足利事件の一側面

2009年06月16日 13:08

 この事件が誤判に至った理由については自白偏重など、様々のことが言われていますが、誤判の直接の理由は警察庁科学警察研究所(科警研)のDNA鑑定を警察や検察、裁判所が疑わなかったこと(疑っていながら知らん顔していた可能性もゼロとは言えませんが)であり、それについて少し述べたいと思います。


 弁護側が行った押田鑑定とよばれる鑑定では科警研と異なる結果が出て、科警研の信頼性を疑わせるものでしたが、97年以後、最高裁や宇都宮地裁は弁護側が提出したその鑑定を取り上げなかったとされています。疑う機会が何度もありながら裁判所や警察や検察などの関係者が、なぜ科警研のDNA鑑定を疑わなかったのかということは非常に重大な問題です。

 当時の科警研によるDNA鑑定の精度は、別人で一致する可能性が1000人に1.2人とされています(その後、データが集まるにつれこの公称精度は低くなり最後には1000人に6.23人となったそうであり、信頼性の低さを示しています)。これは理論値であり、鑑定操作が理想的に行われた場合であることに注意する必要があります。信頼性は理論値とサンプリングや操作の技術的な安定性に左右されるので、両方を評価する必要があります。

 検察や裁判所などは生化学の詳細な知識を持っているわけでなく、専門家の意見を取り入れていたものと推定できます。ただ専門家には信頼できる人とそうでない人がいることも事実ですから、最低限、どの専門家が信頼できるかの判断能力が必要であることは当然です。

 関係者がそろってDNA鑑定について誤った判断をした事実は、信頼できない専門家の意見を取り入れたのか、あるいは調べようともしなかったのか、のどちらかであることを示しています。

 重要な鍵を握る鑑定なので、調べようとしなかったとは思えませんから、専門家の選択を誤ったという可能性が残ります。どの専門家が信頼できるかを判断するためにはある程度の自然科学の基礎知識が必要ですから、関係者にはその判断能力がなかったと考えてもよいでしょう。

 東京女子医大事件の高裁判決では検察側は「物理学の初歩も弁えない」と批判されました。もし検察側に物理学の初歩のわかる人がいたならば、医師は一審の有罪判決を受けることも、いや起訴すらされていなかったかもしれません(参考拙文 検察の理系音痴を暴露した高裁判決)。判決文の中の、この検察側を批判した部分は検察側の不備を指摘した重要なものですが、私の知る限りなぜか報道されなかったようで、大変不可解です。マスコミは判決文に目を通さなかったのでしょうか。

 二つの事件に共通することは警察や検察、裁判官(東京女子医大事件の東京高裁の裁判官などを除く)の自然科学に対する理解能力の不足です。一部の事件にはこのような理解能力が必要とされるのは明らかで、科学技術が社会の重要な要素になった現在、それを十分理解しない人たちばかりで裁くという現状が時代に合わなくなっているのではないでしょうか。

 無罪となった大野病院産科医逮捕事件の検察側も同様なケースであり、医療事故裁判一般についての問題と考えてよいと思います。また原発の安全性評価を迫られるような、専門的な知識を要求される裁判についても同様のことが言えるでしょう。

 一方、足利事件を報じてきたマスコミもDNA鑑定については、検察や裁判所などと同様、正確な認識を持っていたとは思えません。持っていればもっと早い段階で騒いで、裁判の行方に影響を与えることができていたかもしれません。

 96年に発表された日垣隆氏の「DNA捜査の落とし穴」は足利事件のDNA鑑定に対して疑問を投げかけたもので、今でも大変説得力があります。マスコミのような巨大な組織がなくても、意思と理解能力があれば正確な認識を得ることができることを示唆しているようです。

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