「識者」たちによる“岡村バッシング”への大いなる違和感

2020年04月30日 06:00

タレントの岡村隆史氏の深夜ラジオでの発言が批判されている。内容は雑駁に言えばコロナ不況の結果、美しい女性が性産業に流入するからそれが「ねらい目」というもので、品のない発言であることは間違いない。批判を受けてか岡村氏は所属事務所を通じて発言について謝罪した。

ネット上での批判の声として、例えば東京新聞所属の望月衣塑子記者がツイッターで「こういう言葉が、著名な芸能人から出てくる異常さ」などと非難したことが挙げられる。

他には生活困窮者支援に取り組む藤田孝典氏が自身のヤフーニュース個人の記事に取り上げ「私は絶対にこういう発言を許してはいけないと思っている」とか「このような発言を面白おかしく取り上げてきたメディアも猛省すべきである。」と強い調子で批判する。

岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべきではないか岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべきではないか

望月・藤田両氏の批判の根底には「影響力のある人間だから言葉を選ぶべきだ」があるいっても良いだろう。そしてそれ自体は正しい。

しかし、コロナ有事の現下、「影響力のある人間」として問題になっているのはワイドショーのコメンテーターも挙げられるはずだが、これに対して両者は積極的に発言しているわけでもない。「自分の関心テーマではないから問題ない」ということだろうか。

「影響力ある人間」への警戒としてそれでよいはずがない。特に望月記者はジャーナリストなのだから「影響力ある人間」への警戒はもっと幅広くもつべきだ。

岡村隆史のオールナイトニッポン公式ツイッターより

問題とされる岡村氏の発言もどのようなメカニズムで影響力を発揮するのだろうか。有名タレントの発言とはいえこれは深夜ラジオでの発言で全く具体性のない話である。

それこそワイドショーやYahoo!ニュースで取り上げられて初めて影響力を発揮するのではないか。

だから望月・藤田両氏の批判はマスクをしないで唾を飛ばしながら「コロナの感染を防ぎましょう!」と言っているのと同レベルである。

望月・藤田両氏は「弱者」に強い関心を持ち、それを「救う」「寄り添う」ことの重要性を主張しているようだが、これでは「弱者に寄生しているだけだ」という誹りは免れまい。

あまりにも一面的 

岡村発言批判で「突出感」があるのは藤田孝典氏だろう。氏は岡村発言を自身のyahoo記事で論じ「批判」の名目で世の性産業愛好家にポスト・コロナの振る舞いを伝授した。

藤田氏の記事を読んで10万円の給付金を性産業で消費するものいるだろう。

この問題でまず明確にしなければならないのは性産業の評価、すなわち女性が自身の性的魅力を商品化することの是非である。ここ曖昧にしてしまうと単なる道徳の話になる。

藤田氏は「路頭に迷っている女性を商品化し、性産業に利用するスカウトが声をかけていく」とかいかにも人の道徳心を刺激しそうな話をしながら最後に「本稿ではセックスワークの是非を議論することはしない」とするがこれでは全く意味がない。

そんな藤田氏の性産業観が窺えるものとして以下の記述がある。

児童福祉関連の制度やシステムを改善、拡充して手厚くする方向性ではなく、性産業に従事するような構造が作り上げられてしまっている。

これを「福祉の敗北」などと批判する者もいるが、日本における性産業、性の商品化の需要は凄まじく、異常なほど女性の性的搾取に執着する構造が福祉の拡大や拡充を阻止している実態がある。

藤田氏の認識では性産業に従事する女性は「被害者」になっているのは明らかである。

氏は期待した福祉サービスを受けられなかった女性が「意に反して」性産業に従事してしまうような書きぶりだが皆そうとは限らないし、この二つの相関だって何も証明されていない

また、藤田氏は「女性の性産業従事者=被害者」と認識しているためか、性産業・性の商品化が活発化すること自体、問題視しているがどうだろうか。

ネット上の掲示板を閲覧していると時折、驚くような性情報に接することがある。掲示板には脈絡もなく特殊な性動画・画像が掲載されていることが度々ある。

筆者の感性ではともて受け付けない性情報だが、演者が日本人ならば違法性は低いだろうし、受け付けないとはいえ一つの表現として成立している。どうして成立しているか考えるなんて野暮だろう。性とは十人十色なのである。

だから藤田氏が嫌悪する性産業・性の商品化の旺盛な需要とは性分野における「表現の自由」の活発化という側面もあり、これは否定してはならないはずである。藤田氏の性産業観はあまりにも一面的と言わざるを得ない。

「弱者の演者」として岡村さん 

隠すことでもないが筆者が本稿を書こうと思った理由は実は筆者自身が学生時代まで熱心な岡村隆史ファンだったからである(相方は苦手だった)オールナイト・ニッポンに関してはヘビーリスナーだったといっても過言ではない。

今はもうファンと呼べるほど、いや一視聴者としても岡村氏の番組は見ていない。最近の活躍もそれこそyahooの記事で知るくらいである。別に嫌いなったとかそういうことは全くないが、単純に筆者の中で「お笑い」の関心がなくなったのだろう。

そんな「元ファン」からすると今回の騒動、雑駁に言えば岡村隆史が何か「弱者」の女性の不安につけこんだ「悪い大人」「強者」のように報道されること自体、違和感が大きいのである。

ナインティナインの岡村隆史はまさにテレビの全盛時代に活躍した。

そしてテレビの全盛時代によくあった企画として「多数のタレントが一人のタレントをいじりぬく」があった。

この「いじり」は「いじめ」と置き換えても問題はない。「いじり役」は「いじめ役」であり「いじられ側」は「おいしい」のではなく「いじめられ役」である。

筆者は岡村氏が「いじめ役」になることは少なかったように記憶している。岡村氏は基本的に「いじめられ役」で、これは氏の容姿・身長を考えれば不思議なことではない。

一応、岡村氏の最近の活躍を可能な限り確認したが、やはり「強者」「強面」とかそういう役はやっていない。

筆者の中で「岡村隆史=弱者の演者」という認識があり、だから今回の報道には違和感があったのである。

プライベートでも特にパワハラや態度がひどいということも報道されない。彼は本質的に内向的な人物であり、長期休養の経験もある。

岡村隆史は下品かもしれないが「強者」「強面」「搾取」が似合わない人物である。

ハガキ職人未満の「識者」たち

この騒動では「弱者」に関心がある様々な「識者」が岡村氏を批判しているが、では、岡村氏が「弱者」を救わなかった、なんら好影響を与えなかったとでもいうのだろうか。

彼はともすれば「プロデューサーの企画」にのるだけでタレントを名乗れたテレビの全盛時代に卓越したボディ・パフォーマンスで存在感を示してきた人間である。

彼の「芸」は本物であり、だからこそ今でも、長期休養があったにもかかわらず番組に出演できるのである。本物の芸人の「芸」が「弱者」を救わないわけがない。好影響を与えないわけがない。ただ救い方が普通の職業と違うだけである。

岡村氏を批判する「東京新聞の記者」「Yahoo記事執筆者」その他「識者」はどれほど他人を救えるのか。「ハガキ職人(深夜ラジオの常連投稿者)」にも及ばないのではないか。

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