SNS時代の過激運動抑止にも有効:戦後日本の「反社」対策

SNS発の過激運動

SNSに代表される情報伝達・共有技術の革命的発展により、自己抑制に課題のある者同士の交流が可能となり「SNS発」の過激な主張や行動が注目を集めることが多くなった。

よく知られているのが「行動する保守」を掲げる在特会・日本第一党関係者による在日コリアンを標的とした集会・集団行進である。

在特会・日本第一党関係者の過激運動は思想が同じ、若しくは近い者同士が交流したからといって、その思想が発展するとは限らない好例と言えよう。

この「SNS発」の過激運動は右派のものばかりが注目を集めるが、これは右派特有の現象なのだろうか。もちろんそうではない。左派にも確認され在特会・日本第一党関係者への対抗運動もこの現象の一例だし、最近の例で言えばやはり参院選での安倍首相への演説妨害が挙げられよう。

左右問わず他人の演説・集会・集団行動への妨害は許されず、それが特定の主義・主張に基づくものならばなおさらであり、反民主主義的行動に他ならない

情報伝達・共有技術の発展は今後も続くことは確実視されており、こうした過激運動が益々盛んになるに違いない。

だから今、過激運動への「対策」を採ることが求められている。

治安維持法の反動

戦後日本では過激運動への対策は抑制的だった。社会運動対策は必然的に日本国憲法で保障された集会・集団行進・結社の自由との調整が必要となるため、議論が紛糾し結局、対策は足踏み状態になる。

もちろん戦後日本の治安法制を確認すると集会・集団行進・結社の規制を意識したいわゆる公安条例や破壊活動防止法が存在する。もっとも前者は集会・集団行進自体を規制するものではなく主催者による事前届を求めるものに過ぎないし、後者は特定の団体を解散させる強力な措置を採れるが戦後一度たりとも解散措置は発動されていない。オウム真理教にすら解散措置は発動されなかった。

確かに集会・集団行進・結社の自由は自由社会の基礎を成すものだが、オウム真理教のような団体に対しても解散措置が発動されなかったのは戦後日本に「特殊事情」があったからであり、それは戦前に猛威を振るった治安維持法への反動に他ならない。

そのため戦後日本では集会・集団行進・結社の自由を規制することに極度に敏感になり、

「ある組織に加入している」とか「ある集会に参加している」というだけでは逮捕されなくなった。この是非については、ここでは立ち入らない。

重要なのはこうした「特殊事情」を踏まえたうえでSNS発の過激運動への対策を議論することである。

では集会・集団行進・結社の自由に抵触しない範囲内でSNS発の過激運動への対策は可能だろうか。結論から言えば可能である。

今、巷を賑わしている「反社会的勢力」への対処法がそれを示してくれる。

戦後日本の特殊な治安政策

日本の伝統的犯罪組織として「暴力団」がある。彼(女)らは凋落の一途を辿っており、今は暴力団に加入しないいわゆる「半グレ」の方が問題だと言われるほどである。

この凋落著しい暴力団だが昭和の時代までは巨大勢力だった。しかしいわゆる「暴力団対策法」の制定を機に凋落が始まり、ここ10年あまりは各地でいわゆる「暴力団排除条例」が制定されて日本社会全体から締め出されようとしている。

この暴力団対策法・暴力団排除条例の妙は暴力団の定義こそ明確化するが暴力団の結社自体は否定せず、その活動や交流を規制することにある。

「あなたの存在は否定しない。しかし行動に制約はかける」というものであり「治安維持法への反動」を考えれば、これが限界だろう。

そして注目に値するのは暴力団排除条例であり、同条例は市民による暴力団への利益供与を禁止するものであり、暴力団ではなく市民の行動が規制されるのである。

市民による利益供与が禁止されたため単純な接触すらも避けられるようになった。

これらの措置は暴力団を社会的に孤立させる。「暴力団を村八分にする」という表現も出来るだろう。

現在は包括的な組織犯罪として暴力団に加えて、それに類する勢力(特殊詐欺集団など)をまとめて「反社会的勢力」と定義し、やはり社会的に孤立させている。この「社会的孤立」を強いる手法は戦後日本が生み出した特殊な治安政策と言えるだろう。

「社会的孤立」は相手に打撃を与える性格を有するが、それは身体の自由を奪うものではなく、あくまで「孤立」という心理的打撃を通じて相手の活動を修正させる、変革(自発的離脱など)をただすことである。

だからこそ反社会的勢力対策として採用され、また成功している。

この「社会的孤立」をSNS発の過激運動にも適用するのである。

SNS発の過激運動と対峙を

SNS発の過激運動対策として既に右派を念頭に置いたいわゆる「ヘイトスピーチ解消法」が制定されている。

しかし右派に限らず左派を含めた過激運動全般への対策を推進すべきであり、ここで「社会的孤立」を採るのである。

現在の過激運動を踏まえるならば、少なくとも特定の主義・主張に基づき組織的に他人の演説・集会・集団行進を妨害し、それが特に悪質な場合は、公安委員会若しくは地方裁判所がその組織を「過激団体」と認定し団体と構成員による公共施設の利用、銀行口座の開設、住宅の賃貸契約その他市民による利益供与に制限を課すことが出来るようにすべきではないか。

繰り返しになるが社会的孤立の妙は相手の身体ではなく心理に打撃を与えることを通じて変革をただすことである。

社会から孤立した運動に発展の見込みはない。味方がいない、支援の期待出来ない運動が成功するはずがない。他人に孤立を強いることは陰湿かもしれないが刑務所に入れるわけでもない。過激運動の従事者が孤立により虚しさを感じて一念発起して平和運動に転身してくれればそれはそれで結構な話である。

現在の過激運動はともすれば我々が住む自由社会を転覆する能力を持つ可能性も否定出来ない。

自由社会を守るためにも過激運動と一線を画し対峙する姿勢を示す時期に来ている。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員