高齢者暴走に対する39万人の署名は何を訴えているのか

篠田 英朗

11月12日、警視庁が、旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三容疑者(88)を、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで書類送検した。これにあわせて遺族の松永さんが会見を開いた。「本日、スタートラインに立った。2人や今後の社会のためにも、事故が軽い罪で終わらないよう自分にできることをやります」と語ったという。
(※動画はTBS NEWS YouTubeチャンネルより編集部引用)

本当に痛ましい事件だった。それなのに前を向いて行動する松永さんの呼びかけで、39万人の署名が集まった。人並みに子どもを持つ私自身も、署名した。

当日の記者会見では、元通産省官僚である飯塚容疑者が、「メーカーには安全な車を開発して高齢者が安心して運転できるようにしてほしい」と発言したらしいことが、話題になった。

「見た時は体が震え出して、怒りというよりはむなしくなってしまった」という松永さんの言葉を借りるまでもない。88歳の老人の認識力に、問題があるとしか言いようがない。

前日、東京八王子でも60代ドライバーが園児の列に突入する事故が起きていた(参照:アゴラ「八王子の事故は即日逮捕なのに…。“上級国民”やっと書類送検へ」)。

12日には、大津園児死傷事故の裁判が始まった報道も見られただけではない(参照:読売テレビ)。さらには80歳老人の駐車場内での暴走事件も報道されている(参照:東海テレビ)。

これがハイパー高齢化社会を迎えた現代日本の日常風景だろう。

人間の命に差はないという。だが本当に3歳の未来ある子どもと、88歳の老人の間にも、何も差がないのか。超高齢化社会の日本では、手続き的な平等と、実質的な平等との間に、巨大なギャップが存在している。

気になるのは、問題を矮小化しようとする識者が多いことだ。39万人の署名が集まっても。「司法判断に影響はない」とか、「逮捕されないのは逃亡の恐れがないからだ」とか、「手続き」面の話に終始している場合が多すぎる。

飯塚容疑者の厳罰が必要だと考える人が多いのは、感情的に任せて私刑を求めているからではない。「手続き」の話ばかりをしていて、実質的な平等や正義を忘れてしまってはいけない、と考えるから、署名が集まるのだ。

「高齢者で足が悪かったが、高齢者でそのことを深刻に考える余裕がなかった、ということは故意に暴走したわけではないので、危険運転とは見なせない」

「高齢者で収監に耐えられないので、逮捕はできない、裁判中に寿命が来て裁判が途中で終わってしまっても、それは警察・検察・裁判所の誰の責任でもない」

これらの話は全て「手続き」的には正しい。だが果たしてこのようなロジックだけを語って何かを説明したかのような気分になっていて、それで本当にこの社会を今後何十年も維持していけると言うのだろうか。

政治家は高齢者の票のことを考えるのは仕方がないのかもしれないが、放置していれば、少数者に不利な政治が延々と続いていくことは間違いない(関連拙稿:立憲民主党の選挙公約に失望する)。

抑止力が必要なのである。

わかっているはずなのに、気づかないふりをするのは、他の様々な問題と同じように、私には日本社会の隅々にまで浸透した停滞に対する諦念のようなものであると感じる。

これまでの憲法学通説では日本は行きづまるしかないのに、「憲法学通説だから仕方がない」と受けいれてしまうのと同じような社会構造の問題を、暴走老人の問題にも感じる。

対策が必要だ。

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第一に、免許制度の充実が必要である。確かに、メーカーが自動運転車を開発したら、高齢者には自動運転車限定免許を前提にした審査を課すべきだろう。しかしその前に、まず認知症の進展を警戒した免許証の毎年更新制度や追加更新料を導入するべきだ。それによって、本当に免許の更新が必要か、を考え直させる機会を与えることが必要だ。

免許にかかるコストが安いままでは、どんなに高齢者向けのバスなどを提供しても、全く利用されないままで終わってしまう。経済力のない老人に配慮することは大切だが、だからといって安易に運転を許すわけにはいかない。むしろそれをふまえて公共サービスの利用へと誘導していく措置が必要だ。

第二に、「任意保険」にあたる保険を、高齢者については強制加入させる制度が必要ではないか。理由は、認知能力の是非ではない。寿命の問題だ。保険加入していなければ、確実に、民事訴訟における損害賠償負担に対応できない。対応する前に、寿命が来る。その際、理論的には相続人が責任を負うが、相続放棄されたら終わりだ。

今回の飯塚容疑者の事件でも、任意保険加入があったのか、それで全面的にまかなえるのか、全く報道されていないが、非常に気になる。

第三に、相続人に対する抑止力を視野に入れるべきだ。老人の運転を止めるのは周囲にいる家族だが、結局は他人ごとであると、真剣に運転を止めてくれない。上記二つの措置は、比較的経済力のない高齢者には効果を持つだろうが、経済的に余裕のある老人には、効果を持たないかもしれない。痛くもなんともない額面を払ってしまえば暴走できる、あとは暴走した上で寿命を全うするだけだ、というのが最も「合理的」な選択であれば、そのような「合理的」な選択に多くの裕福な老人が流れていくことになってしまう。

経済的に余裕のある老人の暴走を防ぐには、相続にメスを入れるしかない。つまり自分が寿命を全うした後も生き続けるだろう家族に損害が出る仕組みをつくらなければ、抑止力は発揮されない。

「手続き」に時間をかけていれば、加害者は、必ず資産移動を画策する。生前贈与などをしたうえで寿命を全うし、資産を極小化させた後で、相続人が相続放棄をするという段取りを進める。加害者にとって可愛いのは、被害者ではなく、自分の子どもであり、自分の孫だ。放っておけば、必ず自分の相続人を守るための資産移動を図る。もし、そのような資産移動は容易に行える、という社会通念を高齢者層に与えてしまうと、暴走への強力なインセンティブ(誘引材料)になる。

それを防ぐには、被害者が、事故後の資産移動に関する情報を簡単に入手し、不当な生前贈与があったことを訴えることができるようにすることを、制度的に助けなければならない。任意保険に入っていない場合はもちろん、任意保険があってもカバーできない慰謝料に対しては、事故被害者・遺族のイニシアチブによる資産凍結が発動される事例を、実際に作っていく必要があると思われる。そうでなければ抑止力が期待できない。

日本は、人類の歴史でも未曽有の高齢化社会に突入している。一部の人たちは、高齢化社会に対応する先例を作ることによって、日本は他国に模範を示すことができる、などと主張している。

しかし、もしこうした人たちの主張が正しいとすれば、一つ踏み込んだ高齢者暴走交通事故対策が必要だ。そうでなければ、日本はただの平凡な停滞した社会として、衰退していくしかない。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室