金融をロボットにやらせるとして

ロボットは、人間のできない高度な判断をするのか、人間のできる判断を効率化するのか、人間を不要にするのか。

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確実性下の問題は必然であり、そこに判断は不要だ。判断は、常に、不確実性下の合理的な賭けであり、決断である。科学技術において、全てが既知になれば、全ては確実であり、判断は不要になるが、金融のような人間社会の問題は、人間の自由な創造性のもとで、永遠に未知な未来への賭けであり続けるから、そこでの判断はなくならない。

従って、ロボットは、少なくとも金融においては、人間ができない判断をすることもなければ、人間の判断を不要にすることもない。では、判断を効率化するのかといえば、確かにそうだが、従来のシステム化とは根本の思想において異なる。例えば、情報の対称性である。

フィンテックという名前のもとで、金融におけるテクノロジーの利用が齎す本質的な革新が論じられているが、そのなかの一つの重要な要素は情報の対称性である。典型的には、融資において、高度なテクノロジーを利用することで、債務者にかかわる巨大な情報の取得と分析を可能にして、財務諸表等に依存していた従来型の審査に比して、与信判断の飛躍的な高度化を図ることである。つまり、債務者を完全に知れば、貸せる範囲を拡大でき、かつ金利等の条件の適正化を実現できるはずだというのである。

しかし、情報量の拡大だけでは、融資の本質的な革新をもたらさない。いかに情報量が増えても、与信判断の構造は、どこまでも、貸す側の論理で、貸せるかどうかという一点の判断に絞られてしまう。こういうテクノロジーの利用は、間違いなく効率化を意味するが、人工知能というほどの革新ではない。なぜなら、それは、情報の対称化とはいっても、貸す側からの対称化にすぎないからである。

顧客本位の視点があってはじめて、革新になるのである。貸す側が債務者情報を大量に得ても、それだけでは対称的ではない。借りる側でも、融資以外の代替方法も含めて、資金供給側の情報を大量に得る必要があるのである。そして、それに基づいて、資金需要側が最適な方法を選択できるようにしてこそ、供給側と需要側との間の真の情報の対称性が成立するのである。テクノロジーの進化は、この革新を可能にする点に、本質的な意味があると考えられる。

このとき、金融は、資金の需要側と供給側との間で、双方向的な高度に複雑な関係になるであろう。まさに人工知能が必要になる局面である。では、その人工知能に最終判断ができるかというと、それはできない。人工知能は、どこまでも効率化の道具であって、最終的な責任ある判断は人間のものとして残る、いや、残さねばならない。創造的進化は永遠に人間の決断によるものだからである。