元検察最高幹部らの反対表明は「検察既得権益」の死守

加藤 成一

元検察最高幹部らの「定年延長反対表明」

検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案をめぐり、元検事総長ら検察OBは、5月15日改正案に反対する意見書を法務省に提出し、「検察人事に政府が干渉しない慣例が破られる」と主張した。

さらに、意見書提出後の記者会見で、「改正案が成立すれば、政権が検察に影響を与える余地が生じる強い危惧がある」とし、「特定の検察官の定年延長ありきで、これまでになかった動きだ」と主張した。

意見書では、「起訴不起訴の決定まで政権の干渉を受ければ国民の信託に応えられない」と訴えている(5月15日付け「産経新聞」)。

「検察と民主主義の危機」と主張して意見書を提出し、記者会見を開いた松尾邦弘元検事総長(左)と清水勇男元最高検検事=AbemaTIMESより、編集部

検察庁法改正案の内容

改正案は、国家公務員の定年延長に伴い検事総長を除く検察官の定年を63歳から65歳に引き上げることが中心である。そのうえで、63歳に達した幹部が役職を離れる「役職定年制」には特例を設け、内閣・法務大臣の判断で役職を最長3年延長できるとする内容になっている。

思うに、定年延長は民間会社を含め時代の大きな流れであり、公務員や検察官も例外ではあり得ない。公務員には定年延長を認めるが検察官だけは認めないことこそ極めて不自然と言えよう。また、「役職定年制」についても、特に優秀で有能な人材を大いに活用するため上記特例を設けることは合理的であり、特例の「規準」を明確にすれば何らの弊害もない。

「検察ファッショ」を防止する政治的関与

言うまでもなく、検察官及び検察庁は民主的な国民の選挙による洗礼を一切受けていない。したがって、強大な強制捜査権・訴追権をほぼ独占する検察官及び検察庁が、時の政権幹部等に対して強制捜査権・訴追権を乱用し「暴走」しても、主権者である国民は一切コントロールができないのであり、その結果、時の政権が打倒される事態も否定できない。これがいわゆる「検察ファッショ」の恐ろしさである。

検察の「暴走」は何もこのような「政治的暴走」だけではない。「人質司法」や「捜査の暴走」も恐ろしい。取り調べにおける「自白の強要・脅迫」は今も後を絶たない検察の宿痾である。最近の広島地検「河井選挙違反事件」についても、検察官から取り調べを受けた県会議員は「自白を強要」されたと主張し、最高検察庁に再発防止と取り調べの可視可の要望書を提出した(5月1日付け「広島ニュース・報道」)。「捜査の暴走」に他ならない。

このような事態を防止するためには、国民の民主的な選挙による洗礼を受けた時の政権(内閣)による検察人事への関与は必要不可欠である。そうでなければ、選挙の洗礼を受けない検察組織は正に「検察王国」となり、検察の「暴走」は止められない。

官邸HP、Wikipediaより:編集部

周知の通り、日本とは異なり、欧米先進諸国では検察官や官僚トップ等の政治任用が当然とされている。強大な権力を持つ検察の「暴走」を防止し、検察に対する国民による民主的コントロールを行うためである。

内閣総理大臣による行政各部の指揮監督権

上記の元検察最高幹部らは「検察人事に政府は干渉すべきでない」などと主張しているが、この主張は憲法上正当ではない。

なぜなら、行政部である法務省に属する検察官は「準司法官」とされるが、その任命権及び人事権は内閣・法務大臣が有している。最高裁判事さえ内閣に任命権がある(憲法79条)。

即ち、「議院内閣制」の日本では、選挙で選ばれた国会議員が内閣総理大臣になり(憲法67条)、行政各部を指揮監督する権限を有するのであり(憲法72条)、指揮監督権には行政各部の人事権も含まれる。

即ち、検察人事権は内閣総理大臣の憲法上の権限であることは明らかだからである。

元検察最高幹部らの反対表明は「検察既得権益」の死守

以上によれば、今回の元検察最高幹部らの反対表明は、検察組織に対する内閣による干渉を許さず、検察人事権を検察部内で独占して「検察王国」を温存し、検察組織の独善的な「検察既得権益」を死守するための危機感に基づくものであると言えよう。

このような、内閣による検察人事権への干渉を排除し、民主的コントロールを許さない検察組織の独善的な「検察既得権益」の死守は、「検察ファッショ」に至る「政治的暴走」のみならず、「人質司法」や日常的な取り調べにおける自白の強要・脅迫など「捜査の暴走」をもたらす危険性が極めて大きい。

よって、今回の元検察最高幹部らによる「定年延長反対表明」は、正に検察組織に対する国民による民主的なコントロールを否定するものであり、国民はこのような反民主主義的な「反対表明」に決して惑わされ、左右されてはならないのである。