反イスラエルが尾を引く?
村上春樹が今年もノーベル文学賞を逃しました。有力候補と言われ続けて、何年になるのでしょうか。ある理由から今後もまずないと思います。私は6年前と3年前の2度、同じような主旨で、同氏がなぜノーベル賞から見放されているかを書きました。
この時期になると、このブログにアクセス件数が増えるのと、今でもその理由は通用すると思っていますし、まだお読み頂いただいていない方もおられるでしょうから、少し手をいれて再投稿しました。私は文学の専門家でもないし、村上ファンでもありませんので、主に非文学的な理由からのアプローチです。
日経新聞の人気連載「私の履歴書」に、分子生物学者でノーベル賞受賞者の利根川進さんが13年10月、1ヶ月分の連載に登場しました。同氏を存知あげていたこともあり、毎日、読んでおりました。最終回に近いところで、利根川さんはこんなことをおっしゃっています。
評価基準が曖昧な人文系
「サイエンスをやってきてよかったのは、いい成果をあげれば、客観的な評価を受けて自らの進む道を決められることでした。人文科学や社会科学の分野だと、評価は曖昧で揺らぎます。場合によっては、研究以外の要素が評価に関係してくるでしょう」
これはノーベル賞についても、言外に触れているのだろう、とわたしは思いました。経済賞、文学賞、平和賞などでは、こうした指摘が当てはまるからです。では、村上さんの場合はどうなのでしょうか。「研究以外の要素」で思い浮かぶのは、村上さんが2009年に、エルサレム賞(文学賞)を受賞したこととの関係です。
当時はイスラエルによるガザ侵攻で1000人以上のパレスチナ人が生命を落とし、イスラエルに国際的非難が集中しておりました。村上さんが授賞を承諾したこと自体に、「辞退せよ」の批判が聞かれたほどです。村上さんはイスラエルに行って授賞式に臨む選択をし、有名になったスピーチをしました。
「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は卵側に立つ」。さらにこういいました。「高い壁は爆弾、戦車、ロケット弾など、卵は押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民です」と。平和を重視する立場に立てば、勇気ある発言です。主催者のイスラエルの立場かすると、許せない発言です。
エルサレム賞を受け、イスラエルに行くこと自体がイスラエル寄りだと非難される一方で、卵を擁護したこと、つまりパレスチナ市民側に立ったことがまた非難の対象になった。スピーチの途中から、臨席していたペレス・イスラエル大統領の顔がみるみるこわばってきたと描写した記事も見かけました。
授賞のカギを握るユダヤ系
ある統計によると、これまでノーベル賞は800人以上の人に贈られ、少なくとも20%がユダヤ人(ユダヤ系)だそうです。ユダヤ人とノーベル賞との関係がいかに深いかが分ります。受賞者には、投票する権利も与えられています。文学賞の受賞者もユダヤ系は15人程度の多さです。
ユダヤ人(ユダヤ系)を敵に回せば、利根川氏が指摘する次元の話になりかねません。16年のノーベル賞では、村上氏が街では最有力候補になり、「今年こそ」の期待が高まりました。結果は米国の歌手、ユダヤ系のボブ・ディランでした。「なぜ歌手が受賞し、文学一筋の村上ではないのか」。日本では落胆の声がしきりでした。
ボブの祖父はユダヤ人で、迫害されるロシアから米国に亡命しました。ボブはユダヤ人として育てられたそうです。ボブはユダヤ系です。もっとも70年にキリスト教に改宗し、反戦歌風の曲も多く、反イスラエルでもあるとの解釈もあります。
もう1点。多少は文学論的な話です。「村上氏らは、文学の翻訳に熱心に取り組む数少ない作家であるとともに、自らの創作の糧にしている」、「村上氏はアメリカ文学に精通している。ジェラルド、カポーティ、チャンドラーら、アメリカ文学の影響を受けている」。どこかで読んだ指摘を思い出しました。
そういう背景があるから、同氏の作品は外国語に翻訳しやすいし、海外でも高い人気を保てるということでしょうか。このことを逆の方向から見ると、オリジナリティーがどこまであるのかという問題にぶつかります。
小説家の高橋源一郎さんが「小説教室」(岩波新書)の中でこういっています。チャンドラーの作品と、村上氏の作品を取り上げ「よく似た箇所がある」と、具体例を挙げて指摘しています。高橋さんはそのことを批判はしていません。
作家は他の作家の「まねをしながら、少しずつ、自分のことばみたいなものをまぜて使うようになっていく」ものだそうです。作家はそうしたプロセスを経て、どこまでオリジナリティのある次元に達したかが評価の分かれ目になります。オリジナリティとなると、分野を問わずノーベル賞全体に共通する重要な要素であるからです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年10月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。