レジ袋問題:環境活動家由来の馬鹿げた政治パフォーマンス

清水 隆司

池田信夫氏執筆の記事「プラスチックごみはリサイクルしないで燃やせばいい」を読んで、驚いた。罰則つきで容器包装リサイクル法関係の省令を改正するのなら、流通するプラスチック製品全体でも、海洋プラスチックごみの中でも、レジ袋の占める割合は当然かなり高いに違いない、と勝手に思い込んでいたからだ。

ところが、記事によれば、前者は2%ちょっと。後者に至っては、0.3%にすぎないというのだ。いったい何を期待してこんな不合理な選択をしたのだろう。

考えられるのは、欧米の潮流だ。欧米の常識に右へ倣えしないと、環境後進国の汚名を着せられる。敗戦以降、極度に孤立を恐れるこの国は、欧米基準で悪目立ちしたくないと、怯えながら、たちまちすり寄っていく。それが、不合理だ、とわかっていても、だ。

Markus Spiske/flickr

だが、その潮流自体をつくり出したのはいつもの人たち。科学的根拠よりも、自分たちが考える正しさを強調したがる意識高い系の活動家たちだ。あらゆる分野で彼らのような人々が無視できない力を持ち始めている。暗澹たる思いを禁じえない。

ふとスウェーデンの少女のことが脳裏に浮かんだ。学校に通わず、「環境活動家」の看板を掲げているあの彼女だ。彼女を批判するつもりはない。怒りを覚えるのは、彼女ではなく、彼女を前に押し出して、自分たちの主張に都合の良い広告塔に仕立てあげている下劣で卑怯な大人たちだ。

もし彼女の良き隣人ならば、彼女にどんな言葉をかけるべきか。

「主張したり、行動を起こしたりする前に、まず自分を疑いなさい。疑って、正しい答えを得るには知識が必要。学校へ行きなさい。書物を読みなさい。心掛けて自分と正反対の考えを持つ人と会い、深く語り合いなさい」

こんなところだろうか。

欧米でも、コロナ対策にかこつけて、この馬鹿げた政治パフォーマンスを見直す動きが起き始めている。日本は孤立しないから、大丈夫。ただちに撤回して、池田氏が提言する通りにすればいい。プラスチックを燃やすと、かつての「杉並病」を思い起こす方もいるかもしれないが、あの話も結局原因を特定できないまま立ち消えになっていった。「ダイオキシン類対策特別措置法」に対応する技術も、施設も、この国にはすでにあるのだ。

ところで、この省令改正の旗振り役は小泉進次郎氏だったのだろうか。すらすらと意味不明なことを喋る彼だが、奇妙な人気は相変わらずなので、選挙の噂がある中、分不相応な浮揚をさせないよう自民党内の政治力学が働いて、意図的に失態を演じさせた——と考えるのは、さすがに、深読み、というより邪推に当たるのかもしれない。

清水 隆司 
大学卒業後、フリーターを経て、フリーライター。政治・経済などを取材。