「共通一次より現在のセンター試験の方が遥かに難しい」という意外な事実

物江 潤

年々難しくなるセンター試験

少子化が進み受験戦争は緩和されたうえ、教科書は薄くなっているらしい。きっと我々が受けた共通一次試験やセンター試験の方が、現在のセンター試験より難しいに違いない。なんてステレオタイプな主張を目にしますが、それは事実誤認です。

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本書によって1979年から2005年までに実施された 「共通一次試験」および 「センター試験」 の本試についてはすべて概観できるわけであるが,こうしてあらためて27年間分の問題を通覧してみると,質,量ともにずいぶん難化,重量化したものだ,という感慨を禁じ得ない。

かつての共通一次試験は、高校で学んでおくべき基礎学力のチェックという意味合いがあり、さほど難しくはなく、主旨に沿ったきわめて妥当な問題設定だという印象を受けるが、90年代に入ってから実施されたセンター試験の問題は徐々に難化していき,もはやセンター試験は小手先の勉強では対応できなくなったのである。(聖文新社編集部編「30ヶ年共通一次・センター試験〔数学問題〕総集編:昭和50年(1975)〜平成17年(2005)」 聖文新社、2010年)

試験が年々難化した結果、保護者の世代が受けた試験より現行試験は遥かに難しくなったのみならず、問題数が膨れ上がりました。昔の過去問を掲載できないのが残念ですが、両者を比較すれば難易度の差は一目瞭然であり議論の余地はないでしょう。(※参考:平成31年度本試験問題

どうして難化したか

主に二つの理由に集約できます。ひとつは、入試攻略のノウハウの蓄積や学習環境の整備等により、受験生の得点能力が向上したため。もう一つが、選抜試験の性格を有するので、適切な平均点(約60点)を目指し作問せざるを得ないためです。

もしセンター試験が単なる資格試験であり、二次試験に点数を持ち越さないのであれば、平均点は何点であろうが基本的に問題ありません。しかしそうでない以上、受験生の得点能力の向上に応じ試験を難しくする必要が生じます。平均点があまりに高くなると受験生の能力差が適切に点差として反映されず、選抜試験として十分に機能しなくなるためです。

結果、「主旨に沿ったきわめて妥当な問題設定だという印象」だったはずの試験は、いつの間にか相当難しい試験に変貌を遂げてしまったわけです。選抜試験としての機能を保つため、本来の主旨がないがしろにされたとも言えます。

当初は主旨に沿った妥当な問題設定が、攻略する側の進化によって変わってしまうという構図は、来年以降に実施される新試験についても言えます。入試改革が目指す理想には概ね賛同しますが、こうした構造的な欠陥にメスを入れず改革してしまうのは悪手でしょう。

この場を借りて保護者と学校の先生方へのお願い

昔と今の受験生のどちらの学力が高いか、などという不毛な対立を生みそうな話をしたいのではありません。受験テクニックの進化、受験制度や受験者数の違い等々、あまりに考慮すべき変数が多く、おいそれと短絡的に結論付けられるテーマでもありません。そもそも「学力」とは何たるかを定義するだけでも一苦労でしょう。

ただ、「センター試験ごとき、何故こんな点数しか取れないんだ!」と怒ってしまう保護者の方々がいるであろうことが容易に想像がつくので、それだけは止めてほしいと思います。かつてのように、基礎学力さえあれば一定の点数が取れる試験ではないのです。

先生方には、学校の外にある常識をもう少し取り入れてほしいと思うことがあります。「面接でのノックは高音の方が良い」「履歴書のかぎかっこは定規で書くべき。それが常識であり入社試験でも同じ」「面接で話す内容は丸暗記しなさい」といった、にわかには信じがたい指導を受ける生徒が沢山おり、困惑することが多々あります。

真面目な生徒ほど、こうした指導を真に受けてしまい不毛な努力を強いられるわけですが、それはあまりにも不憫ではないでしょうか。

センター試験まで残り僅かです。今年は奇問・悪問のない、本来の主旨に近い問題が出題されることを願います。

物江 潤  学習塾代表・著述家
1985年福島県喜多方市生まれ。早大理工学部、東北電力株式会社、松下政経塾を経て明志学習塾を開業。著書に「ネトウヨとパヨク(新潮新書)」、「だから、2020年大学入試改革は失敗する(共栄書房)」など。