ソフトバンクの新採用制度に思う - 米重克洋

米重 克洋

ソフトバンクが携帯電話の”営業成績”を採用の際の選考基準にする制度を設ける、というニュースがありました。これについて、学生からは「内定も出ていない段階で、学生に営業活動をやらせるのはおかしい」などの反発が上がっているそうです。
が、私はソフトバンクのやり方はもっともだと考えます。


予め断っておきますが、私は現役の大学生です。在学中に起業した「経営者」でもありますが、通り一遍の経営者的な立場からではなく意見を申し上げたいと思います。

この制度は、学生からすれば「企業のためにしかならないし、就職を決めているわけでもない会社に使い走りにされる」という懸念がありますし、それはもっともです。が、本当にこの制度が企業(ソフトバンク)のためにしかならないのか、学生自身よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
そのポイントは大きく分けて2つあります。

まず第一に、「敗者復活戦」の要素も含んでいること。
記事によれば、この制度は既存の採用制度に加えて特別なコースとして設けられるものです。そして、既存の入社試験に落ちた人間でも受けることができると言います。つまり、何が何でもソフトバンクに入りたい、という学生にとってはチャンスとなるわけです。加えて全受験者が強制される話でもないのですから、「ソフトバンクにこだわらないし、入社前に営業なんかしたくない」という学生は普通に面接と試験を受けるコースを選べばよいのです。

第二に、ソフトバンク自身が求めている人材像を明確にしているということ。
私はソフトバンクの人間ではないので憶測するしかありませんが、「実践力のある社員を求める」必要性がソフトバンクにはあるのではないでしょうか。
今回この制度を導入する通信3社のうち、テレコムとモバイルは丸々外から買ってきたのに対し、BBは小さく産んで大きく育てたという経緯から”社風の違い”があると思います(これも推測ですが)。かつてより事業領域が広がり「大企業病」も懸念される状況では、経営陣や人事の現場がより自発的、能動的に行動できる社員をグループを挙げて待ち望んでいるでしょう。その希望へのひとつの解として見れば、今回の制度も腑に落ちます。

もちろん「入社前から営業なんてとんでもない」という学生が大勢でしょうが、一方ではごく少数ながら「喜んで!」「やってやろうじゃないか!」という人もいます。
ではどちらの人材をソフトバンクが求めているかと言えば、それが後者であることは明らかです。今回の制度導入は、そんな分かりやすい意思表示になると思います。
実際後者のような学生にはソフトバンクがお似合いでしょうし、そこで企業と学生の幸せなマッチングが成立する、とは言えないでしょうか?

今回の報道については、大学生である私の身近にもそこそこの反響がありました。
その多くは、今回の制度を「雇う側の一方的な都合を通したもの」と批判し、反感を持つものでした。
私も、雇用においては「雇われる側にも都合があり、それを汲み取れなければ成功しない」というのはその通りだと思います。しかし、一方で雇用(労働)は派生需要だということも忘れてはならないはずです。
つまり、サービスや財への需要があり、それに対応する事業があって初めて雇用の需要も生まれる。それが個々の経済活動の自由が認められた現代資本主義社会のあり方で、「いやそんなんアカン!何が何でも1億人全員漏らさず雇え!」というなら民意をもって社会主義に移行するほかない。私はそう思います。

もちろん、今の日本はそんな選択肢など採りようもないわけです(人口を4~5000万人程にすれば可能かもしれませんが)。
それならば企業も学生も積極的に意思表示し、相互に確認したうえで一致できなければお互いに不幸ではないでしょうか。

ですから、私はソフトバンクのような企業が学生に対して「主張」するように、学生サイドからも企業に対してもっと主張すればよいと思っています。
今大学生がやっている就職活動は、徹底的に「企業が求める人材像」を追い求めるものです。適性検査、面接、インターン、OB訪問・・・ありとあらゆる就職活動のステージにおいて悉く対策本が作られ、学生は皆没個性的にそれに倣ってしまいます。しかし、本来は学生サイドから「こんな私を使いたいという企業さん、手を挙げて下さい」というくらいの勢いで個人のセールスポイントを押し出すなら、企業はそれをもとに素直に採用可否を判断できるはずです。

尤も、これは理想論かもしれません。
が、企業が苦心して新手の採用方法を試し、学生もそれに追いついて平均的な”対策”を編み出すような現状ではいつまでもイタチゴッコのままです。
これでは就職活動の早期化の流れは止められませんし、より良い人材を採れない企業と望みに適う仕事を選べない学生の不幸は永久に無くせません。

更に言えば、学生側も「平均的な優等生を目指せばよい」という”甘え”を捨てる必要があります。
日本は高度成長期をとうに過ぎ、今や低成長どころかマイナス成長の時代に突入しています。仕事は探さなければありませんし、はした金を稼ぐにもそれなりに苦労しなければならない時代です。私自身、そんな時代に起業して1年と少しが立ちますが、わずかな間にもそれを実感してきました。

経済という仕組みから考えれば、前述したように「雇用は派生需要」です。需要がないと事業は成立しないし、事業がないと雇用も生まれません。まず雇用を創出しよう、増やそうと言うと、とめどない財政出動で雇用を下支えし、解雇や雇い止めする企業はバッシングするという社会的風潮が現れます。しかし、それはタコが自分の足を食うような話でしょう。少し前に「円天」というマルチ商法が問題になりましたが、あの会社も集めた資本金で既存の会員に配当を出すという自転車操業をしていました。経済は成長しない、税収も増えないにも関わらず、先細りする税金を元手に途方もない”慈善事業”をやっていては、日本という国自体があのマルチ会社のようになって潰れてしまいます。

要は、本当に雇用を守ろうというのであれば、事業を育てなければなりません。
そのためには法人税も下げるか無くすかしなければなりませんし、過度に企業活動を締め付ける規制も撤廃していく必要があります。
しかし、今の日本ではそうした議論は全く受け入れられないどころか「格差を助長する」「市場原理主義」などと殆ど感情的な非難を受けてしまいます(これは池田さんも憂慮される通りです)。この現状はそう簡単には変わらないでしょうし、結果としてしばらく日本経済がまともに回復することも無いように思えます。そんな状況で学生が仕事を見つけ「食いっぱぐれない」ようにするには、自身が甘えを捨てて自己防衛するほかありません。 「これこそが自分自身のセールスポイントだ」と胸を張って主張できる何かを学生時代の間に身に付けておかなければなりません(もちろん資格だけではない)。そして、大企業は安定した強者だという幻想も捨てねばなりません。中小企業は言わずもがな、名だたる大企業も不断の努力の積み重ねで今日まで存続しているのです。(アゴラに参加されている松本さんには失礼かもしれませんが)ソフトバンクも含め、多くの企業は墓石のように微動だにせず存続できるわけではないのですから。

米重 克洋(株式会社JX通信社CEO/学習院大学経済学部経営学科2年)