり、差別がない社会を目指しているのだからカミングアウトしても問題ないということで、「部落の子」であることを隠す感じはありませんでした。

私の学校の場合は、「部落の子」は各クラスに5~6人くらいいたと思います。このぐらいいると、頭のいい子もいれば悪い子もいるし、運動神経のいい子もいれば悪い子もいるし、美人の子もいればブスの子もいて、何らかの傾向があるわけではないので、「部落の子」も普通の人間と認識されていて、クラスの中での差別はなかったとも思います。私もまったく普通に付き合っていました。

私の通った中学校は学区内に部落地区を抱えているので、予算が潤沢に支給され、冷房が導入されたのも、少人数教育が実施されたのも、市で最も早い学校の一つであり、様々な設備が充実していたのは事実であったので、私自身もまた部落問題で恩恵を受けた人間と言えるかもしれません。

彼らの住んでいるところですが、市が建てた10階建てぐらいの集合住宅に住んでいます。家賃は格安と言われています。

通常、マンションというのは売られるときは商品なので、何らかのチャラチャラしたところがありますが、彼らの住んでいる集合住宅は最初からある特定の人たちが住むことを前提に建てられていて、外見的に商品性が全く感じられないので、見れば、「それ」と分かります。結果的にその建物が「その地域」であることの目印になっています。

路上駐車が多いこともその地域の特徴でした。近くに警察署があっても取り締まらないためだと言われています。

彼らの就職先ですが、市の職員の募集に優先枠があるので、就職先には困らないと言われています。これについては噂話として聞いて、本当かどうかを確かめるすべはないのですが、私の同級生に「俺は勉強ができなくても就職先には困らない」と言っていた子がいたことは事実です。

私の同級生にすごく頭のいい子がいました。彼が今、どこで何をしているのかは分かりませんが、多分、それなりの大学を出て、それなりの企業に就職していて、「部落とは全く関係がない」という感じで生きているのだと想像しています。

私が想像するに、彼のような頭のいい人は「その地域」をさっさと出て、別の場所で別の人生を送るようにする一方で、別の人生を切り開けない人たちは「部落の人間」という特権にしがみついて、「その地域」に残って市の職員にでもなっているのではないかと考えています。

最後に「井上」という苗字ですが、その地域に多い苗字でした。私自身は嫌な思いをしたことはありませんが、私の姉は部落の人から「お前も井上なら、部落の人間ということにしておけば、学校にかかる費用は全部タダになるぜ」というようなことを言われた時に、非常に複雑な心境だったようです。

井上 孝之
差別は良くないけど、彼らが受けている優遇もまたどうかと思っている技術系サラリーマン