私が田部さんの意見に反対する意見を寄稿したのは、第一には、「アゴラの執筆者の中には田部さんの意見に反対の考えの人間もいる」ということを、念の為はっきりさせておきたかったことです。(「類は友を呼ぶ」という言葉もあるので、「アゴラの執筆者は大体同じ考えの人達に違いない」と考えている方も多いと思ったので・・・。)そして、第二には、「既存メディアの過大な力を牽制する為にも、将来の世論構成のベースとしてインターネットを盛りたてていこう」と考えている人達に対し、「種々の自主規制によって、インターネットの陰の部分に対する批判や敵意を和らげて行く必要があること」を、あらためて訴えたかったことによります。
従って、私が申し述べた事は、ごく常識的な意見で、面白くも可笑しくもないものだったにも関わらず、これに関連して非常に多くの書き込みがあり、また、そのうちの多くが、「自主規制への懸念」をあらためて表明するものだったことに、少し驚きました。(尤も、こういう場で書き込みをされる方々は、もともとこの種の問題に対する意識が特に高い方々であると思われ、「日常あまりインターネットを使われないような人達であれば、もっと常識的で、面白くも可笑しくもない反応をされただろう」という思いは消えません。)
念の為申し上げておくと、私は、もともと反体制的で、実存主義的な考えの持ち主です。(若い頃からの最大の愛読書は、アルベール・カミュの「異邦人」でした。)教育の理念は自由放任主義に近く、「子供達は、色々な問題に対する好奇心を満足させつつ、色々な際どい体験をそれぞれに積みあげて、それぞれの自我を確立し、成長していって欲しい」と考えている人間であり、子供達を無菌室に閉じ込めようとでもしているかのような「神経質なPTAのお母さん方」とは、反対の極にいる人間だと思っています。(従って、「ある種の意見に単純に感情的に反発すること」などはあり得ません。)にもかかわらず、「性」を殊更に「暴力」と結びつけた類の、昨今のビデオやゲームの氾濫には、「子供達の人格形成に対する影響」の見地から、大きな懸念をもっているのです。
考えても見てください。未だ実際の性体験もない子供達が、「普通の初体験」に心をときめかす暇もないうちに、少女を陵辱したり、監禁して調教したりするビデオやゲームにのめり込んでしまったとしたら、どのような人格が形成されていくのでしょうか? どなたかの書き込みにもありましたが、特にゲームの場合は、自分自身がプレーヤーとして自らをストーリーの中に没入させていくのですから、人格の歪みはもっと大きなものになっていく危険があります。
子供達は、普通の親達の想像をはるかに超える形で友達から影響を受け、この影響は幾何学的に広がって、忽ちのうちに「みんなやってる」という「常識」になります。大人達がやっている事を子供達に禁止するのは、難しいのが当たり前で、子供達は、「大人達の目を盗んで大人達の真似をする」事に、別に罪の意識は感じていないのが普通です。ということは、現実にそれを難しくするしか、これを防ぐ有効な手立てがないのが普通です。
雑誌や映画やビデオは、人目につきやすいので、それなりにアクセスが難しいのに対し、インターネットで配信されるものは、子供達にとっては最もアクセスが容易です。インターネットで勉強をする事は、今後どんどん奨励されていかねばならないにもかかわらず、「一旦パソコンの前に座ってしまえば、後は何でも出来る(「18禁」などは、「はい」をクリックするだけで簡単に通り抜けられるのですから、何の役にも立ちません)」ということになると、「子供達にはパソコンは触らせるな」という暴論まで防ぎえなくなるかもしれません。(「出版や映画・ビデオには、自主規制を含めた種々の規制があるのに、インターネットだけが現状のまま野放し」ということになれば、インターネットを敵視する人達の絶好の標的にされるでしょう。)
幸いにして、日本は、薬物の取締りは相当徹底しており、欧米に比べるとかなり安心出来るレベルのように思えます。バイオレンス(暴力)とセックス(性)の露出については、ほぼ欧米並みと思われますが、「性」については、「不自然な(滑稽な)形で、局部に『ぼかし』を入れるのに熱心なこと」と、「男性が力づくで女性を支配するパターンが多いこと」が、欧米とは際立った違いを見せています。まあ、これは文化の問題ですから、何が良いとか悪いとか言うことではありませんが、後者については、子供達の人格形成という観点からいうと、極めて望ましくない傾向であると言えましょう。
バイオレンス(暴力)に興奮する傾向は、「性」に対するのと同様、生まれながらにして「闘争本能」を持った人間(特に男性)にとっては、抑えるのが難しいのは事実です。しかし、これを代替するものとして、ギリシャの昔から、人間は「スポーツ」というものを考え出しました。特にエネルギーの有り余る青少年にとっては、これが大きな抑止力になっています。「武侠・仁侠」をテーマとした小説やコミックは、残虐性を露出するものも多いことが若干気にはなりますが、基本的には勧善懲悪的なストーリーが多いので、あまり害は無いと思います。
「性」に対する青少年の興味を何か他のもので代替させるというのは無理でしょうが、明るい方向、或いは、文学的、詩的な方向へと誘導していくことは可能でしょう。繰り返しになりますが、何れにせよ、「性」と「暴力」を殊更に結びつけるのは、最悪であると思います。
「『性暴力的なゲームやビデオが、犯罪を誘発する』というのは思い過ごしであり、何ら証明されていない」というご意見が、書き込みの中には多かったように思いますが、「全く相関性はない」ということも証明されているわけではありません。「相関性が完全に証明されない限り、予防措置はとられるべきではない」というご意見には、私は賛同しかねます。多くの皆さんがおっしゃるように、「何が許され、何が許されないか」を決めるのは、そう簡単な事ではないことには私も同意しますし、多くの人が議論を尽くして決めればよいことですが、社会的な影響(力学)については、甘く考えるべきではないという考えは変わりません。
なお、「禁酒法が、却って不法な『もぐり酒場』を誘発した」というご意見もありましたが、これは「自主規制反対論」の論拠にはならないと思います。「禁酒法」は後に廃止されましたが、それは「もぐり酒場」が取り締まれなかったからではなく、「飲酒を法律で禁止するのはやりすぎだ」というコンセンサスが出来たからです。現在も、麻薬は警察の目をくぐって密かに売買されていますが、「麻薬を非合法にするのはやりすぎだ」と主張する人は誰もいないでしょう。中には、「勝手に麻薬をやって、勝手に自滅するのは、それぞれの人の問題であり、法律などでとやかく言うべき事ではない」という考えの人もいるかもしれませんが、そのような人達は決して多数派にはならないでしょう。
要するに、どこに「非合法」の線を引くかは、それぞれの時代の社会的コンセンサスによって決めるべきことであり、このことは、対象が「飲酒」であろうと、「麻薬」であろうと、或いは今回の議論の対象になっている「性暴力ゲームソフト」のようなものであろうと、何ら変わるものではないと思います。
なお、最後にもう一言。田部さんは、私の議論が、「何か商業的な別の目的を追求するためのものではないか」と疑っておられるようでしたが、そんな事はありません。私が勤務する「ソフトバンクモバイル」と「ヤフー」は兄弟会社ではありますが、私はヤフーの経営には一切関与していません。
松本徹三
念の為申し上げておくと、私は、もともと反体制的で、実存主義的な考えの持ち主です。(若い頃からの最大の愛読書は、アルベール・カミュの「異邦人」でした。)教育の理念は自由放任主義に近く、「子供達は、色々な問題に対する好奇心を満足させつつ、色々な際どい体験をそれぞれに積みあげて、それぞれの自我を確立し、成長していって欲しい」と考えている人間であり、子供達を無菌室に閉じ込めようとでもしているかのような「神経質なPTAのお母さん方」とは、反対の極にいる人間だと思っています。(従って、「ある種の意見に単純に感情的に反発すること」などはあり得ません。)にもかかわらず、「性」を殊更に「暴力」と結びつけた類の、昨今のビデオやゲームの氾濫には、「子供達の人格形成に対する影響」の見地から、大きな懸念をもっているのです。
考えても見てください。未だ実際の性体験もない子供達が、「普通の初体験」に心をときめかす暇もないうちに、少女を陵辱したり、監禁して調教したりするビデオやゲームにのめり込んでしまったとしたら、どのような人格が形成されていくのでしょうか? どなたかの書き込みにもありましたが、特にゲームの場合は、自分自身がプレーヤーとして自らをストーリーの中に没入させていくのですから、人格の歪みはもっと大きなものになっていく危険があります。
子供達は、普通の親達の想像をはるかに超える形で友達から影響を受け、この影響は幾何学的に広がって、忽ちのうちに「みんなやってる」という「常識」になります。大人達がやっている事を子供達に禁止するのは、難しいのが当たり前で、子供達は、「大人達の目を盗んで大人達の真似をする」事に、別に罪の意識は感じていないのが普通です。ということは、現実にそれを難しくするしか、これを防ぐ有効な手立てがないのが普通です。
雑誌や映画やビデオは、人目につきやすいので、それなりにアクセスが難しいのに対し、インターネットで配信されるものは、子供達にとっては最もアクセスが容易です。インターネットで勉強をする事は、今後どんどん奨励されていかねばならないにもかかわらず、「一旦パソコンの前に座ってしまえば、後は何でも出来る(「18禁」などは、「はい」をクリックするだけで簡単に通り抜けられるのですから、何の役にも立ちません)」ということになると、「子供達にはパソコンは触らせるな」という暴論まで防ぎえなくなるかもしれません。(「出版や映画・ビデオには、自主規制を含めた種々の規制があるのに、インターネットだけが現状のまま野放し」ということになれば、インターネットを敵視する人達の絶好の標的にされるでしょう。)
幸いにして、日本は、薬物の取締りは相当徹底しており、欧米に比べるとかなり安心出来るレベルのように思えます。バイオレンス(暴力)とセックス(性)の露出については、ほぼ欧米並みと思われますが、「性」については、「不自然な(滑稽な)形で、局部に『ぼかし』を入れるのに熱心なこと」と、「男性が力づくで女性を支配するパターンが多いこと」が、欧米とは際立った違いを見せています。まあ、これは文化の問題ですから、何が良いとか悪いとか言うことではありませんが、後者については、子供達の人格形成という観点からいうと、極めて望ましくない傾向であると言えましょう。
バイオレンス(暴力)に興奮する傾向は、「性」に対するのと同様、生まれながらにして「闘争本能」を持った人間(特に男性)にとっては、抑えるのが難しいのは事実です。しかし、これを代替するものとして、ギリシャの昔から、人間は「スポーツ」というものを考え出しました。特にエネルギーの有り余る青少年にとっては、これが大きな抑止力になっています。「武侠・仁侠」をテーマとした小説やコミックは、残虐性を露出するものも多いことが若干気にはなりますが、基本的には勧善懲悪的なストーリーが多いので、あまり害は無いと思います。
「性」に対する青少年の興味を何か他のもので代替させるというのは無理でしょうが、明るい方向、或いは、文学的、詩的な方向へと誘導していくことは可能でしょう。繰り返しになりますが、何れにせよ、「性」と「暴力」を殊更に結びつけるのは、最悪であると思います。
「『性暴力的なゲームやビデオが、犯罪を誘発する』というのは思い過ごしであり、何ら証明されていない」というご意見が、書き込みの中には多かったように思いますが、「全く相関性はない」ということも証明されているわけではありません。「相関性が完全に証明されない限り、予防措置はとられるべきではない」というご意見には、私は賛同しかねます。多くの皆さんがおっしゃるように、「何が許され、何が許されないか」を決めるのは、そう簡単な事ではないことには私も同意しますし、多くの人が議論を尽くして決めればよいことですが、社会的な影響(力学)については、甘く考えるべきではないという考えは変わりません。
なお、「禁酒法が、却って不法な『もぐり酒場』を誘発した」というご意見もありましたが、これは「自主規制反対論」の論拠にはならないと思います。「禁酒法」は後に廃止されましたが、それは「もぐり酒場」が取り締まれなかったからではなく、「飲酒を法律で禁止するのはやりすぎだ」というコンセンサスが出来たからです。現在も、麻薬は警察の目をくぐって密かに売買されていますが、「麻薬を非合法にするのはやりすぎだ」と主張する人は誰もいないでしょう。中には、「勝手に麻薬をやって、勝手に自滅するのは、それぞれの人の問題であり、法律などでとやかく言うべき事ではない」という考えの人もいるかもしれませんが、そのような人達は決して多数派にはならないでしょう。
要するに、どこに「非合法」の線を引くかは、それぞれの時代の社会的コンセンサスによって決めるべきことであり、このことは、対象が「飲酒」であろうと、「麻薬」であろうと、或いは今回の議論の対象になっている「性暴力ゲームソフト」のようなものであろうと、何ら変わるものではないと思います。
なお、最後にもう一言。田部さんは、私の議論が、「何か商業的な別の目的を追求するためのものではないか」と疑っておられるようでしたが、そんな事はありません。私が勤務する「ソフトバンクモバイル」と「ヤフー」は兄弟会社ではありますが、私はヤフーの経営には一切関与していません。
松本徹三





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>「既存メディアの過大な力を牽制する為にも、将来の世論構成のベースとしてインターネットを盛りたてていこう」と考えている人達に対し、「種々の自主規制によって、インターネットの陰の部分に対する批判や敵意を和らげて行く必要があること」を、あらためて訴えたかったことによります。
インターネット社会に自浄能力があり、そこに参加している人々に当事者能力と統治能力があることを「インターネットの陰の部分」に種々の、自主規制を掛けることによって、表明することが出来ます。
それはインターネット社会に対する批判や敵意を和らげて行くのに有効、と私も考えます。