『なぜ世界は不況に陥ったのか』サマリー

アゴラ編集部

池尾・池田本のエグゼクティブ・サマリーです。


第1講では、サブプライムローン問題から全般的な信用危機へと今回の金融危機が深化し、拡大していったプロセスをたどります。ただし、多くの読者にとって既知となっているような事実関係について詳細に述べることは省略して、何が本質的なポイントであるかについてもっぱら論じることにしています。

問題の発端となったサブプライムローン問題については、2つの点を押さえる必要があります。1つは、住宅バブルが発生して崩壊したという点で、この点に関しては、われわれがかつて日本で経験したことと共通しています。しかし、もう1つ、そのバブルの生成と崩壊がどのような金融システムの下で起こったのかという点を押さえておかなければなりません。日本の場合には、伝統的な銀行中心の間接金融体制の下で問題が起きました。これに対して今回のアメリカの場合には、きわめて高度かつ複雑に発展していた重層的な市場型金融の仕組みの下で問題が起きました。
 
この後者の点での違いをしっかりと確認する必要があります。高度かつ複雑な市場型金融の仕組みの下で問題が起こったからこそ、全般的な信用市場の危機、クレジットクライシスにまで拡大していったのです。かつての日本のような金融システムの下であれば、格付が信頼できなくなったからといって、どうということはありません。ところが、アメリカは金融の最先進国で、市場型金融を最も発展させていたので、格付という市場の情報インフラが機能不全になると、市場そのものも機能停止に追い込まれるという事態に陥ったのです。

第2講では、1970年代末から2007年までの30年間のアメリカを中心としたマクロ経済の動きを10年ずつの3つのフェーズに分けて振り返ります。

1970年代末から80年代初頭のアメリカは激しいインフレーションに悩まされる中で、景気の低迷が続くという悲惨な(いわゆるスタグフレーションの)状態にありましたが、それを克服し、80年代の後半からは経済の再活性化を実現していきます。それと並行する形で経済思潮の面では、第2次大戦直後のアメリカの経済政策をリードしていたケインズ経済学の権威が失墜し、ケインズ経済学はもはや過去のものとみなされるようになりました。

復活したアメリカは、1985年頃からマクロ経済的にはきわめて変動性が小さな安定した時期に入ります。この時期は20年ほど続き、いまではグレートモデレーション(大平穏期)と呼ばれるようになっています。こうした平穏が続いたことには、グリーンスパンの金融政策運営も貢献しているのでしょう。しかし、平穏な状態がこれほど長く続くと、人々のリスクに対する感度は鈍くなり、高をくくるようになってきます。この意味で、グレートモデレーションが、今回の金融危機を招いた背景になったと考えられます。

1997年のアジア金融危機以降、東アジア諸国も外貨準備に対する予備的需要を高め、経常収支の黒字を出すようになります。その結果、世界の中でほとんどの国が経常収支黒字で、赤字なのはアメリカだけだという状況になり、グローバルインバランス(国際的な経常収支の不均衡)が急激に拡大するに至りました。しかし、今回の金融危機は、こうした極端なグローバルインバランスが持続可能なものではないことを示す結果になりました。 

第3講では、この30年あまりの間の金融ビジネス、金融技術の展開に関して振り返るとともに、リスクを取引するということの意義について解説します。
 
1980年代を迎える頃になると、戦後の経済復興・成長の過程が1段落し、資金不足の時代から資金余剰の時代に変わってきます。それに伴って、伝統的な銀行業は不況産業化し、S&L(貯蓄貸付組合)の危機や大手商業銀行の経営不振が生じたりします。そうした停滞した状況を打破し、金融ビジネスを再活性化させるとともに、アメリカ経済そのものの復活にも貢献したのが、投資銀行であると言えます。投資銀行は、デリバティブや証券化といった面でも金融イノベーションを主導します。これらの金融イノベーションは、リスクに関する取引の機会を拡大するという意義をもっていました。
 
しかし、投資銀行は成功するとともに、その規模を拡大させ、肥大化していきます。他方、M&Aの市場などは成熟化してきます。こうした環境下で、肥大化した投資銀行が従来と同様の高収益率を維持していくことは困難になります。その結果として、投資銀行のビジネスモデルの変質が起こるようになったとみられます。
 
例えば、投資銀行のヘッジファンド化のような現象が起こります。すなわち、投資銀行が自ら大きなポジションを抱えるようになり、高いレバレッジをかけて利益を追求するようになります。こうした変質が今回の危機につながったわけです。しかし、変質後の投資銀行のビジネスモデルは否定されざるを得ないとしても、投資銀行の原点的業務の意義と重要性は失われていないと考えられます。
 
第4講では、理論的に金融危機の発現メカニズムを考察します。金融危機は歴史上繰り返し起こっていますが、常にこれまでにない要素や意匠を伴う形で新たな危機は起こります。今回の危機に関しても、金融危機である以上、共通したメカニズムが働いています。それをまず確認した上で、新しいファクターの役割についても理解する必要があります。
 
投機が行きすぎて、それが崩壊することで、金融危機が起こります。そうした過剰投機が起こる原因としては、エージェンシー問題と「美人投票」の問題が考えられます。自己資金で投機を行っている場合には、失敗すれば大損をすることになりますから、自ずと抑制が働くことになります。しかし、他人の金を預かって、それで投機をしているときには、失敗しても他人が損をするだけということになります。こうした事情は、過度のリスクテイクにつながる可能性があります。また、複数の投資家が相互に戦略的な依存関係にあることを認識しながら行動しているときには、横並び行動などが起きて、ファンダメンタル価値から乖離した価格が形成されることが考えられます。
 
今回のアメリカでは、本質的に銀行取り付けと同様の現象が起こったとみられます。銀行取り付けは、実は合理的な行動だと解釈できます。すなわち、1定以上の割合の預金者が預金の払い戻しを求めると、そのことが原因になって銀行が破綻し、残りの預金者は払い戻しを受けられなくなる可能性が生じます。そうであれば、1定以上の割合の預金者が預金の払い戻しを求めようとしたときには、残りのすべての預金者も払い戻しを求めることが合理的行動になってしまいます。これは、コーディネーションの失敗と呼ばれる事態の1例です。

第5講では、金融危機と経済政策の関連をテーマとしますが、まずは「政府の失敗」が金融危機につながった面があることを指摘します。例えば、アメリカ政府の住宅政策がサブプライムローン問題を助長したとみられるところがあります。また、政府あるいは連邦準備制度(FED)が何とかしてくれるという期待が、民間主体のリスクテイクを過度に促進する結果になったと考えられます。
 
次に、経済思潮の変遷について説明します。既述のように、ケインズ経済学は過去のものとなりました。それに代わって古典派経済学の復活が起こりましたが、現在は、古典派的な議論の成果は全部踏まえた上で、それにある種のケインズ的要素を組み入れたモデルが統1的フレームワークとして受け入れられるようになっています。こうした現代の経済学においては、不況というのはある種の市場の失敗としてとらえられます。こうした現代的な経済学の知見が広く共有されるようになることが望まれます。
 
実際の経済政策に関しては、通常の金融政策が手詰まりになる中で、アメリカでは非伝統的な金融政策が実施されるようになっています。非伝統的な金融政策としては、量的緩和とリスク資産の購入が考えられますが、アメリカの場合には、リスク資産の購入が中心で、その結果として量的緩和になるという信用に基づく緩和(credit-based easing)が実施されています。

しかし、かつてのわが国で一部の論者が声高に推奨したようなインフレ目標政策はアメリカでも採用される兆しはありません。インフレ目標政策の火付け役と思われていたクルーグマン自身も、そうした政策の有効性をいまは明確に否定しています。
 
第6講では、中長期的な観点から、危機後の金融と経済の行く末について考察します。最初に、投資銀行および金融工学の役割について再考します。投資銀行が必要でなくなってしまうことは決してなく、事業会社の財務活動を支援するという本来の役割に原点回帰して再出発すべきだと考えます。また、金融工学はまだ新しい技術で、いろいろと不完全なところをもっているのは事実ですが、多くの問題は、金融工学そのものというよりはそれを用いるユーザーの側に起因すると考えられます。その意味では、金融技術を「うまく正しく」使いこなせるようになることが求められています。
 
これから規制監督体制の見直しも進められていくことになるでしょう。その際のポイントは、これまでの危機の原因分析からすると、情報インフラの再構築とエージェンシー問題のコントロールであると考えられます。
 
実体経済面については、かなり憂鬱な展望になります。今後、グローバルインバランスは否応なしに縮小されていかなければなりません。このことが、本書のタイトルである「なぜ世界は不況に陥ったのか」という問いに対する直接的な答えになります。アメリカは経常収支の赤字を減らさなければなりませんが、日本は経常収支の黒字を減らさなければなりません。このことは、これまでのように北米市場に過度に依存した輸出主導型の経済成長パターンはとれなくなるということです。しかし、そうした構造調整を短期間で達成することは困難であり、その調整プロセスでは、世界経済は縮小均衡に陥らざるを得ません。マクロ経済政策によって、このプロセスを緩和することはできても、構造調整の必要性そのものをなくしてしまうことはできません。

第7講では、日本の1990年代の経験を改めて振り返ります。われわれは、本当の意味でどれだけこの経験を総括し、教訓化できているのでしょうか。経験したから、何となく分かっているような気がしているだけではないでしょうか。
 
まず、90年代の経済の長期低迷は、少々規模が大きかったとしても、通常の景気循環上の不況として理解すべきものでしょうか。あるいは、潜在成長率そのものの低下が生じたと考えるべきなのでしょうか。

もし本来の成長経路からの単なる下振れであったのなら、マクロ経済政策によって需要喚起を図れば、景気の回復がもたらされるはずです。そうした理解から、金融緩和が不十分なことが長期不況の原因だと主張する人たちもいました。しかし、本当に構造的な問題の存在を無視してよいのでしょうか。構造的な問題の解決に取り組んでこなかったから、また現在のような不況に陥っているのではないのでしょうか。下振れではなく、水準そのものの劣化として把握すべき事態ではないのでしょうか。
 
また、バブルの発生は防止することができたのでしょうか。あるいは、バブルの発生は不可避であったとしても、その崩壊直後にもっと適切に対応することは可能だったのでしょうか。さらには、不良債権問題の処理が長引いたのは政策担当者がサボっていたからでしょうか。量的緩和と円安介入をやったから2002年以降の景気回復が実現されたのでしょうか。
 
これらすべての疑問に自信を持って答えることができないのであれば、過去の経験をしっかりと総括し、教訓化できているとは、残念ながらいうことはできません。自らの経験を教訓化できていない者が、他人にその教訓を伝えることなど、できるはずはありません。

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