「街の声」の欺瞞 - 岡田克敏

2009年08月07日 11:53

 朝日、日経、読売の三社が運営している「あらたにす」の中に「新聞案内人」というコラムがあります。そこに『「街の声」記事にウジウジする私』(7/23)という題で、元朝日新聞「天声人語」執筆者・栗田亘氏の興味深い内幕話が載っています。


 『遠い昔、社会部の若手記者だった頃、私の苦手というか、気が進まない仕事の一つは「街の声」取材だった』とし、その理由のひとつとして

 『こうした「声」がどれだけ社会総体の意見を反映しているか、メディアが手前勝手に意見をこしらえているのではないか、という後ろめたさが、どうしても払拭できなかったからだ』と書かれています。

 また大事件などの際に載せられる「識者の談話」についての記述があります。

『ある社会部デスクは勉強家で、どんな人がどんな意見を持っているか、実によく知っていた。○○について、これこれこんな意見を言ってくれる人、という問いに、彼は即座に答えることができ、私たち若手の記者は指示に従って電話取材すればコトが足りた。
 こうして出来た紙面は、取材の成果というよりは編集の成果だった。
 こういう紙面をつくりたい、との編集方針がまずあって、予期通りの紙面をつくるのである。(中略)「街の声」も、私の体験では一定の編集方針が立てられ、方針に沿った意見を集める傾向があった』

 栗田亘氏の「ウジウジ」という気持ちはわかりにくい表現ですが、新聞作成者としての良心の痛み、後ろめたさを曖昧に表現したものと理解すればよいと思います。街の声や識者の談話は新聞社の意見を広めるための材料とされているわけです。反対の声が取り上げられることはまずありませんから、読者には偏った情報が伝えられる可能性があります。同様に、読者投稿欄も編集者の恣意的な取捨選択や内容の変更によって、同じように利用されているものと思われます。私は以前、編集者の大幅な書き換えによって主題まで変更された経験があります。

 食品の産地や期限の偽装事件では連日一面トップに取り上げるような報道をし、「何を食べればよいかわからない」といった不安や怒りに満ちた「街の声」を載せて、追い討ちをかけると共に、自社の意見の正当化を図る手法です。「食べて満足しているならよいではないか」「大騒ぎするほどのことではない」といった意見もあると思うのですが、掲載されることはまずありません。

 新聞社の意見でありながら、それを街の声、すなわち一般の意見として紹介するのは自らの意見に対する責任を逃れようとする、卑怯な方法です。また読者を欺くものであります。これが批判の対象となりにくいのは業界の伝統であり、常識であるからなのでしょう。

 しかし汚い(ダーティ)方法であることに変わりなく、メディアの職業倫理のレベルを示すものと言えます。産地偽装に関する食品業界のモラルは社会を揺るがしましたが、メディアのモラルの問題がこれより軽いものとは決して思えません。情報はメディアの商品そのものであり、偽りがあってはならないからです。表面的には「街の声」であっても恣意的に編集されたものの「産地」はもはや「街」とは言えません。

 かなり昔の話ですが、市民の声としてある人物の意見がよく載っていた時期がありました。その人物は一般市民ではなく、左派の活動家であり、朝日新聞からときどき電話で意見を尋ねられていたと聞きます。現在も識者の談話として、高村薫氏がよく登場します。彼女の変わった見識にはしばしば違和感を覚えますが、それは編集者の意見の代弁と考えると納得がいきます。何らかの意図が含まれることがあり、代表的な意見だと素直に受けとるのは適切ではありません。

 栗田亘氏の批判は内部から出たものであり、信頼できるものと思われます。ただ、「ウジウジ」という表現から想像できるとおり、栗田亘氏の文章は穏やかなもので、古巣に対する配慮が感じられます。誰しも古巣のことを悪し様に言うことにはためらいがあるでしょう。しかし、もしこの配慮を取り去り、ありのままに書けば、実態は何倍もひどいということになりはしませぬか。

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