今回もM1、準決勝も決勝も会場で見ました。
敗者復活戦も決勝も映像で繰り返し見ました。
千鳥、かまいたち、スーパーマラドーナ・・出場者、審査員、芸人、評論家はじめM1事後評も片っ端から(たぶん全部)見ています。
数字取りました。バズってます。物議もかもしています。
大成功でした。
○「まだまだ『M-1』感想戦。嫉妬する麒麟・川島、「恥ずかしいで飯食える」アキナ、ナイツ塙「審査員の本音」…急いで急いで」
○『M-1』出場コンビから審査員まで、YouTubeで止まらないアフタートーク “強烈な人間ドラマ”の余韻続く
○【M-1を完全総括】超お笑いマニアJK・奥森皐月が感じた「マヂカルラブリー野田の〇〇〇力がスゴい」
銀シャリ、和牛、ミルクボーイなど王道派掛け合い型に引き寄せてきた流れをひっくり返した点で今年のM1はパンクでありました。
漫才とは何か、という問いを遺したのも大きい。
特に、優勝したマヂカルラブリーを巡る論争がかまびすしい。
○M-1優勝マヂカルラブリーは「漫才」なのか?
「『笑わせれば何でもあり』の極北にあるようなマヂカルラブリーを王者に選んだ。多様な芸を包摂する漫才の豊穣さと、それを審査することの難しさ。そのことを改めて感じた大会」。
○強烈ナンセンス?マヂラブ“つり革触らない”優勝ネタ
「ウイルスが怖くてつり革につかむことも躊躇してしまいがちな時代」を突き刺す強烈なナンセンス
○マヂカルラブリーは「漫才」王者と言えるのか
「マヂカルラブリーが漫才ではないとしたら、ボケが一人何役もこなす霜降り明星や、二人ともコントインするサンドウィッチマン・NON STYLEなどはもっと漫才ではないということになってしまう。」
漫才には掛け合い型、コント型など色んな類型があります。ミルクボーイ、和牛、銀シャリ、ジャルジャル、とろサーモン、スーマラ、ミキなどこの数年の上位組は正統な掛け合いで、見取り図(2本目)はその流れを組みます。
で、上位3組。
見取り図の1本目は、ボケまくりツッコミまくりでコミュニケーションが不成立。
おいでやすこがは、歌いまくりボケにツッコミまくりでコミュニケーションが不成立。
マジラブは、暴れまくりボケにツッコミまくりでコミュニケーションが不成立。
3つとも同じ型です。しゃべり、歌い、ジェスチャーという手法が違うだけ。
霜降り明星と同種です。立派な漫才です。
本格王道(第1象限)とは違う型(第2・第3象限)3本が上位を占めました。
しかも偶然、出番が4番・5番・6番の連番。
そこが爆発し過ぎたため、従来「おいしい」とされていた7番以降の下位打線が、十分に面白かったのに消化試合のようにしぼんでしまった。
最終決戦も3:2:2に評価が割れた。
それが「荒れた」決勝戦と評される理由でしょう。
それは保守本流ではない革新、別の軸をもつ進化系をみせたということ。
決勝終了後、かまいたちが「M1はセンターマイク1本で一番笑わせる人が勝つ漫才の大会」と評していました。賛同します。
漫才には太い伝統の幹があり、新機軸を生んで進化する可能性がある。
両者がある限り、まだまだ発展します。
前回最下位からの優勝。その当人たちも言います。
「みんなが漫才の定義について考えることって、いままであったのかなって。」
レガシーです。
際立って光るM1評は堀井憲一郎先輩のコラムです。
○M-1グランプリ、午後8時40分に起きた「革命」に気づいていますか?
上位3組が同種の不条理漫才であることはぼくも同意見ですが、前回(2017年)は異物だったマヂラブが今回受け入れられたのは、フォーマルな型に飽きた変化だとする視線は新鮮です。
コロナがもたらした、私たち側の断層だと言うのです。
「2017年世界が、いまとなればすごく羨ましい。2020年世界では、「マヂカルラブリー」の異質な世界をおもしろく感じ、昔ながらのきちんとした型のほうに、正直、すこし退屈してしまったのだ。2020年は2017年とまったく違う世界に入っているのがわかる。」
そういうことだったのかもしれない。
「2010年代と2020年代の世界は、まったく様相を変えた。2020年に入った直後は何も予想してなかったが、2020年は2019年以前の姿と決別するための年なのかもしれないと、あらためておもう。」
そういうことだったのかもしれない。
国民行事として来年もヒートアップするM1への警鐘もあります。
たとえば選考法。
今回、上位3位を吉本勢が占めたのは自然です。コロナ中の場数、練られ度が違います。
準決勝を見て、優勝さえ期待させた錦鯉は年季で押し切り4位に食い込みました。
けれど残りの他事務所2組は最下位に沈みました。実力差です。
でも戦前から見えていた結果をどうして選んだのかな。不思議。
それなら暴走必至の金属バットやランジャタイを選んでおけばもっとパンクになるのに。
それは酔狂な漫才好きジジイだけの感想ではないはず。
敗者復活戦の公式YouTubeでは、金属バットの視聴はダントツトップの85万回!
勝ち上がったインディアンス43万回の倍なんです。
敗者復活戦の評ではランジャタイが爪痕を残しています。
決勝戦に出ていたら風景が変わっていたでしょう。マヂラブは食われた可能性がある。
『M-1グランプリ』漫才の“無限の可能性”を魅せたマヂカルラブリー、『敗者復活戦』を「国民最低〜!」で盛り上げたランジャタイ(てれびのスキマ)
「M-1グランプリ」敗退しても痕跡を残した2組。アツかった“非吉本勢”
準決勝までの審査は構成作家などのプロ。各自の点数や理由は明かされない。
敗者復活は視聴者の人気投票。プロの視線とは異なります。
決勝戦は、大御所芸人が、リアルタイムで相談もできず公開で採点する。審査員が国民から逆審査を受け、リスクと説明責任を負う。
(ぼくは決勝でいつも審査員席のそばに陣取ってるんですが、最終決戦後の投票前CM中、今年ほど彼らがウンウンうなっていたことはありませんでした。)
この三様の審査メカニズムは一貫性がないので、どの立場からしてもモヤモヤが残ります。
よりよいシステムはないでしょうか。
もう一つの課題。
M1の創始者、元吉本興業取締役の谷良一さんが
「3時間半というのは長すぎる」
としています。
同意します。イベントのリズムを奪っている。
ラガーマンにくじを引かせていた昨年より改善されたとはいえ、長い。
堀井憲一郎先輩も、「最初の「インディアンス」の漫才が始まったのは7時23分だった。番組が始まってから50分近く経っていた。今年はすごく明確に、長いな、とおもった。」とおっしゃる。
「アキナに なんか退屈した」と。
そうか、完成されたアキナ、準決勝後の下馬評で優勝候補だったアキナが沈んだ理由は、長すぎて後半の登場が裏目に出たということか。
いいんです。楽しみました。
これほど意見を抱き得るイベントは他にない。
M1は最高の発明です。
谷良一さんは言います。
「もはやM-1は普通名詞になった。ここまでなるとは予想していなかった。」
「考えてみたら漫才というのは生ものであって、常に時代に乗っかって、時代を切り取って今まで生き残ってきたものだ。」
そのとおりです。
マイク1本の表現がここまで国を笑わせザワつかせてくれる。
コロナの日本に漫才があって、よかった。
漫才に感謝します。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2020年12月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。