小結の阿炎関から理解すべき「教育の限界」

2020年02月07日 06:00

教育に過剰な期待がかかってしまうケースがしばしばあります。社会の欠陥は人間が起こしたのであり、欠点を抱えた人間を形作ったのは誤った教育だから、正しい教育をすれば解決するといった認識があるのでしょう。

しかし、教育さえ良くなれば万事うまく解決するといった類の考え方は、問題をもたらした他の原因を覆い隠してしまうおそれがあり注意が必要です。学習塾を経営している立場からは言いにくいのですが、教育の持つ無力さを十分に理解する必要があると思います。

阿炎関(NHKスポーツオンライン 大相撲取組動画より)

阿炎関が起こした一連の騒動は、そんな教育の限界が直感的に理解できる一例です。

日本相撲協会は、小結の阿炎が4日行われたSNSの危険性などについて学ぶ研修のあと、「寝ていて聞いていない」などと不適切な発言をしたとして、5日、阿炎に対し厳重に注意しました。阿炎は去年、SNSに不適切な動画を投稿して協会から厳重に注意され、研修は、この問題が発端となって行われていました。

阿炎は去年11月、粘着テープなどで縛られた力士のお互いの様子を撮影した動画をSNSに投稿する、不適切な行為をして日本相撲協会から厳重に注意を受けていました。

(NHK NEWS WEB『研修「寝ていて聞いていない」小結 阿炎を厳重注意 相撲協会』)

どれほど上手且つ熱心に教育しても、効果が期待できないケースが多々あるという事実を認識する必要があります。そうでないと、先述したような弊害が生じるだけでなく、あまりに短絡的な暴論が横行しかねません。

教育する側の意図通りの成功が確率論的にしか起きないことを忘れた、乱暴な教育論が横行している。たとえば、教育の限界を「さらに徹底した教育」で超えて、すべての青少年を教育しつくそうとする議論や、教育につきものの「うまくいかなかった例」を拡大解釈して、「現代の教育がもはや解体する兆候だ」と即断してしまう議論である。

(広田照幸著『教育には何ができないか 教育神話の解体と再生の試み』春秋社、2003年)

こうした乱暴な教育論が影響力を持った結果、往々にして過剰な仕事が教師に降ってきます。典型的だったのが「総合学習の時間(以下、総合)」でしょう。

文科省によれば、総合は「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなど」をねらいとするものです。特定の教科書が存在しない、教師と生徒で作り上げるマニュアルなき授業だと言えます。

説明するまでもなく、教師にかかる負担は相当なものでしょう。そんな大きな負担を減らすべく、明らかに手を抜いた総合の授業を実施している様子が、生徒たちとの会話からよく伝わってきます。過負荷に耐えられず、あの手この手で誤魔化してしまう先生方が散見されるわけです。

「寝ていて聞いていない」という発言は、流石に度が過ぎています。一方、私自身もよく授業中に寝ていたことを思い出しますし、決して少なくない人数の方々も同様の経験を持っているでしょう。阿炎関の騒動だけでなく、自分自身がどれほど真面目に教育を受けてきたかを思い浮かべれば、教育の限界は自ずと見えてくるのではないでしょうか。

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