ラグビーW杯で議論:タトゥー規制は「結社の自由」の代償である

文化ではなく治安の問題

日本で開催中のラグビーワールドカップでサモア代表が日本滞在中はタトゥー(入れ墨)を隠すことを表明しネットではちょっとした話題になっている。特にハフポスト、BuzzFeed Japanといったリベラル系メディアは大きく取り上げている。

ラグビー選手に「日本ではタトゥー隠して」世界で論争に ワールドカップ(ハフポスト )
タトゥーがこんなにも嫌われる理由(BuzzFeed Japan)

公共施設でのタトゥーを隠す配慮が話題となったサモア代表(ラグビーワールドカップ公式インスタグラムより:編集部)

ハフポスト、BuzzFeed Japanの過去の記事を見ると両紙は昔からこのタトゥー規制に強い関心がある。

サモアの選手が「日本文化の尊重」という観点からタトゥーを隠すことにしたためかBuzzFeed Japanは驚くことに「魏志倭人伝」を根拠に「日本にはイレズミを愛好する伝統があった」の類の主張をしている。これはBuzzFeed Japanが言外に「だからタトゥー規制は不当である」と主張していると見ても良いだろう。

しかし、タトゥー規制は文化の問題なのだろうか。入浴施設でタトゥーがある者の入店が拒否されているのは日本の文化なのだろうか。そう思う者はほとんどいないのではないか。日本人でタトゥーを警戒する者のほとんど全部が暴力団に代表される反社会的勢力への警戒ではないか。実は上記の記事もそういう前提で書いている。

だから日本におけるタトゥー規制とは文化ではなく治安問題であり、要するに反社会的勢力対策の一環と考えるべきである。

HiC/写真AC(写真はイメージです。編集部)

入浴施設でタトゥーがある者の入店規制がいつ始まったのかはわからないが、おそらく暴力団対策法が制定されてから自主規制の風潮が強まったのだろう。

というのも暴力団対策法第24条で少年への入れ墨の強要、勧誘その他補助が禁止されている。

これは警察が「暴力団員=タトゥーがある者」と認識していることの証左であり、国が「暴力団員=タトゥーがある者」と公認したようなものである。

だからタトゥー規制を論ずる前に日本の反社会的勢力対策に触れなくてはならない。

これについては前に触れたが、改めて簡単に記すと日本の反社会的勢力対策の特徴は「結社の自由」を否定しないことである。戦後日本はドイツやイタリアのように「結社罪・参加罪」を設け、反社会的勢力の存在を非合法化しなかった。非合法化どころか反社会的勢力の存在を認めたうえでその行動を規制するという手法を採っている。

暴力団対策法では「暴力団」の定義を明確にし、それに基づき公安委員会が特定の団体を「暴力団」と認定し各種行動を規制するのである。日本の反社会的勢力対策は強力な規制の行使を通じて反社会的勢力を解散させるのではなく反社会的勢力を社会から孤立させて結果的に解散させるという手法である。

そして入浴施設でのタトゥー規制も反社会的勢力を社会から孤立させるための治安対策の一環に過ぎない。言い換えればタトゥー規制は結社の自由の代償である。

だから入浴施設でのタトゥーを解禁するのは実に簡単である。反社会的勢力の結社の自由を否定すれば良いのである。反社会的勢力の存在を非合法化したうえで警察が反社会的勢力構成員の顔写真入りのデータベースを入浴施設に配布すれば彼(女)らも入浴施設にやってこなくなる。

ハフポストとBuzzFeed Japanも回りくどく「文化摩擦」とか「昔、日本人はタトゥーをしていた」の類の主張をするのではなく堂々と「反社会的勢力の結社の自由は否定すべきである」と主張すれば良いのである。リベラル系メディアが結社の自由を否定する光景はまさに見ものである。

「タトゥー規制は差別だ」は論外である

もちろんリベラル系メディアが結社の自由を否定するとはとても思えず、おそらく「日本にはイレズミを愛好する伝統があった」とか「タトゥー人口は増えてきた」といった報道をしていくだろう。正直、この程度なら大した話ではないが筆者が不安なのは「タトゥー規制は差別だ」という言説が出てくることである。

日本のリベラルの特徴は「リベラルな社会を建設する」ことではなく「リベラル用語を使用して他人より優位に立つ」ことである。

こんなリベラルにタトゥー規制の議論をやらせたら「タトゥー規制は差別だ」という主張が出てくる可能性は極めて高い。

現代の日本人がタトゥーに対して抱く不安は反社会的勢力への不安に他ならない。重要なのはこういう不安を解消する形で議論していくことである。

我々一般人は反社会勢力に対抗出来ない。反社会的勢力との接触を拒否することで精一杯である。接触を拒否する手段としてタトゥーを根拠とすることは当然である。「タトゥー規制は差別だ」という主張はとても受け入れられない。

だから反社会的勢力の結社の自由が否定されない限り「タトゥー規制は差別だ」という主張が論外である。知識人・マスコミ人でこの主張をする者はその見識が問われよう。

もちろん筆者も反社会的勢力、特に暴力団の勢力が大幅に弱体化していることや一部若者でタトゥーが普通になっていること、一口にタトゥーと言ってもその模様、大きさは様々であることは承知している。

とはいえタトゥー規制が結社の自由の代償であることを考えれば「外国人観光客が増えた」とか「東京オリンピックが迫っている」程度の理由で解禁すべきではない。

タトゥー規制の議論は日本人の「無理解」「遅れ」「差別意識」を強調するのではなく「不安」「警戒」「恐怖」の解消を基礎に進めるべきである。

仮にハフポストとBuzzFeed Japanの記者がタトゥーをしているのならばそれを公表することも議論の活性化に繋がるだろう。

いずれにせよ「タトゥー規制は差別だ」という主張は絶対に阻止しなくてはならない。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員