“トランプ症候群” 政治の居直りに負け続ける「法の支配」

中村 仁

トランプ症候群が伝播

「法的の正義」「法の支配」が揺らいでいるように思います。その震源地はトランプ米大統領です。いわばトランプ症候群です。中国、ロシアには期待できなくても、民主主義国では社会の基本的な原理であるはずなのに、そうではなくなりました。日本もトランプ症候群に陥っています。

官邸サイトより:編集部

カジノを含む統合型リゾート(IR)の参入を巡り、収賄罪で起訴された衆議院議員、秋元被告が保釈後、記者会見をし、容疑を真っ向から否定しました。自分のどこが悪いのだと、言わんばかりです。どこかトランプ大統領の小型版です。メディアもやめておけばいいのに、居直りを大扱いする。

日産の元会長のゴーン被告は会社を私物化し、特別背任罪で起訴され、保釈中にレバノンに逃亡し、今や海外逃亡犯と名付けられています。海外から自分の身の潔白、日本の司法制度への不満を訴え続け、「日産の陰謀だった」と決めつけています。反省のかけらもなく、居直りです。

日本の司法制度、運用に欠陥があるにしても、だからといって、ゴーン被告の黒い行動が帳消しなるとは思えない。「自分は悪くない。日本こそ悪い」と叫び続けていれば、大衆はそのうちに錯覚を起こすとでも、本人は考えている。そんな時代になってしまった。トランプ氏と相似形です。

疑いは完全に晴れたのか

重大なのは、トランプ米大統領の弾劾裁判です。「権力の乱用」「議会に対する妨害」で訴追されながら、上院の評決で無罪になりました。評決後、トランプ側は「民主党のでっち上げ、いかさまの企てが終わり、疑いは完全に晴れた」との声明を発表しました。そこまでいうか。

「黒を白」と、叫び続けていれば、自分を信じてくれる支援者、信者がいると、思っているのでしょう。あるいは、「黒でも白でも、自分たちの利益を守ってくれるなら、どっちでもいい」と、多くの支援者は考えているのでしょう。「法の正義」は二の次なのです。

何が法の支配、法的な正義なのかを争う場合は、裁判所の裁判官のもとで、陪審員が公正に論議し、判決を下します。米大統領の場合は、政治的思惑が渦巻く議会、その上院議員が陪審員になり、有罪か無罪かを多数決で決める。こんな仕組みでは法的正義より、政治的動機が優先される。

弾劾裁判は米国憲法に書き込まれていますから、法に逸脱してはいません。では、実態はどうかというと、議会は党派色で鮮明に割れ、党派に従って投票する政治的な行為そのものになり、通常の裁判とはかけ離れています。そのことはブログ「米大統領の弾劾は奇妙な裁判」(1/26)で取り上げました。「法による正義」は政治的利益より下位に押し下げられています。

法の支配は民主主義の基本原理

新型肺炎ウイルスの拡散で問題視されている習近平政権の情報隠蔽は、本来なら重大な事件です。中国、ロシアのような閉鎖的世界の独裁政権に対し、法の支配、法的正義を問うてもむなしい。そんな中ロならいざ知らず、「法の支配」が社会基盤のはずの米日のような民主主義国家でも、残念なことに「どうなってしまったのだろう」と、首を傾げる問題が目立ちます。

トランプ氏の擁護を続け、司法長官に抜擢されたバー氏はさすがに、「司法省が扱う刑事事件に関してツイートを控えるべきだ」と苦言を述べました。大統領の元側近の量刑が重すぎると批判し、司法省に要求を飲ませた異例の事態に、バー長官は深刻です。

日本でも同じような問題が起きています。安倍政権に好意的とみられる東京高検長の定年を、従来からの規定を破ってしばらく延長し、今夏、検事総長に就任させる目論見といわれます。突如、定年延長を閣議で決定してしまい、野党の追及に政権は、のらりくらりの構えです。

検察庁法の解釈を変え、国家公務員法の定年延長の規定と横並びにするとの説明です。それならば、もっと事前に法の解釈の変更を決めておくべきでした。「法の正義」に反しても、「政権支持率が落ちなければ問題ない」と、考えているに違いありません。

安倍政権の支持率は多少、変動があっても40、50%程度のレベルから大きく外れません。トランプ氏の場合と似ています。「都合の悪いことは黙殺を続ける。そのうちに目先が変わった問題が発生する。メディア、大衆、野党はそのうち忘れる」なのでしょう。

「桜見の会」騒動そのものは、安倍政権の体質をよく示した問題です。始めから関係書類、文書を公表し、その上で謝罪していれば、済む程度の問題です。「文書は廃棄した」とか「民主党政権でも選挙区の支援者を招待していた」とかいうから、ボヤが大火のようになる。日ごろ、民主党政権時代のことを誹謗しながら、都合によっては「民主党でもやった。どこが悪い」と居直る。

政権支持率が落ちないのを見て、日米ともにかなり乱暴なことをやっています。トランプ氏のほうがはるかに傍若無人、品位も欠けていますから、「それに比べれば、日本はずっとまし」と、政権もその支援者も内心では、思っていると想像します。有権者が投票行動を変えことでしか、政治行動を修正させることはできません。

メディアもニュースの本質にもっと迫るべきです。首相が新聞、テレビごとに経営トップ、編集幹部と会食する頻度が以前にまして増えています。昨日の新聞には、日経の会長、社長、コラムニストと首相が会食したとありました。首相側の狙いははっきりしています。新聞のトップはそんなことにも鈍感になっているのでしょうか。情けない。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。