危険な方向に向かっている振り子 - 松本徹三

松本 徹三

1月29日付けの週刊新潮に、竹中平蔵さんを、「厚顔無恥」として名指しで非難している記事が出ていましたが、こういう記事を見るにつけても、私はこれからの日本について憂慮を深めざるを得ません。

この記事の右肩には、株式の下落や派遣村の写真があって、「この惨状は誰のせい?」という文字があります。これは、あたかも、「現在の経済危機は小泉-竹中の構造改革路線のせいだ」と言っているかのようです。


そして、極めつけは、この記事の最後の方に出ている「国家の品格の」の著者、藤原正彦氏の次のような言葉です。

「彼等がやった改革と称するもので、どれだけの日本的な文化が破壊されてしまったか。終身雇用や年功序列を大事にし、家族的で無闇にリストラなどしない日本的な経営方式がそうです。取引先との株の持ち合いや、ドライな金銭感覚だけでなく人情をベースとした契約関係もそうです。…」

なお、文中には、何故か現在の経済危機とは関係のない郵政民営化のことにも触れた箇所もあり、「地方では郵便局がなくなるなど悲惨なくらいズタズタになっている。…今からでも過ちを認めて元に戻すべき」という高杉良氏の言葉も紹介されています。

こういう論調をみると思い出すのは、9.11事件によって引き起こされたアルカイダなどのイスラム過激派への反感を利用して、イラクの石油利権に触手を伸ばそうとしたブッシュ政権や、折角良い方に向かいつつあったイスラエルとパレスチナの関係を再び対立へと向かわせた当時のイスラエルの指導者のことです。両方に共通するのは、直接関係のない事柄に対する人々の反感を、異なった目的のために利用しようとするやり方です。

まず、今回の経済危機はアメリカの野放図な金融行政が引き起こしたもので、日本のささやかな構造改革の試みなどは全く関係していないということです。(当然のことながら、アメリカでは「犯人探し」が大フィーバーで、このことは北村隆司さんの最近のブログ「金融危機の犯人探しと今後」でも触れられていますが、こちらの方はきちんと筋が通っています。)

そもそも資本主義と言っても色々あり、「未成熟な資本主義」「普通の資本主義」「行き過ぎた資本主義」があるように思います。一言で言えば、資本主義の基本理念である「市場原理」を官僚などが過度に規制して、「失われた十年」をもたらした「これまでの日本型資本主義」が、「未成熟な資本主義」であり、いつの日か破綻することが必須のバブル経済を野放図に放置して、今回の危機を招いた「アメリカ型レバレッジ金融資本主義」が、「行き過ぎた資本主義」であると言えるでしょう。目標とすべきは、市場原理を適度に規制する「普通の資本主義」であるべきですが、どのような規制が「適度な規制」であるかは、勿論難しい問題です。小泉-竹中路線にも、行き過ぎへと進みかねない「市場原理信奉への過度の傾斜」がなかったとは言い切れず、それへの批判は当然あって然るべきですが、だからと言って、「適度な規制のあり方」を真面目に論ずることもなく、ドサクサ紛れに振り子を逆方向に精一杯振って、日本を「失われた十年」の時代へと逆戻りさせようとするような動きには、憤りを感じます。

衆議院選挙を通じて圧倒的多数で「郵政民営化」を支持した「民意」を完全に無視して、「民営化は元へ戻せ」と主張する高杉良氏のドグマに対する論評は、この際さて置くとしても、藤原正彦氏のコメントに対しては、以下、一言言わせて頂きたいと思います。

藤原先生は、「終身雇用と年功序列」や「株式の持ち合い」といった「美しい日本の慣行」を維持すれば、「日露戦争でロシアを叩きのめした」ように、日本経済は世界をリードする成長を続け、国民は幸せになれるとお考えのようですが、それは如何なる経済学的(数学的?)根拠によるものでしょうか?

実際に事業経営の修羅場にたたれたことのない数学者の藤原先生には、ご理解を求めることはもともと無理なのかもしれませんが、経営者にとって、長年勤めてきた社員の昇進への期待に応えられなかったり、最悪時彼等を解雇したりすることは、身を切るように辛く、出来れば誰もそんなことはしたくはないのです。

しかし、企業は経済合理性を追い求めていかねば存続は出来ず、会社が倒れるまで「終身雇用」を続けていれば、人材(労働力)の流動性が失われて、より効率のよい産業の成長を阻害し、国の経済成長を遅らせることになります。「年功序列人事」は、能力とやる気のある若手社員にとってアンフェアであるばかりでなく、その企業の生産性を著しく低くして、株主と全従業員に多大の迷惑をかけます。

経営者は時に非情でなければならず、ましていわんや、国家の経済運営は、常に冷徹な計算に裏打ちされていなければなりません。元々が数学者であられる藤原先生には、是非ともそのあたりの数学的なご検証こそをお願いしたいものです。

(このことに関連しては、10月20日付の北村隆司さんのブログ「『日本の品格』を嘆く」をご一読ください。)

松本徹三
(ソフトバンクモバイル副社長 ‐ 但し、このブログは個人として投稿しており、勤務している会社の見解を代表するものではありません。)