自粛から撤退して経済を正常化するとき

池田 信夫

内閣府が発表した今年4~6月期のGDP速報値はマイナス7.8%、年率換算でマイナス27.8%となった。これはリーマン・ショック後のマイナス17.8%を超える戦後最大の落ち込みである。緊急事態になっているのは日本経済なのだ。

新型コロナの患者は東京では一段落したが、感染が全国に広がり、今月いっぱいは重症患者も増えるだろう。それは大した問題ではない。医療資源の制約に収まるかぎり、患者が増えてもいいのだ。

これを集団免疫戦略と呼んで「集団免疫は実現しないのでだめだ」というのは間違いだ。これは米CDCが2007年に出したガイドラインでも示されているcommunitiy mitigationという世界標準の考え方で、WHOも採用している。

これは日本の専門家会議が2月24日に出した「ピークシフト」戦略と同じで、集団免疫ができるかどうかとは無関係だ。それを目標とするものでもない。この戦略が成り立つ必要十分条件は重症患者数のピークが医療資源の制約内に収まるということである。

風邪を引くこと自体は問題ではなく、それを防ぐのは政府の仕事ではない。個人が気をつけることである。そうはいっても大流行になると政府が介入して、免疫力の弱い人(高齢者や基礎疾患をもつ人)を隔離してピークを下げる必要がある。

横並びでロックダウンしたEU各国

これがいわゆる集団免疫戦略で、理論的にはごく常識的な方針だ。異常だったのはEU各国政府の方針である。

  • 3月7日:イタリア政府が緊急事態法を施行
  • 3月13日:スペイン政府が非常事態宣言を発令
  • 3月16日:フランス政府が外出禁止令を発令
  • 3月22日:ドイツ政府が外出禁止令を発令
  • 3月23日:イギリス政府が外出禁止令を発令

このうち世界の注目を浴びたのが、イギリス政府の方針転換だった。ボリス・ジョンソン首相は3月12日に記者会見し、外出禁止ではなく感染のピークを遅らせる「遅延」戦略をとるという方針を表明したが、これが激しい政治的反発を呼んだ。

このとき首相と一緒に会見した科学顧問が集団免疫という言葉を使ったが、これに対して一般国民だけでなく専門家からも「感染を放置して人命を軽視するものだ」という批判が集中し、23日に一転してロックダウンに転換したのだ。

これには何の戦略も理論的根拠もなかった。Lockdownというのはテロ対策で都市封鎖するとき使われた言葉で、感染症に使ったのは1月にWHOが武漢の感染爆発についての対策を打ち出したときが最初である。

3月16日に発表されたインペリアルカレッジの報告書には、緩和(mitigation)と封じ込め(suppression)という2つのオプションが提示されていた。これが封じ込めのシミュレーションだが、最初は医療資源の制約(図の赤い直線)の中にぎりぎり収まるが、秋に感染爆発して被害は増えると予想している。

内容的には明らかに緩和を提言するものだが、最後のパラグラフで唐突に封じ込めを推奨していた。これは政府の方針転換に合わせたものだろう。これが世界の感染症対策の岐路で、EU諸国は横並びでロックダウンし、アメリカなど世界各国がロックダウンに転換した。

ロックダウンが感染症対策として有効だったのかどうかについては、専門家の評価がわかれているが、インペリアルカレッジの「何もしないとイギリスでは51万人、アメリカでは220万人が死亡する」という予測は大幅な過大評価だった。イギリスの死者は4万人、アメリカは17万人である。

スウェーデンの対策は失敗か

残ったのはスウェーデンだけである。これがいま世界から批判を浴びているが、スウェーデン政府の科学顧問は「ロックダウンで感染の拡大が防げるというエビデンスは見たことがない」と反論し、ロックダウンは科学の言葉ではなく政治の言葉だと指摘している。

たしかに集団免疫理論によれば、ロックダウンで感染の総数を減らすことはできない。基本再生産数をRo、集団免疫の閾値をHとすると、

Ro(1-H)≦1

となるとき集団免疫が成立するので、たとえばRo=1.2とするとH≧0.17で、人口の17%が免疫を獲得するまで流行は止まらない。ロックダウンしてもRoは変わらないので、ピークが下がって裾野が広がるだけだ。

理論的には、患者が増えるのを放置して早く集団免疫を実現したほうが被害は少ないのだ。これが「集団免疫戦略は非人間的だ」といわれる所以で、医療資源の制約を超える場合は好ましくないが、日本ではその制約内に収まった。

日本の専門家会議も「緩和」の方針だったが、西浦博氏が理論的根拠のない「オーバーシュート」という造語でRo=2.5と想定する荒唐無稽なシミュレーションを宣伝したため、緊急事態宣言を出す結果になった。

スウェーデンの死亡率は他の北欧3国の5~10倍だが、図のように今年4~6月期のGDPはマイナス8.6%で、EUの中では被害が最小である。これを成功と呼ぶか失敗と呼ぶかは意見がわかれるが、ロックダウンでウイルスは根絶できない。

規制をやめるとオーストラリアやイスラエルのように死者が急増し、またロックダウンに戻るいたちごっこになり、集団免疫になるまで流行は止まらない。集団免疫で止まるとも限らないが、医療資源が破綻しない限り感染がいつまで続いてもかまわない。スペイン風邪のウイルス(H1N1)は100年以上残っている。

だから日本のように医療資源が制約になっていない国では、封じ込めで感染を減らしても死者は減らない。接触制限などの政府の介入は、経済を破壊するだけなのだ。これは日本のコロナ分科会の専門家も知っているはずだ。

日本が法的な制約でロックダウンできなかったことは幸いだったが、緊急事態宣言は余計だった。日本の死亡率はEUやアメリカより2桁低い。その原因は不明だが、日本が成功したことは明らかだ。指定感染症を解除して自粛から撤退し、経済を正常化するときである。