コロナ対策をする国民への感謝の重要性

2020年03月15日 06:01

WHOのテドロス事務局長が日本政府を称賛する発言を行った(参照:共同通信「WHOトップ、安倍首相を称賛」)。外交上の観点から言えば、日本がコロナウィルスの抑え込みに奏功しているという印象をWHOを通じて発信してもらうのは、悪いことではない。

官邸サイト、WHO YouTubeより:編集部

ただ、中国に忖度しすぎていると評判の悪いテドロス事務局長だ。正直、多くの日本人が、複雑な気持ちだろう。日本の状況が最悪ではないからといって、これまでの日本政府の施策に目を見張るものがあったということにはならない。検査数を抑えて医療崩壊を防ぐ、というのは、妥当な態度ではあるが、そのこと自体は、積極的な抑え込み政策のことではない。学校の一斉休校も、それ自体としてどれだけの効果があったのかは不明だ。

ただ、危機意識が高まって、一般国民の自助努力が促進したのは事実だろう。結局、一般人の自発的努力の部分が、日本の底力だ、ということなのではないか。

14日夕の安倍首相の記者会見は、新型コロナ特措法の成立にあたってのものであり、政府の立場を国民に説明する機会であったが、これまで努力を払ってきた数多くの人々へのお礼の言葉があったのは良かった。

海外メディアにアピールするのにも良い機会であったことも考えれば、もっと、これまでの国民の努力を称賛する言葉があってもよかったくらいだと思う。

アメリカのように大統領が緊急事態宣言を発する国もある。欧州諸国の指導者は、悪いシナリオを示唆してまで国民に語りかけるようなスタイルを選択しているようだ。アジア諸国は比較優位のある技術対応を求めている場合が多い。日本の場合は、国民にできることをするように「お願い」をするスタイルだったが、これまでのところ破綻はしていない。

第二次世界大戦当時の日本は、兵員のレベルは高かったが、指導者層の質が低かった、とよく言われる。日本のような社会は、社会習慣や人事慣行が確立しすぎているため、突出した能力のある者を特に抜擢して特別な職権を行使させることが苦手な社会構造になっている。他方で、国民が広範に必要なことを行っていく度合いを測ると、悪くはない結果が出る。

こういう社会では、指導者層が自分のことを優秀だと誤認し、妙な仕組みを語り始めると、ろくなことにならない。指導者層は、不明な点を謙虚に認めながら、議論を活性化させ、一般人の底力を活かしていくことを考えていくしかない。

今や、日本人の多くは、オリンピックの予定通りの実施は得策ではないと考えている。世界の多くの人々も、オリンピックどころではない、というのが正直な気持ちだろう。強行しても、日本への不信感が高まるだけだ。日本のコロナウィルスの取り組みは悪くはない、という印象が確立されたところをみはからって、むしろ日本のほうから諸国をおもんばかって、世界中の大変な様子を見て延期を図る、と姿勢をとるのが、妥当だろう。

伝統的な日本外交では、これを明確な英語の政治演説で表明したりするのは、得意ではない。そこでWHOテドロス事務局長と良好な関係を築きつつ、IOCバッハ会長に「WHOの助言に従う」などと発言してもらう情勢の中で、様子を見たり、雰囲気を醸成していくしかないのだろう(参照:毎日新聞「IOC・バッハ会長「WHOの助言に従う」)。

自らイニシアチブをとらないのは物足りないが、悪くはない。むしろ、一部の国内の指導者が意固地になったら、危険だろう。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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