ミーイズムと民主主義

2019年10月20日 14:00

この10年、若い人たちの生き方や考え方の変化にやや驚きをもつことがあります。いわゆるミーイズム(自己中心主義)の復活であります。ミーイズムの原型は70年代のアメリカあたりが発祥ともいわれていますが、私は時代ごとに形を変えながらも人間の本質に迫るべくミーイズム、つまり自己満足の追及があったと考えています。

先進国を中心に物質的欲望が満たされた国々では次に精神的満足感を求めるようになります。例えば我々の消費がモノからサービスに移ってきていることが挙げられます。街中にはマッサージ店が急増し、専門的な分野を売りとする町医者も増えてきました。これは健康を個人の満足度から追及する一環でしょうか。イベント会場はますます大盛り上がりですし、インスタ映えするところに行ってみたいという自己満足充足の意思はますます強くなります。

(写真ACから:編集部)

(写真ACから:編集部)

近年のミーイズムの特徴として承認要求をSNSを通じて求めている点に特徴があると思います。つまり「俺は、私は、こんな人」ということを公開した上で自分に共感を求めるコアな人だけを取捨選択するのです。なぜ、取捨選択するのか、といえば批判されることを恐れるから、と申し上げましょう。

冒頭、私が若い人たちの生き方や考え方に驚きがあると申し上げたのはこの「心地よい部分」に囲まれて育ってきた人たちが増えている点ではないでしょうか?怒られたことがない世代とも言えます。

今の時代、親が子を躾けるにもちょっとしたことでグレー扱いされてしまいます。子供は親や学校の先生からも社会からも叱られることを経験しないまま、大人になり、社会人になった時、自分とウマの合わない組織に入り、もがき苦しむことになります。ストレスを溜める若者たちのもう一つの理由は社会適応への耐性が十分ではない点があり得ると思います。

東京に滞在していた時、ある居酒屋で10数名の若手の社会人グループが大騒ぎでグダグダに酔っ払い、皆で日本酒を一気飲みしていました。ほかの客もうんざり顔でどんどん帰っていきます。店の人は困ったという顔をしながらも追加の日本酒のオーダーを普通に受けています。たまりかねた私がリーダーっぽい人に「ここは公共の店で君たちの貸し切りではない。社会人ならもっと大人になりなさい」と一喝を入れました。中には食って掛かる人もいたのですが、リーダーらしき人が申し訳ないと謝りその場は収まりました。要はこういう輩を店側も含め、誰も注意できず、何かあれば警察を呼べばいいという短絡的な社会を見事に反映したケースでした。

自分は弱者だという切り口をSNSで投稿すればたちまち「私はあなたの味方です」という賛同の声が上がり、それが徐々に大きくなり、一つの集団を作る、というのが私の分析です。そして仲間に入るには一気飲みを断れないしきたりがあるのも現代社会の病むところであります。上記のグループに苦しそうに日本酒を瓶からラッパ飲みしている人もいたのです。その心理はどんなものなのでしょう。

アメリカの民主党で大統領候補が乱立気味になっているのは主義主張がバラバラだけど反トランプという点だけで一致した集団であるとみています。日本の野党も存在感すら明白に出せないのは野党同士がバラバラでなんだかよくわからないからであります。かつて日本にも二大政党を、と息巻いていたことがあり野党は選挙のたびに大連立を図るもうまくいったためしがないのはこれが背景なのだろうと感じています。つまりミーイズムの集団化であります。

これらを民主主義という言葉に置き換えるのが現代の特徴でもありますが、果たして本当にそれが正しい意味での民主主義なのか、一歩下がって考えてみてもよい気がします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年10月20日の記事より転載させていただきました。

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