ロッテ重光武雄氏死去。ガムの手売りから財閥へ創業伝説

2020年01月19日 19:00

韓国・聯合ニュースによると、ロッテグループの創業者、重光武雄氏(韓国名:辛格浩)が19日、ソウル市内の病院で死去した。98歳の大往生だった。

1921年、日本統治時代の朝鮮半島慶尚南道生まれ(戸籍上は1922年生)。戦時中の1942年に日本で一旗あげようと、関釜連絡船で渡航。早稲田実業学校で学んだあと切削油製造や軍需用の石鹸製造で身を興し、終戦後の1947年、進駐軍が持ち込んだチューインガムが流行ったのをみてガム製造に参入。創業期は自らもリアカーを引いて手売り歩いたといい、その情熱がのちに日本を代表する菓子メーカーとしての大成功を引き寄せた。

次に一大転機となったのが母国・韓国への進出だ。日韓国交正常化から2年後の1967年に韓国に現地法人を設置。ただ菓子業ではなく、製鉄業進出を希望した。

それは当時の朴正煕政権には認められなかったが、ホテル業を足掛かりに多角化経営への道を歩み出した。日本では祖業の菓子づくりのイメージが強いが、韓国ではその後、遊園地、建設、化学等に業態を広げることになり、後年、ロッテグループをサムソンやLGなどと並び、総資産11兆円の第5派閥にまで押し上げる基礎を築き上げた(韓国ロッテは日本ロッテの10倍以上の規模)。

一方で、ガバナンスにおいては一国を代表する企業規模になりながら、日韓でも長らく上場せず、「重光商店」と揶揄されるほど絶対支配を貫こうとした。グループ内で株を持ち合う、複雑な循環出資を行い、その構造の全容を知るのは重光氏しかいないとも言われた。

さしものレジェンド起業家にも高齢の波は例外なく及ぶ。90年代後半から日本ロッテは長男の宏之氏(韓国名・辛東主)に、韓国ロッテは、次男の昭夫氏(同・辛東彬)にそれぞれ任せる二元体制を取ってきたが、そこから約20年、後継者を明言せず、重光氏の高齢化とともに、グループ内で長男派と次男派の疑心暗鬼を招いた。

長男宏之氏(左)と次男昭夫氏のお家騒動に発展(各公式サイトより)

そうしたガバナンスの歪みが一気に噴出したのが、2015年のお家騒動だった。その年1月、宏之氏が突然解任されたが、今度は同年7月、宏之氏とともに重光氏が自らロッテ本社に現れて宏之氏の経営復帰と昭夫氏らの解任を一方的に発表。しかし昭夫氏は決定無効を主張し、逆に取締役会を開いて重光氏を代表権のない名誉会長に退けた。

長男を担ぎ出した「クーデター」は、失敗に終わって強制的に隠居状態に置かれただけでなく、その後のグループの迷走も招いた。韓国では政権交代の煽りで検察が動くことはあるが、これに巻き込まれる形で不正蓄財の疑いで重光氏の長女が摘発されたのを機に、創業家一族ぐるみで摘発される事件に発展。自身からトップを奪い取った次男昭夫氏は横領や背任などの罪で、一審では実刑判決(二審で執行猶予)、重光氏自身も有罪判決を受け、以後、完全に表舞台から退いていた。

お家騒動と不祥事で晩節を汚した感もある重光氏だが、日本と朝鮮半島の間で激動が続いた戦前戦後にあって、日韓両国をまたにかける大財閥企業を一代でゼロから築き上げた功績は、世界のビジネス史からしても特筆すべきことには変わりあるまい。日本のプロ野球との因縁を巡ってはまた興味深いエピソードを残したが、ロッテグループの近況も含め、すぐには書き尽くせないこともあるので、後日に譲りたい。

慎んでご冥福をお祈りします。

新田 哲史   アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
新田 哲史
アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長

過去の記事

ページの先頭に戻る↑