朝鮮日報よ、マッカーサーへの昭和天皇のご発言捏造は許せない!

2020年08月21日 06:00

8月19日の朝鮮日報日本語版アクセスランキング7位に、【萬物相】「『ジャップ』が東京裁判を検証!? 米国の胸中やいかに」なる記事が唐突に登場した。日付を見ると「記事入力:2015/11/14 08:34」とある。さては光復節特集か?と訝りつつ読み進むと、次のような、飛んでもない捏造フレーズが書いてあるではないか。

第2次大戦の敗戦から少し経った後、昭和天皇がマッカーサー司令官の執務室を訪ねた。マッカーサーは、たばこを勧めた。天皇の手は震えていた。「真珠湾攻撃は、東條が私をだましてやったこと」と言った。天皇の主張を、マッカーサーは受け入れた。日本の統治に天皇の協力が必要だったからだ。戦犯の「線引き」が始まった。国民をだまして日本を戦争に追いやった指導者だけを断罪することになった。もちろん、頂点には天皇がいた。しかし「東條にだまされた」という一言で、天皇は「だまされた者」に化けた。歴史的な喜劇だ。

筆者は、1945年9月27日に行われた昭和天皇とマッカーサー連合国軍最高司令官との最初の面会に関する、これほど酷い捏造と陛下の冒涜をかつて目にしたことがない。そしてこの記事を書いた鮮于鉦(ソンウ・ジョン)なる論説委員が、どのようにしてこんな嘘を思いついたのかと考えて、怒りというよりむしろ呆然としてしまった。

United States Army photograph:編集部

記事には、71年にキッシンジャーが極秘訪中した時の周恩来とのやり取りで、キッシンジャーの「日本は考えが狭い」との発言に周が「島国集団だからか」と返したり、「日本には核兵器を作る能力がある」というキッシンジャーに「米国が制御しなければ、日本は奔馬になるだろう」と周が相槌を打ったりしたことも書いてある。

もしも事実ならこれらも重要なことかも知れぬ。が、そもそも陛下のご発言とは事の軽重の次元がまったく異なる些事。だからこそ、昭和天皇が「『真珠湾攻撃は、東條が私をだましてやったこと』と言った」というような、陛下を冒涜する真っ赤な嘘を韓国を代表する朝鮮日報が垂れ流すのを到底許すことができない。

75年前の1945年9月27日に昭和天皇とマッカーサーの間で何が話されたのか、以下にその真相を書く。その日が初対面だった二人は、随行した日本人通訳の奥村勝蔵だけを残して人払いをし、さらに面談の内容を将来にわたり秘すことを約束した。したがって、面会時の会話の公式記録はないとされる。

だが、マッカーサーが64年4月5日に亡くなる3年前から綴り始めた「回想録」には、以下のような陛下の話された一説とマッカーサーの感想が述べられている。昭和天皇はこう述べられたという。

私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。

続けて、その後の占領政策に大きな影響を与えたとされる陛下の印象を、マッカーサーは次のように述べている。

私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。

実は、当時の侍従長だった藤田尚徳が著した「侍従長の回顧録」(講談社学術文庫)にも、このマッカーサーの回想録にある陛下のご発言とほぼ同じ記述がある。その内容はこうだ。

敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らに責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。

どこをどう読んでも、陛下が東條に責任を押し付けるようなことは書かれていない。むしろ一命を賭してまでその責任の一切を引き受けるとのご発言は、マッカーサーをして「これほどの紳士にかつて会ったことがない」といわしめるほど深く感動させた。それでお帰りの際に玄関まで陛下をお送りになるに至ったことは、広く人口に膾炙している事実だ。

通訳をした外務省の奥村勝蔵は、面会の模様を外務省の便箋5枚に取りまとめた。外務省はそれを藤田侍従長に届け、藤田はそれを陛下のご覧に供した。通常の文書は、陛下がご覧になった後、藤田に戻される。が、この文書だけは陛下自らお手元に留められたようだ、と藤田は書いている。

藤田は陛下にお渡しする前に一読した奥村報告のさわりを15年後に回顧録に書き、61年に上梓した。その年はまさにマッカーサーが回顧録を書き始めたといわれる年であり、その発刊は64年だった。おそらく記憶の衰えた晩年のマッカーサーが藤田の回顧録を読んでいた可能性が強い、と筆者は考えている。

このような経緯から陛下とマッカーサーと奥村しか決して知り得ない面会の内容を、鮮于鉦はどこでどのように知ったというのか。この嘘記事の載った15年11月からはじきに5年が経つが、筆者は不覚にもこの記事に全く気付かなかった。

日本政府は再掲されたこの捏造と冒涜に満ちた記事に関し、朝鮮日報に対して削除と深甚なる謝罪を求めるべきではないか。

なお、奥村勝蔵については、昨年9月の拙稿「タイプは下手だが通訳なら~天皇とマッカーサーの会話を繋いだ男」に書いたのでご参照願いたい。

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