裁判員制度について - 松本徹三

2009年05月25日 08:49

岡田克敏さんの投稿を読み、「よく言ってくれた」と思いました。この記事に関して寄せられたコメントを見ると、「反論」のようなものも幾つかありますが、私は岡田さんの論点の全てに賛成です。アメリカで仕事をしていた時に、同じ職場にいた年配の女性が陪審員になっており、彼女の話を直に聞いた事がありましたが、その時に私は、直感的にこの制度には多くの問題がある事を感じました。ですから、日本にも裁判員制度が導入されると聞いて、「よせばいいのに」とは思っていたのですが、岡田さんのように掘り下げて考えることを完全に怠っていました。


岡田さんもご指摘の通り、「国民主権を司法の場でも実現する」等という言葉は、空疎な抽象論に過ぎません。そういう問題意識を持つこと自体は結構な事ですが、「その為の幾つかの具体的方策について、その得失を一つ一つ比較し、検証する」という、当然経るべき手順を踏まないままに、「一つの具体案」を簡単に法制化してしまったことは信じられないことです。

一般に、「平和」とか、「オープン」とか、「エコ」とか、「ユニバーサル・サービス」とかいう言葉がついていると、誰も反対しにくく、粗雑な提案でも簡単に通ってしまう傾向があります。今回も、政治家や官僚やジャーナリストは、「国民主権」という言葉を聞いただけで、「すんなり通してしまった方が得策」「批判してみても得るところは少ない」と考えたのでしょう。つまり、「空気」だけを読んで(KY)、深く考えもせず、決議してしまったということです。これは極めて無責任なことであり、現体制の「制度疲労」を露呈した新たな事例を、また一つ見せられたような気がします。

勿論、現在の裁判制度に、多くの人達が何となく疑念を持っている事は分かります。「裁判官とか判事とかいう職についている人達は、一般大衆とはかなり違った特殊な人達で、現実の社会通念を理解していないのではないか?」という漠然たる疑問が、その根底にあるのでしょう。或いはそういうところもあるのかもしれません。しかし、6人の無作為に選ばれた裁判員を協議に加えたところで、その問題が解決出来るとはとても思えません。岡田さんが指摘するようなマイナス面の方が、はるかに多いような気がします。

それではどうすればよいのか? 私は「反対だけして代替案を示さない」というようなことは普通しないので、極めて難しい問題ではありますが、下記のような一応の代替案を考えてみました。こんなことはどの国でも未だやっていませんが、一つの方策ではないかと思っています。

代替案:

* 「裁判員」は、各地方裁判所の所轄地域毎に6人を選任する。(現行制度と同じ。)
* 但し、任期は1年(パートタイム)とし、妥当な報酬を支払う。(一度選任されて1年間勤めた場合は、生涯にわたり再度選任されることはない。)
* 「裁判員」になりたい人は、一定期間以内に立候補し、市町村会議員と同様の方法で選挙される。
* 選挙に先立ち、立候補者は簡単な試験を受け、不適格者はここでふるいにかけられる。試験の内容は、「文章や論理を理解する能力」と「一般的な社会常識」であり、ハードルは低い。(身体障害者や外国人のようにハンディキャップをもっている人に対しては、一定の配慮がなされる。)
* 一定期間で候補者が18人を超えた場合(当選倍率が3倍を超えた場合)は、抽選で候補者が絞られる。
* 立候補者は、「経歴」「所信」「司法判断に関する幾つかの具体的な質問(ケース毎に3択)に対する回答」を提出し、これが選挙人の判断材料として供される。
* 特別な選挙運動は禁止する。
* 選挙人は、18人の候補者の中から3人を選んで投票することを求められる。
* 当選者は、単純な多数決によって選ばれるのではなく、年齢と性別によってあらかじめ決められた枠内で選ばれる。(年齢については、20代、30代、40代、50代、60代以上のそれそれぞれの年代に対して1枠ずつと、無差別で1枠。男女比率については、年齢枠には関係なく、全体で「2対1」または「1対2」を超えないことを条件とする。)
* 選任された人は、履歴書にそのことを記載することが出来、この記載は、生涯にわたり、「賞罰」の「賞」に準ずる扱いを受ける。
* 立候補者が勤務している会社や団体は、立候補を妨げてはならず、1年の勤務期間中には、「仕事上で一定の実績を挙げた」のとほぼ同等の評価をしなければならない。また、1年の勤務後に当人に不利な配転を行ってはならない。

以上です。如何でしょうか?

ところで、あまり重要なことではありませんが、この機会に二つ追記したい事があります。

先ずは、「法律に関係している人達は数学に弱い」という、岡田さんの一般論としての「仮説」に対する反論です。

岡田さんのご指摘通り、経済学者にとっては、数学が基本的な素養として必要なのに対し、法律家にとっては、数学は直接必要とはされません。しかし、論理的な思考は必要です。それどころか、有能な弁護士と有能なソフトウェアエンジニアとの間には、私の見るところ、明らかな類似点があります。第一に、どこにも「抜け」を残さないこと。(即ち、全ての問題を潰していく「忍耐力」があること。) 第二に、問題を潰していくのに膨大な手間がかかる場合は、全体像を俯瞰した上で、全く異なった観点から切り込んで一気に結論に導く「思考の飛躍能力」があることです。

(ちなみに、私は弁護士ではありませんが、一応大学は法学部の出身です。また、ソフトウェアのエンジニアではなりませんが、ソフトウェアに関連する仕事を若干はしてきました。)

次に、「外国で行われていることを安易に真似てはいけない」もう一つの事例として、「夏時間の導入」を挙げたいと思います。(転ばぬ先の杖です。)

「夏時間」ほど、馬鹿げた制度はありません。アメリカでは州毎に違いますから、私自身、切り替え時にはよくアポイントメントの時間を勘違いして、何度かひどい目にあいました。それ以上に、今や、時計を組み込んだ電子機器は身の周りに数知れず、それをいちいち洩れなく調整するのは大変な手間です。「夏時間」は、大昔、「お爺さんの柱時計」と「各人の腕時計」が唯一の時計であった時に考え出された制度であり、現在の事情には適合しないのです。

そんな馬鹿なことをしないでも、日照時間をフルに使って電気代が節約したいのであれば、官庁や会社や学校が、「明日からは9時始まりでなく8時始まりとし、昼食時間は12時ではなく11時にする」と宣言すれば済むことです。朝一番のアポイントメントは8時に設定すればよく、午後一番のアポイントメントは12時に設定し、「昼食は出ませんから、済ませてきてくださいね」と言えば済むことです。

外国で行われている事は大いに参考にすべきですが、意味のない慣習まで無批判に真似をする必要は全くありません。

松本徹三

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