物語が作り出す行動規範

経済学ほど評価が一定しない学問も珍しいかもしれません。自然科学のように理論と発見という領域で疑問を挟み込む余地が少ない学問に比べ、人文科学の一領域、特に経済学は時代とともに揺れるのであります。

ロバート・シラー教授(Wikipedia)

日経に「経済は『物語』で動く? ノーベル賞学者が開く新境地」という記事があります。ノーベル賞を受賞したロバート シラー教授の最新の教示はNarrative Economics (物語経済学)であります。いわゆる行動経済学とは一線を画する新しいようですが、実は我々は既によく知っている行動規範をまとめた学説です。

この本の英文の紹介内容を拝見しました。なるほど、確かに人々の行動はそれが正しいかどうかは別としてメディアや噂、写真付きのSNSの情報といったいかにも正しいと信じさせる情報に振り回されています。GAFAの株は上がり続ける、不動産価格は下がらない、ビットコインは新しく世を制する通貨だ…。

我々の日々の行動は経済に限らずほとんどすべてが情報による判断に依存することが大きくなっています。中国の新型肺炎も中国政府の発表とは別に様々なところから様々な話がリークされ、それを受けた行動を展開するため、人々はいろいろな憶測をするのです。武漢市は隠していた、WHOは緊急事態宣言をすべきだった、病院はカオス状態…という話から想像力たくましく「盛った」ストーリーが人々を信じさせ、より大きなムーブメントとなります。

キャッシュレス社会も無理やりストーリーを作り上げています。若い人はキャッシュを持たない、飲み会でも割り勘機能がついて仲間内のお金のやり取りも安心、香典も電子マネー払いだよ、といった流布は消費者以前に事業者がその動きを先に察知し、お客に「申し訳ありません、当店では現金はあつかっておりません」となり、それがまた拡散するという繰り返しであります。

トランプ大統領がフェイクニュースだ、と叫んだのはうわさや憶測が必ずしも正確ではないということへの反論であったわけです。先日もこのブログで書きましたが、グレタさんは環境問題について声を上げるけれど彼女は一点集中突破型の古い攻め方であります。私から見ればまるで原理主義的思想家であり、本質的には「行けてない」はずなのに若者から絶大なる支持が生まれているのは「切り口がわかりやすい」「大人の世界は魑魅魍魎」というストーリー性ではないかと思うのです。

Jason Howie/flickr

こんな社会になったのは一つにインターネットの情報に原因を考えています。いわゆる「お気に入り」のニュースや調べものに関連記事がどっさりリンクされればなるほど非常に狭い範疇の事柄に対してプロ顔負けの情報量を得ることができます。「にわか専門家」というやつです。皆さんもご経験があると思います。

例えば病院に行って医者に診てもらったところ、自分の期待と違った診断であると「せんせー、ネットにはこう書いてありますが…」と攻め入り、「それでは〇〇の検査もしましょうか?」という具合で患者は勝ち誇るのですが、医者は(ネットの情報は必ずしも当てはまらないけれど)患者を無下にできないという気づかいがそこにあるわけです。

私もこんな世界にはずっと以前から気になっていました。そこで取った私の対策は一つの事象を様々な角度から見直してみる、ということです。角度を変えてみるだけではなく、透かして見る、壊して内部を見る、化学反応を見る、といった考え方で本当に巷で言われていることが正しいのか、考えるようにしています。

それゆえ、私の主張はまるで皆様から支持されないことも多いのですが、それは私の分析が甘いのかもしれないし、先を読み過ぎているのかもしれないし、全く外しているのかもしれません。ただ、そういうアプローチは極めて重要なのです。

今日は長くなるので書きませんが、この分析能力が今の若者にはほとんどなくなってしまっています。ネットに書いてあることが正しいと信じているわけです。たった1%の例外なのにあたかもそれが事実のように書いてある記事を読んで「私は本当の事実を知っているの!」と自慢してしまうわけです。

これが世の中で展開される様々な混乱でもあるのでしょう。そういう意味ではトランプ大統領がフェイクニュースと叫んだ気持ちは大いにシェアしたいところであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年1月30日の記事より転載させていただきました。