フェミニズムが叩くべき敵はオタクではないはず

この記事の要約

最近私のツイッタータイムラインが「フェミニズム vs オタク」論争で溢れかえってしまい、他の話がレアってぐらいになってしまっているんですが、個人的にはこんなに「無意味に相互憎悪が募るけど何の解決にもならない」対立構図の設定もなかなかないと思っています。

日本赤十字社とのコラボで作成されたポスターがネット上で論議を呼んだ漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」(Amazonサイトより)

日本で生きる女性の「不満」があるなら解決していきたいと思っているし、もちろん日本で生きる男の「不満」だって解決していきたいし、あらゆる人が幸せに暮らせるように社会は改善されていくべきだとは思っています。

が、フェミニスト(特に日本のSNSにいるフェミニスト)は「オタクとその文化」を叩きまくることで本当は貴重な味方になってくれる人たちをどんどん敵においやっていないか?と心配になります。

おかげで、どんどん「フェミニストというのはオタク叩きをする人たち」みたいな矮小化が進んでいく印象で、リベラル的な立ち位置の私のSNSタイムラインにはフェミニズムの話題が溢れかえっていますが、保守系の人のタイムラインには”ほとんど一切”出てこないらしく、「宇崎ちゃん」だとか「少年ジャンプ」だとかの話題を私がだすたびに「何の話ですか?」と言われている始末。

叩きやすい敵を叩きまくることに熱中するあまり、「本当の敵」は野放しになっているし、先鋭化するだけした過激派さんの日本社会へのマクロな影響力はむしろどんどん減衰するんじゃないかと心配になってしまいます。

単純に考えて欲しいことは以下の一行で、

「”●●大体育会系レイプ犯”とか”女と見たら態度変えるおじさん”」と「女性と目を合わせて話せない内気なオタク」、フェミニズムの敵はどっちだ?

この構図の「前者」に対する”敵意”においてオタクさんたちは非常に「共通の敵意」を本来持っている人が多いように私は感じていますし、本来強力な「味方」になるはずの勢力を、萌え絵が気に食わないとかいう話で盛り上がることで「不倶戴天の敵」にまでしてしまっているような気がします。

これに限らず、日本に住む多くの「女性が女性だからといって悪い扱いを受けるようなことはなんとかしていきたいですね」ぐらいには思っている男にどうやったら「伝えて動かす」ことが可能になっていくと思われるのか、逆側の立場から提言したいことがあるので書きます。

最近はツイッターとかでフェミニストさんが「これだけ言っても伝わらないなんて絶望だわ!」みたいなことおっしゃってますけど、絶望するのは今までのやり方変えるチャンスだと思いますし、ある意味「古い社会のあり方」にアップデートを迫るだけでなく、フェミニズム自体もアップデートされないといけない部分があるってことなのだと思って、まあ一応読んでいただければと思います。

この問題について一回のブログで書ききれるわけはなく何度かに分けて書くので、更新情報はツイッターをフォローいただくか、私のブログのトップページを時々見ていただければと思います。

とりあえず今回ぶんの目次は以下のとおりです。

  1. 「●●大体育会系レイプ犯とか女と見たら態度変えるおじさん」と「女性と目を合わせて話せない内気なオタク」、フェミニズムの敵はどっちだ?
  2. 「本当の敵」と「潜在的な味方」をちゃんと見分けよう!
  3. 「怨念の暴発」で終わることなく、余力がある人が「実務家への投げかけ」まで繋げよう!
  4. 「内なる欧米文化帝国主義」と「日本の性差別」は表裏一体

では以下本文。

1. 「”●●大体育会系レイプ犯”とか”女と見たら態度変えるおじさん”」と「女性と目を合わせて話せない内気なオタク」、フェミニズムの敵はどっちだ?

私は経営コンサルティング業のかたわら、「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントにはそれこそ老若男女、政治的な話はあんまりしないけどあえて言えば「左」の人も「右」の人もいるんですが。

そういう、私の本やブログの読者になる人の中で「左」寄りの女性が共通して読んでいることが多いライターさんに「アルテイシア」さんという人がいるんですね。同世代だし同じ神戸出身だしで、私の書くものと彼女が書くものの間に、何か読み手にとって共通するテイストがあるのかもしれません。

で、そのアルテイシアさんが「日本における女性の生きづらさとはこういうところにある」というエッセイを書いてて、それが話題になってるのを見かけたんですが。

個人的にちょっとこの人の自虐ネタ多い文章が苦手なんですが(笑)、でも日本社会に生きていて「性差別」を感じるシーン・・・というのが非常にカラフルに描かれていたので色々と引用すると・・・

  • 通りすがりのオッサンに「おっぱい大きいね!」と言われる
  • すれ違いざまに触られたり電車の中で盗撮されたりする
  • 久しぶりに会った広告会社の同期会で男どもの第一声が「相変わらずおっぱい大きいねえ〜」「エロい体してるな~、俺全然イケるわ(笑)」
  • タクシーや不動産屋や銀行など、夫などの男と一緒にいると丁寧に応対されるが、女性一人だけだとやたら横柄な対応をされることがある

ふむふむ、確かにそういうのは良くないよねえ・・・と思うんですが、ここに出てくる登場人物の男、「オタク」だろうか?と想像するとむしろ違うタイプの男じゃないか?という気になってきませんか?

  • 女性とすれ違いざまに「おっぱい大きいねえ」とかいきなり言うオッサン・・・ってオタクだろうか?
  • 女性と見れば突然横柄な態度を取る男・・・ってオタクだろうか?
  • 久々に会った女の同期に開口一番「相変わらずおっぱい大きいねえ」とか言う男・・・ってオタクだろうか?

まあ盗撮や痴漢は・・・わかりませんが・・・でもたぶんそういう事をする人にオタクが有意に多いというのは明らかに偏見だと思います。

2. 「本当の敵」と「潜在的な味方」をちゃんと見分けよう!

個人的な印象では、オタクさんというのはむしろこういう態度を取らない人が多いんじゃないかと思うんですがね。むしろ(ある種の嫉妬混じりに)こういう行為に怒りを持ってたりするものじゃないんですかね。めっっっっちゃ偏見ですけど(これほんとネタで言ってるので対象者は怒らないでくださいね)KO大学体育会出身で広告会社で活躍している人みたいなプロファイルにこそこういう問題を抱えている人が多かったりするのでは?

日本のような自由主義社会において日常的に生きている「おっぱい大きいねえとかいきなり言うオッサン」の行動を抑止するには、学歴高い人しかいない都会の恵まれたコミュニティを離れても維持される「義理の連鎖」のようなもので日常的に縛っていくことが必要ですよね?

そういう「圧力」を発生させる大事な源泉であるはずのオタクさんたちの感情エネルギー(”KO大学体育会”的存在への嫉妬心を含む)を丸ごと敵にしまくっていく・・・というのは、フェミニズムにとって「良い選択」であるとは私は思えません。

なにしろ、この記事の冒頭にも書きましたが、最近の「フェミニズム」関係の話題というのは、「保守側」にいる人のSNSには呆れるほど届いておらず、そもそもこの話題に興味あるという時点でよっぽど意識高い・・・という状況にあったりするわけです。

色んな意味で日本社会は変えていきたいと私も思っていますが、「声が届かない苛立ち」が果てしなく憎悪へと転化し、オタクさんだったり総体としての「日本」をディスりまくるモードに入っておられるSNSフェミニストさんには、もう少し「本当の敵」と「潜在的な味方」の分類について今一度考え直していただければと思います。

むしろ、オタクさんたちの中にある「KO大学体育会出身の広告業界マン」みたいな存在への敵意を焚き付けて、「現実のNGなふるまい(想像上の萌え絵でなく)」を掣肘していく仲間にするぐらいの戦略性が必要ではないかと思います。なんせSNSでこの話題について話してるのフェミニストとオタクの人たちぐらいな感じですし、むしろあんたたち仲良いんじゃないの?ってぐらいですよ。

こういうことを言うとトーンポリシング(訴えの内容そのものではなく、話し方や言葉づかい、態度を批判することで、論点をずらす行為)だ!って怒る人がいるんですけど、はっきり言ってもう1960年代じゃないんだからトーンポリシングだって場合によっては必要ですよ。

私の5年ぶり新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか」からの図を引用しますと、

左列のように、問題をちゃんと「周知」するまではトーンポリシングなんて吹き飛ばして果てしなく主張することが大事ですけど、実際それを社会のシステムに組み込んで行こうと思ったら現状のシステムとの間の整合性を気にしたり色々考えなくちゃいけなくなるわけだから、「自分たちは被害者なんだから、相手の言うことなんて一切聞かないぞ!」という態度では、ちゃんと双方向のコミュニケーションを立ち上げて実現に向かって一歩ずつ進んでいくことができなくなりますよね。

「トーンポリシングを拒否する!私たちは黙らされないぞ!」という立場だけが絶対化した世界が今のアメリカですけど、結局その黒人問題とかアレコレ、本当に解決したと言えるでしょうか?むしろ果てしなく分断と罵り合いが日本以上に激化し、収集がつかなくなっている面もあるはずです。

あのオバマ元大統領ですら、「過剰に純粋化した正義に酔って他人に石投げてるばっかりじゃ世界は変えられないよ」とかわざわざ言わずもがなのことを言わなきゃいけなくなってるぐらいの世界なわけで。

この記事はこの後、フェミニズムムーブメントが怨念のぶつけ合いに陥らずに本当に社会を変えるために必要な「アップデート」の内容について書きます。

が、アゴラの文字数限界が来ているので、分割してまた次回掲載します。

続きを今読みたい場合は私の個人ブログへどうぞ。

このあともちょいちょい「フェミニズムをアップデートする」記事は書いていこうと思っているので、ツイッターをフォローいただくか、私のブログのトップページを時々見ていただければと思います。(そもそも萌え絵が性差別・・・という神話自体も一度疑ってみる必要があるように思っています)

また、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」という直球なタイトルで、私の5年ぶりの新刊が今度でます。

以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、このブログに共感いただいた方はぜひお読みください。

みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?

また、同じ視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)

この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける・・・東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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