公務員制度改革は国を滅ぼす? (WEDGEの記事を読んで) - 松本徹三

松本 徹三

日本における「行き過ぎた官僚統治」の弊害を毎日のように見る一方で、大統領が変わるたびに行政スタッフが大幅に入れ替わる米国などの例を見ると、「日本でも高級官僚の政治任用がもっとあって然るべきではないか」と考えるのは、当然の成り行きだと思います。私も例外ではなく、昨年12月29日のブログでこの問題を提起して以来、米国の事情に詳しい北村隆司さんをはじめとして、色々な方に議論を吹きかけてきました。


北村さんは、これに応えて、1月30日付2月5日付2月22日付の3回に分けて、彼のブログで意見を述べて下さいましたが、私は釈然とするには至りませんでした。理想論としては理解できても、「現実的な解」とは思えなかったのです。

そんな折も折、WEDGEの4月号で「官僚叩きはやめよう 公務員制度改革が国を滅ぼす」と題するレポートを読みました。私は、元々は渡辺元行政改革担当大臣の実行力に大きな期待をかけていたところがあったので、ちょっと反発する気持ちでこのレポートを読み始めたのですが、読み終わった時には、このレポートの指摘する諸問題について、ほぼ全面的に賛同する気持になっていました。つまり、少し宗旨替えをしたのです。

特に「政治任用」の問題については、拙速に事を運ぼうとするとどういうことが起こるだろうかが明示されており、これに加えるに、「ハリケーン・カトリーナの際の米国の連邦危機管理庁のお粗末な対応は過度な政治任用故だった」とするデビッド・ルイス教授(ヴァンダービルド大学)の指摘の紹介や、「戦前の政党(政友会と憲政会)が官僚の政治任用で足の引っ張り合いを演じ、混乱を招いた」という歴史検証もあって、大変説得力がありました。

このレポートが繰り返し強調しているのは、「実際の仕事の殆どを官僚に依存している政治家が、『政治主導』という空疎なお題目だけで、現行システムをやみくもに変えようとしていること」の危険性です。私もこの点は全く同感ですし、それによって、あたかも抜本的な改革が成し遂げられたかのような錯覚が生じれば、それはもっと危険だと思っています。

「縦割り行政の打破」という掛け声も、耳にはもっともらしく聞こえても、やり方を間違えれば、「それぞれの分野でプロとしての専門性を磨くべき官僚が、これをおろそかにして政治家の顔色ばかりを伺う」という事態を招きかねません。縦割りを打破して官僚の人事を政治が一元管理しようとする「内閣人事局」構想も、課長クラスまで対象とするとなると2600人にも及ぶ人員を管理せねばならぬことになり、「経営者」ではない「政治家」が現実にそのような「当事者能力」を持ちうるとは、とても思えません。

このレポートでは、「何が善で何が悪かも検証しないままに議論を進め、少しでも慎重な意見を述べると『天下り公務員を擁護するのか!』と、全く関係のない理屈で反撃される」という、霞ヶ関関係者の泣き言も紹介されています。尤も、これについては、公平な議論を回避し、「空気」や「感傷」だけで物事を推し進めようとする「日本的なやり方」を、これまで見飽きるほど見てきた私には、「やはりここでもそうなのか」という思いを新たにするだけでした。

さて、問題の「天下り防止策」ですが、私も、もともと、「全体のシステムを再構築することなく、単純に『天下り』という単一の事象だけを根絶しようとすれば、大きな副作用が起こることは必定」と考えていましたから、WEDGEのレポートで言われていることには、特に目新しい点はありませんでした。「労働市場の中で、優秀な人を採用し、国家に奉仕するプロに育て、能力を十分に発揮してもらう為には、国民はそれ相応のコストを負担する必要がある。敬意と感謝の念を示して、やる気を高めるのが、人事の上策である」と説く慶応大学の清家教授のコメントにも、全く異議はありません。

しかし、問題は、「それでは何処をどうすればよいのか」ということです。(このことだけに限らず、今回のWEDGEの記事の弱点は、「それではどうすればよいのか」の提言が殆どなかったことです。)

「目に余ることがあまりに多い現状」を、そのままにしておいてよい等と考えている人は、日本の何処にもいないことだけは確かでしょう。(「組織防衛」と「自分の生活防衛」以外には思いを致す余裕がないのかもしれない、一部の公官庁の当事者は別かもしれませんが…。)そうであるなら、今こそ、全ての識者(WEDGEの記事を書かれた方も含め)が、抽象論に終始するだけでなく、間髪をいれず「現実的な代替案」を明示せねばなりません。

それなら、お前に具体的なアイデアはあるのかと聞かれると、正直に言って、私も口ごもらざるを得ません。しかし、下記程度のことは言っておきたいと思います。

1. 先ずは、「天下り」や「渡り」の大きな受け皿である「外郭団体」の日常業務の現状を徹底的にチェック(業務監査)して、大幅な合理化を行うこと。
2. 「渡り」には特に厳重な規制を行うこと。(「渡り」を享受できるような人は、現役時代に特に有能と目されていた人の筈だから、過大な待遇を期待さえしなければ、再就職の口は幾らでもある筈。)
3. 現行規定では、一定の期間は当該官庁と関係を持つ民間の会社には就職できぬことになっているが、この期間を延長すること。(現状では、この制度が形骸化して、官製談合など温床となっている。)
4. キャリアー官僚の給与体系を抜本的にかさ上げし、「標準的な最長勤務期間(次官に上り詰めるまでの年数)」も延長すること。(但し、この為に、若くして局長や次官になる道が閉ざされるようなことがない様、現在の「年功序列の人事体系」も同時に見直すこと。)
5. キャリアー官僚が受け取れる年金を一流の一般企業並にすること。(詳細やその理由については理解出来ていないが、随分低いことを知って驚いたことがある。)
6. 上記の1)で浮いた金を使い、公設民営の政策シンクタンクをいくつか創設し、各政党の利用に供すること。(このシンクタンクのスタッフと「政治任用の官僚」の往来が、活発に行われることを期待する。)
7. 部局長や審議官などのポジションは、「政治任用であるべきポジション」と「政治任用であってはならない(政治的に中立であるべき)ポジション」に明確に色分けすること。
8. 当然政治任用である「政務次官」というポジションがあるのだから、これとバランスをとる為に、「事務次官は政治任用にしない」ことをルールとして確立すること。(こうすることによって、生え抜きで上がってくる幹部候補生に目標を与える。)
9. 将来の幹部候補生の多くが、目標とした高い地位にはつけず、早晩肩たたきを受けることは明白なのであるから、早い時期から再就職先を斡旋すること。この為、全てのキャリアー官僚のデータベースを公開し、ヘッドハントを推奨すること。(誘いに乗るか乗らないかは完全に本人の判断次第だが、その判断は、当然「将来の天下りはない」という前提でなされることになる。)

10)「政治家が官庁の部局長を『調整役』として便利使いすることが出来ないようにする措置」、「政治家が自分の答弁の為に官庁の部局長を長時間待機させることが出来ないようにする措置」などを検討すること。

私が無い知恵を絞って考えられるのは、今の時点ではこの程度ですが、アゴラの筆者には、現在の「公務員制度改革(政治任用の拡大を含む)」を支持する方が多いと思うので、この際是非とも種々の「将来に危惧を残さない具体案」を出して、WEDGEの記事のような「至極尤もな改革批判」だけが生き残ってしまうことのないようにして頂けることを期待しています。我々は複雑系の世界に生きており、単純な議論や抽象論だけでは、もはや何事も前に進まないと思います。

松本徹三