問題映画『ジョーカー』から考える「無敵の人」問題(※ネタバレなし)

2019年10月07日 06:00

『ジョーカー』は超スゴイ問題作映画。おすすめです

ツイッターで色んな人が絶賛していた映画「ジョーカー」見てきました。

この記事では、ネタバレなし(”あらすじ”程度は書くので嫌な人は気をつけてください)」の簡単な紹介と、映画テーマでもある「格差社会」問題への対処について考えてみたいと思っています。

どんな映画なのか、簡単に説明すると

どういう映画かを説明すると、「ジョーカー」はバッドマンシリーズの「悪役」だったわけですが、

格差社会の底辺的絶望の中でそれでも希望を失わずに生きていた主人公が、もがいてももがいても逃れられない不幸の連鎖の中でさらに困窮していく先で”暴発”して、悪の「ジョーカー」として覚醒する。その「ジョーカー」の活動を見たゴッサムシティ(ニューヨーク)の貧困層が、ジョーカーと同じピエロの扮装で街中で暴れだして大混乱になっていく

みたいな話です。シリーズの「もともとの主役」だった”バットマン”はむしろ世界の混乱の中でも自分の立場だけを守る行動をする富豪として、「悪役」扱いで出てくることになる。

全体的に、今のネット用語でいう無敵の人(もう”自分には失うものがない”から、できるだけ暴走してこの社会をぶっ壊してやる…と行動する人)の暴走を、格差社会の中で不満を抱える層が共感して一緒に暴発しはじめる話とまとめることができるかもしれません。

「無敵の人」問題に私たちはどう対処すればいいのか?

ともあれ、先日の「京都アニメーション」事件とかを考えてもわかるように、「無敵の人」の暴走事件というのは世界中で大きな課題になっていますよね。

そういう課題について、私は今度5年ぶりの新刊として、みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?というド直球なタイトルの本を出すんですが、その本の視点から、こういう「無敵の人問題」について私たちがどういう方針で対処していけばいいのか、という話を書いてみたいと思っています。

格差社会で困窮する人々を本当に救うには、格差社会に対する怒りを、単に暴発させるだけでなく「経済の構造変化」につなげていく必要があります。そのプロセスを丁寧にやることこそが、ひとびとに”ジョーカー的暴発”を起こさせないための私たち全員の責任でしょう。

最近、元ゴールドマンサックスのアナリストで、今は日本の伝統工芸の会社の経営をされているイギリス人、デービッド・アトキンソン氏が、日本は中小企業を保護しすぎており、結果として大企業による合併・巨大化が進んでおらず、それがいわゆる低生産性に繋がっているという趣旨の記事を書いて話題になっていました。

こういう見立てに、私は半分賛成、半分反対です。

20年弱も前に、私はマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社で、アメリカの学会と日本政府の共同経済研究プロジェクトに(末端も末端のアナリストとしてですが)参加し、日本の企業の低生産性問題について大規模な調査を行ったことがあります。

その結論は、ほぼほぼアトキンソン氏の言っていることに近いものだった。よく言われるような

・日本は製造業の生産性は高いがサービス業の生産性が低い
・サービス業の低生産性の理由は零細規模の業者が多く大資本による合併が行われないこと

みたいな感じでした。過去20年色んなところで「こういう話」を聞かれた方も多いように思います。

ただ私はこのプロジェクトで流れ作業で「はい、低生産性の理由はチェーン化率がアメリカに対して低いこと!エビデンスはコレ!」みたいなパワーポイント資料を次から次へと作りながら、「ほんとうかなあ…」という疑念が止まらず、最後にはノイローゼ気味に精神を病んでしまいました。

結局その後は「アメリカや東京の恵まれた人たちの視点からでは見えていないこと」をちゃんと見ることが必要な時期がいずれ来るはず…と思ってその後肉体労働やら宗教団体やらホストクラブやらとにかく「恵まれた立場の外側」の社会に潜入する!みたいなことをやったあげく、日本の「中小企業」相手のコンサルティングや色んな個人へのコーチング的文通なんかを仕事にして生きてきました。

そういう「色々な体験」ゆえの結論として、アトキンソン氏の話に対して思うことは、

疑問① 経済の新陳代謝を保ち、どう考えてもブラックな企業の退出を促しつつ余力のあるところが合併して構造を変えていくことは重要だと思うが、その視点が”大企業vs中小企業”というだけの分類でいいのか?

疑問② あらゆる小さな単位の商業主体が巨大資本の一部になっていく社会が、本当に人々にとって”幸せ”なんだろうか?単に中小企業に関する法律問題じゃなく、”そこに幸せを感じない”から実現しないという構造もあるのでは?

という視点を追加で吟味することで、アトキンソン氏の提言が「日本社会」にちゃんと受け入れられる文脈が生まれるのではないかと思います。

疑問① 問題は資本の大きさだけではないのでは?

私のクライアントの”中小企業”でも、意識が高くてちゃんと社員の工夫を吸い上げてブラッシュアップし続けることで「最先端にもついていけてるし、地元密着型の人々の心の安定も保たれている」みたいな会社は結構あります。そういうところが拡大しようと思っても人手不足が常に問題になっている一方で、社員を明らかにブラックな環境で使い潰すだけでもう資金繰り以外何も前向きなことは考えられなくなっている会社も多い。

そして単に「大きさ」で見るなら、「意識の高い中小企業」よりもよっぽど化石化してる大企業もある。よく言われる「現場監督はエライが将軍がダメな日本軍」的な問題として、日本人が文化的に「取り回しやすいサイズ」というのもあるのではないか?

だから単純化した国際比較の論理の結論としての「大資本が中小を飲み込むべき」というより、労働基準法の監督を厳しくしたり最低賃金を徐々に上げることで「どう考えてもブラック」な企業の退出を促しつつ、その先での「ちゃんとできてる中小企業」が、「崩壊状態の中小企業」の放出分のリソースを活用して拡大していくという「役割分担」が見えてくる必要があるのではないか?

疑問② すべてが大企業になると人々は幸せになれるのか?

これはかなり難しい問題ですが、映画「ジョーカー」を見てても、中小企業的な土着の人間関係がまったくない商業化が果てしなく進んでいく社会は、「知的な個人主義者」にはいいけど、普通の人はかなりツライんじゃないかという気がします。それに対する心理的抵抗感も、そういう構造変化が起きない理由のうち結構大きいはず。

社会の”中間集団”を果てしなく「ディスラプト(破壊)」して、すべての個人を”グローバリズムの中の孤独な砂粒”に転換してしまうような「非常にアングロサクソン的な風潮」が、世界中で過激なバックラッシュ的右翼ムーブメントに繋がっている問題もある。

一方で、私の新刊で扱った「キャディ株式会社」(詳しい話はこのリンク先の無料公開部分をお読みください)のような

「日本から生まれた最先端ビジネス」が、「中間集団をディスラプトしない形での最先端技術と最先端経営手法の導入」を目指していることは、アングロサクソン的にすべての個人をグローバリズムの中の砂粒にしてしまうビジョンに対抗する「希望」を生み出しつつある

と私は感じています。

“部品となりあう”幸せの道を欧米人は見逃しがち

欧米人は、「全人類の歴史(神)の前にたった一人で立つ個」というかなり無理のあるストーリーを「全人類」に押し付けようとして、ジョーカー的な袋小路に陥る人を世界中に生み出しがちです。

そういうストーリーを生きたい人はそうすればいいですが、しかし多くの普通人が幸せになれる道はむしろ、

あまりトクベツだと思われない人間同士が、お互いが「あえて部品となりあう」ことによって、「この人生のトクベツさ」をお互い祝福し合うビジョン

の中にこそあるはずです。

アトキンソン氏の提言は「小手先の働き方改革とかじゃなくて構造変化が必要」という話には非常に同意するのですが、それを日本社会に受け入れてもらうために、「あと一歩」上記のような疑問に「ローカルな個別問題」として向き合う必要があるように思います。

上記の「キャディ」の例のように、アングロサクソン型の自己責任社会にはない新しいビジョンが、ネットに溢れる「日本もうダメ論」の絶叫の背後からヒタヒタと育ってきているのを私は感じています。

希望を失わず、一歩ずつ自分たちなりの繁栄の仕方を見つけていきましょう。まだあわてるような時間じゃない。

そういうビジョンについて書いた新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」…以下のリンク先の無料試し読み部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない…と私は考えている提言については、以下をどうぞ。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

 

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
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倉本 圭造
経済思想家、経営コンサルタント

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