フェミニズムへの絶縁状

この記事の趣旨(もうフェミニズム記事を書くのは辞めます)

なんか大げさなタイトルですが、最近ブログでは続けてフェミニズム関係の記事ばかり書く流れになったんですが、それによってネットでの記事が「読まれる量」的な数字が激減してしまったため、(その激減ぷりをアゴラの新田編集長に指摘されてしまったこともあり)フェミニズムについてネットで書くのはこれでやめよう・・・と決意するに至りました。

フェミニズムについての国連スピーチが反響を呼んだエマ・ワトソン(UN Women/flickr:編集部)

個人的な感性としては非常に重要な話をしているという実感があるし一部の読者には熱意を持って読まれている反応はあるんですが・・・

「反アベvsアベ」とか「嫌韓vs親韓」とか「嫌中vs親中」とか、資本主義に対してどの程度の肯定的態度を取るかとか、こういう問題に対しては、党派的にどちらかだけの視点からじゃない解決策を・・・という方向性で私のような記事を書くことに一定のニーズがあるんですが、ことフェミニズムに関わる問題については果てしなく「どちらか」をちゃんと選んで書かないと読まれない、厳しい世界なのだということを知りました。

なかでも、「ある程度ちゃんとフェミニストが言ってることの文脈を理解する気があって、かつフェミニストの言っていることには全面的に賛成できない」というような記事は難しい位置にあると実感しました。

そもそもフェミニズムに反対の人はあんまりフェミニスト側の言ってる文脈を理解する気がない人が多いし、一方でフェミニスト側に立つ人はその弱い立場ゆえ(あるいは被害妄想ゆえ?)にちょっとでも自分たちに異を唱えるような趣旨は一切受け入れられない・・・という分断がある。

それでもフェミニズムについて最近書いていたのは、私は経営コンサルティング業のかたわら、「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントの中に「フェミニスト的な女性」も含まれているので、そういう人への態度表明という、”私にとっては”重要な必然性があったからなんですが。

今後、少なくともブログ等ではフェミニズムに触れることは辞めようと思っていますが、最後に、

フェミニズムに心情的に共感するが、今のように全方位的に古い社会を罵り続けるだけで何か改善するとは思えない

・・・というあたりの読者の人に、最後の「提言」的なことをして”サヨナラ”ということにしたいと思っています。

今後も「フェミニズムvs日本社会の保守性」のバトルは激化し続けるでしょうが、激化すればするほどいずれ「心情的には共感するがこのままで改善するとは思えない」という立場に至る人も徐々に増えてくると思いますので、いずれその時この記事を思い出していただいたり、私の本の中で触れているこういう部分にも理解されるようになればいいなと思っています。

フェミニズムがアップデートされるべき点3つ

  1. 「女性だけがツライ論」の非対称性が、感情的反発を招いていることに気をつけましょう
  2.  ”ホモソーシャル”を敵視しすぎるのは良くないです
  3.  「告発」→「提言」まで行かなくていいから、せめて「告発」→「実務家への呼びかけ」までやってください

では順番に書きます。

1. 「女性だけがツライ論」の非対称性が、感情的反発を招いていることに気をつけましょう

ネットを見ていると、いかに日本社会で女性として生きることは地獄なことであり、日本の男どもはいかにラクして生きているか・・・みたいな話で盛り上がりまくっている風潮が最近はあるんですが、これほんと無駄に感情的反発を生むだけだし、そのうち辞めたほうがいいと私は思います。

「女性の立場で生きてみないとわからないことがあるんだよ!」というのは本当にその通りですが、逆に「男の立場で生きてみないとわからないこともかなりある」し、SNSのフェミニストが男性嫌悪で盛り上がっている時に出てくるメッセージにはかなりそういう要素が含まれていると思います。

問題は「男女」を逆にして考えるのはかなり想像力が必要なことで。

例えばSNSでよくあるのは、女性は「男から常に外見で評価される苦しみがある!」と言う話で、その逆の想定として「男に会った途端いきなり男根の大きさとか評価されたらどう思う?」とか言うんですが、男からするとそれは全然「逆」になってないんですね。

女性の「常に容姿でジャッジされる」の逆は、「男はイケてる男かそうでないか、社会的ポジションがあるかないか」で常にジャッジされること

だと私は思います。

女性として生きているとわからないぐらい、男は「イケてるかイケてないか」「キモイかキモくないか」みたいなジャッジを常に受けていると思いますし、それは単に普通に仕事をしていてその仕事での誠実さとかそういうのと関係なく「イケてないヤツ」みたいな扱いを受ける苦しみ・・・みたいなのは、関係ない瞬間に女性が容姿のジャッジを受けるのとほぼ同等なことでしょう。

だから「女だけがいつでもこんな酷いことをされている!」という騒ぎ方が感情的反発を食らうのはむしろ当然で、「ジャッジ」問題をなんとかしたいなら

女性を容姿でジャッジしまくるのをやめると同時に、男を常にイケてる存在とそうじゃない存在に分断してキモいキモい言う文化も廃していこう

常にこういう「対称性を持った両輪の構造」↑を維持したまま押していくように気をつけるべきだと思います。

だからこそ、前回記事↓

フェミニズムが叩くべきはオタクではない

で書いたように、「オタク叩き」以外の「本当の敵」の設定がフェミニズムには今必要とされているはずです。

他の例としては、「宇崎ちゃん」が話題になっていた時に試し読みを読みました。

こういう「性的魅力に溢れた女性が、なんの変哲もない男になぜかご執心」物語で、しかもその女性が「現実にはありえないほど性的に誇張されている」例が嫌だという女性の気持ちはわかります。

でもその「逆」として提示されるやたら男根が大きい絵柄の男がいたら嫌じゃん?っていう話は全然男からしたらマトを得て無くて、これの男女逆バージョンは巨大財閥の一人息子の御曹司が、フツーのあたしになぜかご執心だと思います。非現実的なまでの「異性にとっての価値」だけが突出して描かれる構造という意味ではね。

これは「どっちもやめる」べきか、「どっちも我慢する」べきか、それはわかりませんが・・・個人的には、「御曹司ものの少女漫画」の存在も認めるから、「ハーレムもの」の男の漫画も認めるべき・・・な気がします。自分が好きとかキライとかとは別の問題としてね。

なんにせよ、こういう「両輪性をできるだけ維持するべき」というのはグローバルには、エマ・ワトソンの「heforshe」演説(スクリプトはこちら)的な提言としてまとまっているものがあると思います。

エマ・ワトソンの演説見ていても、フェミニズムへの「反感」が高まっているのは日本だけの問題ではありません。

この「男側のニーズと常に両輪の形になることを意識する」ためには想像力が必要で、「女性として生きないとわからないこと」の裏側には「男として生きないとわからないこと」もまたあるんだ・・・という謙虚な姿勢がやはり重要なはずです。

この「両輪感覚」が崩壊しはじめて罵り合いになっている時点で何か今おかしい状態になってるぞ!?という本能的な感覚を持てるようになっていくことがフェミニズムにとっては重要だと私は考えています。

2. ”ホモソーシャル”を敵視しすぎるのは良くないです

もう一つフェミニズムが気をつけるといいのは、「男同士の連帯」を引きちぎろうとしない方がいいということです。

フェミニズムが、「女性同士の対立を煽るな、シスターフッドを基本にしていこう」って言いますが、それは同じことが男にも言えて、男を分断して攻撃しあわせる・・・みたいなことを目指し、「ホモソーシャルな閉鎖的関係」をなんでもかんでも破壊しようとするのは良くないです。

もちろん、社会の中心の「実際の権力を持っているエリートサークル」が男しかいなくて・・・という現状を変えていくことは大事なんですが、そういう「実際の人間関係における狭義のホモソーシャル」を解体しようとするからこそ、さらにそれに加えて社会全体で「男同士」の相互理解までも引きちぎろうとすると、男同士の果てしない競争意識が社会の滞りのない運営を破綻させるところまで行ってしまう恐怖心が生まれるんですね。

だから防衛反応としてフェミニズムを抑圧せざるを得なくなる。

社会でスポットライトを浴びている男と、そうでない男を女性は本能的に「峻別」したがる、格差をつけたがるところがあるんですが、その本能が暴走すると、社会の末端にいる男が「その社会」に参加する意志自体を担保できなくなってくるんですよ。

「別に法律守ってちゃんと生きていくとか、俺がやる義理ないじゃん?」とか言い出す男に対してどうやって掣肘していく義理を通していくか・・・について、フェミニズムは「自分たちが表に出て権力を握っていく」ならちゃんと自分たちの責任として実効的な対策を考える義務があると思いますし、実際にその問題を考えれば考えるほど、ある種の「ホモソーシャルな男の義理」を引きちぎろうとしないことの重要性に気づくと思います。

私は学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサル会社に行ったんですが、その後その「グローバルな経営手法」と「日本社会」との間のギャップをなんとか産める統一的視座が必要だと思って、一時期は肉体労働やらホストクラブやらカルト宗教団体への潜入やらいろいろと「都会の学歴が高い人たちから見えている世界の外側」を見なきゃ!と思ってアレコレやって、その後中小企業向けのコンサルティングをやって暮らしているんですが。

その体験から言うんですが、「インテリの世界とソレ以外」を果てしなく分断させていくと、変な陰謀論にハマる人も増えるし、「ヘイト的熱情」を燃やす勢力も増えるし、インテリがちゃんとリードしてサクサクやっていけばいいような課題ですら果てしなくヨコヤリが入るようになりますし、はっきり言って長期的に良いことは何一つありません。

以下の記事↓で書いたように、その「2つの世界」をいかに分断せずに運営するか・・・が、欧米社会のコアにある悪癖を相対化し、かつ欧米社会の理想は消さないように保存していくための人類最先端の課題になってくるはずだし、そこに日本なりの答えの出し方は徐々に見えてきていると思っています。

「体育会系」は衰退する日本の元凶か?

今のフェミニズムはそういう「グローバリズムの悲劇に対する防波堤」になっているものを無意識的に崩壊させようとしてしまっており、それが必然的なバックラッシュに繋がっていることに気づけば、「ホモソーシャルを敵視しすぎずに自分たちの具体的要求を通すにはどうしたらいいか?」という有意義な問いかけが生まれてくるでしょう。

3. 「告発」→「提言」まで行かなくていいから、せめて「告発」→「実務家への呼びかけ」までやってください。

最後なんですが。

「告発」するのはいいんだけれども、「原因追求」に踏み込む前に「いかに日本の男がゲスか」っていうオシャベリして終わる・・・のはなんとかして欲しいです。

実際に何か不利益を受けた女性がいたとして、それを告発するには解決策まで考えろ、と言ってるわけではありません。告発しかできない弱い立場にいる人だっているんだからそれは当然言うことが大事です。

大事なのは、その後「解決策を考えるための呼びかけ」ぐらいはやってくれないと、「ゲスだよねー」って盛り上がって終わり・・・ってそりゃないっすよ・・・という感じです。

これはさっきリンク貼った記事↓

フェミニズムが叩くべきはオタクではない

の後半、たとえば医学部入試の問題があった時に、本来なら

「高齢化で崩壊寸前の国民皆保険制度を死守しつつ、アメリカみたいに高額すぎるようにならず欧州のようにやたら待たされるようにならず、日本的クオリティとそこそこのコストでの医療を万人に提供し続けながら、女性医師でも労働環境の厳しい診療科で働けるようにするにはどうしたらいいか?」

・・という大事な問いかけに対して「告発のエネルギー」が向けられて、「実務家さんたち」がそれに立ち向かえるようになれば、日本社会がどれだけポジティブなチャレンジに満ちたものになるでしょうか。

そうせずに、日本の医療がクオリティとコストのバランスを維持している必死のチャレンジを理解せず、「日本の男がゲスだから困るよね」しか言わないというのは・・・

そりゃ受験生の女の子がそこまで考えろとは言わないが、高度な教育を受けていて知的職業についていて、社会経験も広い視野もあるはずの人が、一緒になって「日本の男がゲスだから」っていう話をして終わる・・・というのでは、フェミニズムへの日本社会への信頼感をどんどん火にくべて燃やし尽くしてしまうようなものです。

別の話では、たとえば性犯罪の厳罰化とかも、単に「日本の男がゲスだ」ってオシャベリして終わるんじゃなくて、法律制度上のどういう問題があるのか、専門家の議論をちゃんと後押しするところまで誰かが誘導してくれれば、しょうもない水掛け論を延々やらずに済むはずです。

大事なのは、

「問題の告発」

「日本の男がいかにゲスかをおしゃべりして終わる」

ではなく、

「問題の告発」

「どうして日本ではそうなっているのかの本当の事情の問いかけ」

「その解決策を実務家さんたちに投げかけ、彼らをエンパワーする」

こういう流れをいかに起こせるか・・・です。

こういう流れの起点にフェミニズムがなれれば、日常レベルにおける「いろんなセクハラ」的なものを撲滅していくようなチャレンジに対して、狭い狭い都会のインテリサークルからだけでない日本社会全体からのしっかりした同意協力を得ることができるようになるでしょう。(そうすることでしか日常レベルの細かいセクハラとかを抑止することは不可能だと思います)

前述した「文通」のクライアントにこないだまで野党国会議員がいたんですが、彼を見ていると「ちゃんと解決策を練り上げて議論してまとめる」仕事をしている人に日本のマスコミは注目しなさすぎる、政局的なお祭りばかり注目する結果、「糾弾」だけが盛り上がって「解決」に全然踏み込めず、結局その空隙を「惰性的な日本社会の古層の強引さ」が埋めてしまう・・・というのはフェミニズムに限らず現状の日本の総体的問題だと思います。

そういう「転換」が起きるまで、フェミニズムのある種の過激部分を「日本社会の古層」が拒否し続ける正当性もまた、あると思いますし、できれば幸薄い罵り合いを「構図」ごと脱却して、世界のどこにもないポジティブな「あたらしい立場を超えた連携」が生まれることを願っています。

まあ、「構図的対立」が続いているなかでも、なんか子連れのお母さんが変なオッサンに突然罵声を浴びせられる・・・みたいな、ネットでたまに見る「ソンナヤツいまだにいるのかよ」的な話は徐々に減らしていけるといいんですが・・・しかし先述したようにこれは「男女対立」が構図として激化するほどにそういうオッサンへの抑止力もまた崩壊してしまうのだ、という視点からしか本当には解決できない問題だと思います。

以上、「フェミニズムにある程度シンパシーはあるけど、総体的には賛成できない男」からの最後の要望でした。もし今聞き入れる気にならなくても、「日本社会の古層」との果てしない対立の中でフェミニズムも何らかアップデートが必要ではないか・・・と感じた時には思い出していただければと思っています。

記事中で紹介した他にもいくつかフェミニズム関係の記事を書いているので、ご興味のある方はどうぞ。

モーツァルトが既に描いていたフェミニズムの行く先

十二国記に見る「女性ならではの視点」の本当の意味

ディズニーの保守性がレット・イット・ゴーを産んだように、少年ジャンプの保守性は何を生み出すか?

ちなみに私は今次に出す本を売出し中なんですが、あるネットの親切な方が、「右でも左でもないとか言ってちゃ売れないよ、まずはどっちかに味方を作らなくちゃ」とか教えてくれて、ふーむ、なるほど、と思って迷っていたんですが。

この「フェミニズムへの絶縁状」とともに、今後はある程度ネットでの記事投稿という意味では意図的に「右」の人と協力しあって前に進めていくことをしようかと思っています。もちろん私個人はかなりリベラルな人間だと思っていますし、常に結局右とか左とかじゃなく、日本と世界がより良く人びとの優しさが実現する社会にしたいとだけ思っているのですが。

前回記事で述べたように、あのオバマ元大統領ですら、「過剰に純粋化した正義に酔って他人に石投げてるばっかりじゃ世界は変えられないよ」とかわざわざ言わずもがなのことを言わなきゃいけなくなってるぐらいの世界において、あらゆる世界の意識高い系から総攻撃を受けつつもあくまで日本の保守派が実現しようとしている「一線を引く意志」については普遍的な価値があると私は考えています。

読者の方それぞれに立場があるでしょうが、今の日本のこの混乱は世界の「意識高い系」を一歩先へと進化させる重要な価値を持っていると思いますし、妥協せず未来を信じてやっていきましょう。

それでは、もしこの記事に感じ入るものがあれば、私の新刊、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」を読んでいただければと思います。

以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、このブログに共感いただいた方はぜひお読みください。

みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?

また、同じ視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)

この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける・・・東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
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