ついに描かれた戦争の "前後史" の決定版:前田啓介『戦中派』

先日、編集者さんとの打ちあわせで言われたのだが、ぼくは業界でも「筆が速い人」の方に入るらしい。本人の自画像とはだいぶ違うが、でも想定外の事件の翌朝に記事を出したりはするから、たぶんそうなんだと思う。

公明党の連立離脱をどう見るか: プレイバックする1970年代|與那覇潤の論説Bistro
ご存じのとおり10/10、公明党の斉藤鉄夫代表は自民党の高市早苗・新総裁との会談後に「連立離脱」を発表した。 興味深いのは、外野の多くが高市氏と公明党とで溝になると見ていた、靖国神社参拝などのいわゆる "右傾化" ではなく、「政治とカネへの対策」が離脱の決定打になったことだ。 【速報】公明党が自民党との連立離...

ちなみに別の編集者さんからは、「なかなか落ちない人」として有名ですと聞いたこともある。新刊の執筆を簡単にOKしない人、の意味で、逆に言うと他の著者はそんなに気軽に引き受けまくってるのかと驚いたが、 “筆が速いのに” 受けてくれない、という含みだったかもしれない。

そんな次第で、実は〆切ものは “余裕をもってあらかじめ” 書かないと、落ち着かない性格だ。なのでよく、後で「しまった!」と叫ぶことが多い。もうちょい書くのを待てば、この本も記事で採り上げられたのに、的な。

2025年12月号 令和の京都地図 古くて新しい都のデザイン Wedge(ウェッジ)
時代が変わるたび、京都は常に進化を遂げてきた。「千年の都」京都は今後、どう変わってゆくのか。日本人のみならず、世界中の人々を惹きつけてやまない魅力や吸引力はどこにあるのか。京都に根を張る各界の先駆者たちに聞く令和時代の新しい京都地図とは─。文・増田明代、円城新子、土居丈朗、土方細秩子、編集部

前回ご紹介した『Wedge』の連載では、戦後80年目の収穫となる歴史書を3つ挙げたけど、まさに「しまった!」が執筆後にやってきた。刊行のたびに献本してくださる(これまでの拙書評を末尾に)、前田啓介さんの新刊が10月に出たのだ。

『戦中派 死の淵に立たされた青春とその後』(前田 啓介) 製品詳細 講談社
アイツが死んで、オレが生きた。誰にでもアイツがいた――。 戦没者が最も多かった1920~1923年生まれの若者たち。 青春を戦争に翻弄され、戦場で死の淵を覗いた彼らは、戦後、「なぜ死ぬのか」から「なぜ生きるか」への転換を強いられることとなる。死者という他者を内に抱えながら、高度経済成長の原動力となった数奇の世代の昭和史...

詳しい人には自明だけど、戦争を経験してれば全員が「戦中派」になるわけじゃない。学徒出陣や特攻隊志願など、”青春をまるごと戦争に捧げた” 世代を指す用語で、定義は人により幅がある。

本書では「1917~27年生」が戦中派で、核をなすのが「1920~23年生」だ(53・63頁)。ぼくは別の切り口で、”知識人” としての活躍が遅い山本七平(21年)・司馬遼太郎(23年)・網野善彦(28年)を、「遅れてきた戦中派」と呼んだことがある。

歴史がおわるまえに

前田氏の本書が圧巻なのは、有名・無名の戦中派世代の手記を用いつつ、戦時下だけでなくその “前と後” まで、彼らの人生に則して描いたことだ。戦後も80年目といえど、これは類書がないと思う。

「あの戦争」を語るとき、ぼくらの視点は “戦争そのもの” に行きがちだ。だから「戦後80年」と言われても、いまに繋がる後遺症を捉える戦後史の方は、大切なのにそこまで読まれない――と、つい愚痴っぽくなるけど、それはどうでもいい。

歴史を書くとき、ひとは社会をカウンセリングしている。|與那覇潤の論説Bistro
臨床心理士の東畑開人さんが、6/22の読売新聞に『江藤淳と加藤典洋』の書評を書いてくれた。いまは同紙のサイトで、全文が読める。 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤著 【読売新聞】評・東畑開人(臨床心理士) 戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ。自分は歴史学者を廃業したと記す著 ...

著者の肉親も含め、無数の人が登場する『戦中派』だが、軸になる親友コンビが2組ある。片方は、『戦艦大和ノ最期』の吉田満(1923年)と、彼の青春を伝える日記を残した志垣民郎(22年)。

マジメ一徹なエリート学生で、特に志垣は敗戦後に言動を翻した教授たちを許せず、匿名で暴露本まで書いた(276頁)。この人は内閣の機密費を使い、言論人を政権寄りに懐柔する仕事をしたことで有名だが、それも屈折ゆえかもしれない。

『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』志垣民郎 | 文春新書
内調は本当に謀略機関だったのか!? 内調は戦後日本を親米反共国家にするための謀略機関だった――今も残る謎のヴェールをはがす、創設メンバーによる第一級の歴史史料!『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』志垣民郎

もうひと組は、作家の安岡章太郎(20年)と古山高麗雄(同)。こちらはグレちゃったタイプで、どんどん軍国主義一色に染まる世相になじめず、入営までは飲みィのヤリィの、ひたすらふまじめに暮らしてすごした。

が、軽薄だったわけじゃない。体制になびかないだけで、むしろガチで気合の入った抵抗だった。

古山は、第三高等学校の口頭試験でも「八紘一宇」について「それと侵略主義とはどこが違うかね」と試験官に尋ねられ、「八紘一宇と言っても、結局は侵略主義です」と答えるというやり取りをしている……。

国のやり方に反発していたのは古山だけではないが、それを面接会場という閉じた空間であっても、当時の正解ではないことを言うのは勇気(蛮勇と言うべきか)が必要だっただろう。
(中 略)
そういう若者を全否定しない風潮も学問の世界にはまだあった。だからこそ古山がそう答え、試験官が「うむ」とうなずき、問いを終えた時、「通った」と思ったのだろう〔1940年入学〕。

112-3頁(強調と改行を付与)

ここまで180度反対の2組が、どちらも敗戦後、なぜ自分は助かり他の者が死んだのか、”偶然” 以外に根拠なく生き残るのは不誠実では、との問いに憑かれる。この対照が、圧倒的な世代のトラウマの過酷さを、読者に伝える。

より強烈なことに、さらに別の対比も重なる。

一般に戦中派を代表する作家は三島由紀夫(25年)だが、よく知られるとおり、徴兵検査に不合格で兵士の体験がない。ので、”拡大自殺” のための決起をバーチャルな代償行動と見なす視点は、本書に限らずいっぱいある。

京都アニメーション事件から考えたこと(私は如何にして歴史学者をやめたか)|與那覇潤の論説Bistro
本日1/24(水)の『朝日新聞』に、明日判決が出る京都アニメーション放火殺人事件についての談話を寄せました。紙の方は縮約版で、ウェブ(有料記事)にロング・バージョンが載っています。 事件が起きた2019年7月18日のことはよく覚えている。後に『ボードゲームが社会を変える』(共著)にまとまる企画のために、編集者と候補作...

が、ここで古山高麗雄の三島観を突きつけられると、思わず「うっ」と呻いてしまう。三島がコスプレする “純情な軍国青年” を冷ややかに眺めつつ、しかし自ら戦場をリアルに体験した古山は、事件をこんな風に見ていた。

そんな古山が「今度の三島由紀夫さんの自殺については、まったく感動がない」のだと、あえて書く。三島とは知らない間柄ではなく、熱海のホテルのプールで一緒に泳いだり、食事をしたりした知人であった。だから感情は動いたが、衝撃はなかった。
(中 略)
生死を決めるものが運であることを〔戦場での体験から〕知る古山は、だからといって、それですべてを納得させようとしたわけではない。どれほどその死に高尚な思想があったとしても、それは関係ない。死のうと思って死んだ人よりも、生きたいと思いながら死んだ人の方が哀しい。

383-4頁

悔しいので、著者が用いてない資料を引いておこう。古山が「プレオー8の夜明け」で受賞した芥川賞の選考は1970年の7月18日で、委員の一人が三島由紀夫。つまり、あと4か月で自殺する彼の、最後の選評にはこうある。

人生で大事なことを、日仏の「戦犯裁判」がぜんぶ教えてくれる。|與那覇潤の論説Bistro
奇抜なタイトルの作品が、有名な賞を獲ると話題を呼ぶが、これを超える例は今後もないだろう。 「プレオー8の夜明け」。内容はおろか、ジャンルさえわからないが、1970年の芥川賞受賞作。 8はユイットと読み、フランス語で「中庭第8房の夜明け」の趣旨だ。あの戦争が終わった後、仏領インドシナ(ベトナム)のサイゴンで戦犯容疑者...

「プレオー8の夜明け」は、体験曲折の上に、悲喜哀歓と幸不幸に翻弄された極致に、デンとあぐらをかいた、晴朗そのもののノンシャラント〔無頓着〕な作品で、苦味のある洗煉は疑いようがない。

しかしこうまで見事に腰の坐ったノンシャランスは危険である。今度はこれに対して、どんな野暮な批評も可能になるからである。あらゆる人の口をつぐませることはできないというのが文学のおそろしさで、そのことに九十九パーセント成功しているこの作品といえども、一パーセントの瑕瑾は免れなかった。

『芥川賞全集8』文藝春秋、536頁

自分は(内心バカにしていた)戦争の現場で悟った。ぜんぶ運だ。無価値だ。——といった古山の諦観に対して、「野暮な批評」かもしれないが、俺はもうすぐ軍国調で死んでみせる、99:1でもかまわない、と書いたのだろう。たとえコスプレでも、すごい気迫である。

そんなガチさなしで生きられる時代のほうが、もちろんいいに決まってるのだが、慣れすぎると今度はノンシャランスの方が堕落する。つまり、どーせ無意味ならニセモノでいーじゃん? な人が現われて、文学もガクモンも食い潰してゆく。

反知性主義の勝利: 50年後に日本を呑み込んだ「見えない全共闘」|與那覇潤の論説Bistro
むむむ、と唸るnoteを読んでしまった。出てくる学者の固有名詞には知ってる人もいるので、そうした個別の評価は留保するとして、なかなかグサッと来ることを言ってると思うのだ。 著者のヤマダヒフミ氏は、なんか最近、人文書に見える "学者と社会の関係" がおかしくなってないか? と問う。特に疑問なのは、こんなノリの本が増えた...

そんな時代にこそ、「本物」が必要だ。

歴史とは、この社会にも “かつては” 本物がいたのだと、確認しあうプラットフォームのようなものだ。その純正品、ホンモノの利用ガイドとして最良の手引きである本書が、ぜひ多くの読者を得ることを望みたい。

三島由紀夫と松本清張|與那覇潤の論説Bistro
明日2/2(金)20:00~より、「ことのは」のYouTube にて私のインタビュー後編の配信があります。前編と同じく、最初の1週間のみどなたでも無料で、その後は有料会員限定となります。 前編配信の際に書いた内容の続きで、今回もエッセイを載せておきます。お楽しみくださるなら幸いです。 ーー 三島由紀夫が松本清張を...

参考記事:

「バーチャルな戦争」の時代に見つめ直す「参謀」の真価:與那覇潤 | ブックハンティング | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
前田啓介『昭和の参謀』(講談社現代新書) 令和の世相から痛感するのは、日本人は「バーチャルな戦争」が大好きだということだ。新型コロナが流行すれば「ウイルスとの戦争」だと言い募り、ロシアが開戦するや…
資料室: 鈴木清順の戦争体験|與那覇潤の論説Bistro
準備している来月の仕事のために、以下、個人的なメモです(なので、アゴラには転載しないでください)。 問 鈴木さんの映画の殺しの場面は、なにかコミカルに見えるんですが。 鈴木 いわば映画ですから。戦争に行ってもそんな感じを受けたんですがね。滑稽なんですよ。  いや実に申しわけないんですけどね、たとえば海でやられまして...

(ヘッダーはAmazonでの広告。左の軍装が古山高麗雄、右写真の中央に吉田満・右隣に志垣民郎)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。