欧州で広がる「アジア人フォビア」

長谷川 良

アルプスの小国オーストリアではこれまでのところ中国発の新型コロナウイルスの感染確認者は出ていない。中国武漢在中のオーストリア人が9日、6人帰国し、即監視施設に2週間、隔離された。その前にはフランスのチャーター機で7人が帰国済みだ。

新型コロナウイルス対策で現場視察する習近平国家主席(2020年2月10日、中国国営新華社通信公式サイトから)

オーストリア国営放送は連日、武漢の新型コロナウイルスに関する情報を放映している。北京在留の特派員は中国政府発表の公式情報を繰返す一方、独自の情報を入手するために奮闘している。中国共産党政権が発表する死亡数や感染者数の信ぴょう性が疑わしい一方、路上で国民に取材できないため、自宅に閉じこもってネット情報などを収集している、と説明するオーストリア国営放送特派員の事情には同情を禁じ得ない。

音楽の都ウィーンには連日、中国人旅行者が溢れていたが、その数は少なくなってきた。オーストリア航空は北京との直行便を今月末まで中止するが、北京航空のウィーン入りは制限していないので、中国人旅行者はウィーンを訪問できる。新型コロナウイルスの感染を恐れる市民の中では中国人旅行者の入国禁止を実施すべきだという声が高まっているが、ウイルス感染確認者がまだ出ていないこともあって、クルツ政府は中国旅行者の入国制限は控えている。

ところで、ウィーンには数万人の中国人が住んでいる。中華レストラン従業員、アジアレストラン経営者やビジネスマン、留学生なども多数いる。市内には伝統的な日本レストランは1軒しかないが、中国レストランは市内の至るところにある。昼食時には労働者やサラリーマンが安価なメニューを楽しむ。

平和時には、中国人が多いこと、中国レストランが多数あることに不満や反発はなかったウィーン子だが、中国武漢で新型コロナウイルスが発生して以来、市内に住む中国人への風当たりが厳しくなってきたのを感じる。

中国レストランにはウィーン子の客が少なくなった。それだけではない。路上にいる中国人に対して、蔑みの視線を投げかけたり、時には暴力さえ振るう市民が出てきた。オーストリア大衆紙「エステライヒ」によると、地下鉄から下車しようとしたアジア人が後ろから押されたという。幸い、けがはなかった。

嫌がらせは中国人だけが受けているのではない。オーストリア人にとって目の前を歩く人間が中国人か、韓国人か、日本人かの区別は容易ではない。彼らにとって明らかな点は「アジア系人間」というだけだ。だから、「中国人」ではないアジア系の市民が武漢の新型コロナウイルスの感染の疑いを受け、時には嫌がらせを受ける羽目になる。

ウィーン大学で学ぶ日本人女性は、「子供連れの若いお母さんがベビー・カーで市電に乗ろうとしていたので助けようと近づいたら、『いいです、自分でできますから』と断られたという。その断り方が普通ではなかった。

赤ちゃん連れの女性たちが市電に乗る時、近くの人が直ぐにベビー・カーを手伝う光景はどこでも見られる。それを断るということは余り考えられない。その日本人女性は、「私を中国人と思って、新型コロナウイルスを赤ちゃん伝染されたら大変、という母性本能が働いたのかもしれない」と軽く受け流そうと努力していた。

地下鉄内でアジア系乗客がくしゃみでもすれば、傍に座っていた乗客は直ぐ立ち上がって席を離れる、といったシーンは最近は頻繁に目撃される。

これは「中国人フォビア」ではなく、「アジア人フォビア」というべきかもしれない。若い日本人男性は、「背中に『私は中国人ではありません』と書いた紙を貼って歩くべきかもしれないね」と語っていた。今のところ、冗談半分で済むが、新型コロナウイルスの感染確認者が出た場合、状況は激変することが予想される。

グロバリゼーション、社会の多様性などの言葉が好きなウィーン子も武漢発の新型コロナウイルスが広がって以来、自分とは異なるアジア系訪問者に対して厳しい視線を向けるようになったのを感じる。

「新型コロナウイルスは一過性だから、夏が訪れる頃にはウィーン子はまた親切になって、昼食時には近くの中国レストランのメニューに舌鼓を打つから、心配しなくてもいい」と言った理性ある声が聞かれる。そうかもしれない。同時に、「新型コロナウイルスが発生した時に見せたウィーン子のアジア蔑視、アジア人フォビアはそう簡単には忘れることが出来ない」といった重たい声も聞こえてくる。

個人的なことだが、昔、当方は道で会う人に「あなたは中国人ですか」とよく聞かれた。違うというと次は「ひょっとしたら韓国人ですか」という。そうではないというと、彼は困ったような顔をしながら、「日本人ではないですよね」というから、「私は日本人です」と答えたことが過去、何度かあった。当方は新型コロナウイルスが発生して以来、出来るだけ外出を控えるようにしている。

神学者であり医者だったアルべルト・シュヴァイツァー博士(1875~1965年)は、「身体が健康であり、同時に、嫌なことを記憶しない人は幸せだ」と述べている。新型コロナウイルスが欧州にもたらした「アジア人フォビア」について、当方は忘れる努力をしているところだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。