反日の韓国人に尋ねたい:「歴史」はどこまで遡るべきか

当方が歴史に余り関心がないといえば、歴史物や歴史小説が好きな友人は決まって「それではダメだ。歴史を知らなければ、自分が分からないぞ」と軽蔑した目で見る。もう慣れてしまったが、当方にも理由がある。歴史といってもどこまで遡って学ぶべきか、分からないからだ。日本史しかり、世界史しかりだ。

▲歴史問題に没頭する韓国の文在寅大統領(韓国大統領府公式サイトから)

▲歴史問題に没頭する韓国の文在寅大統領(韓国大統領府公式サイトから)

歴史では、その史実が正しいか、そうではないのか、追認できない場合がほとんどだ。「初めに歴史があった」という感じがするうえ、分厚い歴史書を読み、歴史のジャングルの中に入りたくない思いが強い。

弁解かもしれないが、近い将来、タイムマシーンができれば、過去を追認できるから、その時になれば、歴史は純粋な学問となる。その時まで歴史のジャングルに入り込まないほうが無難ではないか。過去には関心があるが、目撃ないしは体験した範囲であり、歴史と呼ぶには相応しくないだろう。

昨年末、2冊の本を東京から送ってもらった。1冊は今ベストセラーの「反日種族主義」(李栄薫編著)だ。もう1冊は「北朝鮮外交秘録」(太永浩著)だ。後者は著者が当方より少し若いだけで、その内容は当方も目撃、ないしは聞いたことがある同時代のテーマが記述されている。前者の本は過去の歴史的な内容を検証した学者の研究結果だ。ある意味で歴史研究書だ。テーマが日韓問題でなかったならば、敬遠していた歴史物だ。後者の本は脱北の元駐英北朝鮮大使館公使の証言集だ。

2冊が届くと、当然だが後者を先に読みだした。その著書には、当方が会い、インタビューした人物が2人登場していた。1人は、北朝鮮のナンバー2だった金永南前最高人民会議常任委員会委員長の息子、金東浩氏だ。約20年前、同氏とウィーンの国連内レストランで昼食をしながら話したことがある。金東浩氏と著者はほぼ同年齢で同じ学校に通っていたことも知った。もう1人はオーストリアの北朝鮮大使を26年間勤め、昨年末、平壌に帰国した金光燮大使だ。本の内容は面白く、金光燮大使に弟がいたことをも初めて知った、という次第だ。

テーマの歴史に戻る。歴史を知るためにはどの時代まで人は戻るべきだろうか。歴史を学ぶことで現在生きている我々の生き方を知るという面でいえば、イエスが降臨した2000年前までかもしれない。キリスト教神学がユダヤ教を土台として発展してきた、という観点から言えば、ユダヤ人が登場するアブラハムが生きていた時代まで遡らなければならない。限りなく現代から遠ざかっていく感じで、疲れを覚えてしまう。

ユダヤ民族にとって、ヤコブがイスラエルという呼称を神からもらった時代から民族の歴史が始まるだろうが、極東アジアで生まれ当方にはアブラハムといっても赤の他人に過ぎないし、彼がアジア人の先祖とは思えない。

宇宙が誕生したのは138億年前という。それならば、歴史を学ぶためには138億年前まで遡らなければならなくなる。完全な歴史学者となるためには、同時に宇宙天文学者でなければならないわけだ。同時に、宗教・神話研究家でなければならなくなる。膨大な領域の知識を学ばなければならないわけだ。身近な問題でさえも完全に掌握することに苦労している当方にとって、ゆえに歴史は久しくタブーだったのだ。

韓国人が日本の豊臣秀吉時代の政策に強く反発しているのを知ったが、豊臣秀吉は確かに日本で生まれた人物だが、その豊臣秀吉の対朝鮮半島政策を口角泡を飛ばして批判する姿をみて、「歴史は韓国民族を狂わしてしまった」という思いすら湧いてくる。

当方にとって、心が動かされる歴史は「北朝鮮外交秘録」が言及している時代までだ。それを超えると、歴史は途端に物語となり、神話の世界に入り込んでしまう。豊臣秀吉の何が過ちで、本当に何をしたのか、分からない。その分からない歴史を持ち出して、現在生きている日本人を心の底から憎む韓国人の言動をみるにつけ、韓国人は歴史という化け物に取り憑かれていると感じてしまうのだ。

聖書には「私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」(黙示録22章)という聖句がある。神の中に歴史が収束されているから、その聖句に接すると癒されるし、膨大な歴史物の圧力から解放されるのを感じる。

宇宙物理学者のインフレーション理論を想起してほしい。宇宙はビックバン以来、膨張している。どこまで膨張するのかは予測できないが、宇宙は最後には爆発し消滅するともいわれる。いつかは消滅する人類の歴史に取り組む気力がなくなっていく。

朝鮮半島には日本を嫌い、機会があれば中傷・罵倒したい衝動を抑えきれない反日の韓国人がいる。彼らに聞きたいことがある。「あなたの歴史はどこまで遡っているのですか」と。

韓国人は日本軍慰安婦を糾弾するが、それは1937年から45年の間だが、その前にも後にも慰安婦は登場してきた。韓国軍慰安婦の歴史は日本軍のそれより長い。李栄薫編著は慰安婦問題を「戦争の文化」と表現している。とすれば、その慰安婦の歴史はアダムとエバの人類祖先まで遡ることになる。

イタリアの法学者チェーザレ・べッカリーア(1738~94年)は著書「犯罪と刑罰」の中で「歴史のない国民は幸福である」と書いている。隣国・韓国人の反日言動に接する度に、「歴史がなければ、韓国人はどんなに幸せな民族となるだろうか」と呟かざるを得ないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。